夏の土用のころにはお墓参りとか善光寺参りに励んでいましたが、写真の整理も記事の作成も暑さのせいで延び延びになっていました。高齢者は熱中症という大敵が怖いからねようやく暑さ寒さも彼岸までのお彼岸となったので、仏さまと善光寺さんに感謝の意を表するためにこの記事をアップします
見出し写真は善光寺の仁王門。ここの仁王さんは確か高村光雲作だったようです。足の親指のしっかりと大地を踏みしめているのと、反対の穂の足の親指はそらせてるのとが、歌舞伎役者が見栄をきっているときみたいでかっこよかったですね。
早朝、宿坊を出てお数珠頂戴とお朝事(あさじ)←ありがたい儀式やでえにでかけるまえに、善光寺の蓮の花を見ましたカンドー寝坊すけの私は…大阪にいるときは5時や6時には家を出ないから…早朝花ひらくハスって見なかったもんね
これが善光寺山門…参拝の人びとでにぎわっています→山門の上のほうにに上がると善光寺平が一望できるそうです
山門に掲げられた善光寺の額
善光寺の三文字の中に牛の顔(「牛に引かれて善光寺参り」と聞いたことがあるでしょう…)と五羽の鳩がいます…見つけられましたか この牛は観音様(布引観音)の化身で衆生を救うために表れてくださいます。
善光寺本堂…外国人観光客も、信心のある人も見物だけの人もすべて受け入れる懐の広さが善光寺やね…
堂々と悠然と明るい南を向いている本堂です
善光寺境内のユズリハ←人びとの末長い繁栄を祈っています…
お朝事(あさじ)の後、宿坊で精進料理をいただきました。
野菜の煮物、ゴマ豆腐、中でも蕎麦がさすが本場の信州、香ばしくて美味しかったですごちそうさまでした
m(_ _)m
阿弥陀如来がご本尊の善光寺さんは来世での極楽往生を約束されます
それだけでは物足りない。片参りやで…と言い伝えがあり、現生でのご利益、厄落としをしてくださる北向き観音堂にもお参りしました。ここのご本尊は千手観音… 長野県上田市別所温泉にありました。
観音様って多くの場合、階段を何段も上がっていくところにあるよね… ふうふう言いながら上がりましたよ
北向き観音堂の名のとおり北向きでした
いつも北を向いているのはお地蔵さま
一歩足を踏み出して、救いようのない地獄で苦しんでいるを衆生を救おうとしてくださるのがお地蔵さまです
「花も嵐も踏み越えて♪…愛染かつら…♫」という流行歌(「旅の夜風」と言っていたかな…)がありましたね…岸恵子よりももう一世代前の田中絹代と上原謙主演の映画もあったらしいんやけど、この桂の木が愛染カツラの起こりらしいで…
ちなみに「旅の夜風」は霧島昇とミス・コロンビアが歌って…映画をはるかに越える昭和10年代の大ヒット曲となったそうです…
先に岸恵子主演と書いたのは私の全くの思い違いで…佐田啓二・岸恵子主演のこちらは 同じすれ違いメロドラもでも昭和20年代の大ヒットラジオドラマの「君の名は」でした…「忘却とは忘れ去ることなり…忘れえずして忘却を誓う心の悲しさ…」なんてセリフは当時はなたれ小僧でも知っていたよね真知子と春樹のすれ違いメロドラマの先駆けが、愛染かつらやったんやと言えば…愛染かつらファンに叱られるかな…ところで今どきの巷でも「君の名は」の映画が流行っているのんでっかいなそれもまたすれ違いのメロドラマなんやろうか(この項9月28日に追加・修正しました)
ついでに飯田市の元善光寺にもお参りしました
もともとは善光寺って飯田にあったんやね
ご利益のある仏さんや…とゆうことで、取り合いになって一光三尊の阿弥陀如来もあらこちらへと連れていかれて…苦労しはったみたいやね…ありがたや、もったいなや…
ここが善光寺
ここが北向き観音
ここが元善光寺