あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ニワトリが来た。

2010-06-19 | 
我が家にニワトリが来た。
この前までポーとチョックを預かっていたのだが、彼女たちが帰ってから何か寂しい感じがしていたのだ。
夏休みが終わる頃に吹き抜ける秋の匂いのする風のような、冬のスキーシーズンが終わる頃1人又1人山を去っていくような、ラーメンを食べるときに大事に取っておいたチャーシューを最後に食べてしまうような・・・。
そんな寂しさがあった。
情が移ってしまったのだろう。

そして昨日、晴れて我が家にもニワトリが来た。
もちろん二羽である。
名前はヒネとミカン。
ヒネはマオリの言葉で娘とか女の子というような意味がある。命名はボク。
もう一羽のミカンは深雪が名付けた。理由は色がオレンジ色だから。
めでたく北村家の一員となった二羽は生後10週間。
ある程度大きい鶏を買う選択もあったのだが、どうせ飼うなら小さい頃から飼ってみたいと思い、この年頃の鶏を選んだ。
まだ体は小さく、チョックとポーの半分位の大きさである。
かなり臆病で隣の犬が吠えると、あわてて小屋の奥に逃げてしまう。慣れるのに数日はかかるだろう。チキンだ。
エサだって若鶏用のエサをあげるし、畑の葉っぱも大きいのをあげてもダメで、小さくちぎってあげて差し出すと指の先からチョイとつまむ。
まあ赤ん坊と同じで世話がやけるのだ。その分可愛い。
卵を産むのは10週間後。8月の半ばぐらいになるだろう。



ニワトリを飼ってみて色々な事を学んだ。
ニワトリが寝るときに止まり木に掴まって寝るのを知らなかった。目を閉じる時にまぶたが下から上がるのも知らなかった。食べ物の好みが色々あるのも知らなかったし、卵をどうやって産むのかも知らなかった。
飛んで逃げないように羽根を切るのは知っていたが、どうやって切るのかは知らなかった。
こうやって実践でいろいろと学ぶのは楽しいことでもある。学ぶという本来の姿ではなかろうか。



ある時、まだ新鮮な野菜を鶏にあげようとして思った。
「これなんか人間様が食えるよな」
そして気が付いた。
『人間様』なんとイヤな言葉だろう。
先ず第一にとても偉そう。「何様だよ、オマエ」という声が聞こえる。
「人間様だ」と言われたら身もふたもないのだが・・・。
人間を一段上の所に置いて、他のものを見下している。気に入らん。
自分達は鶏から卵を頂いている身分でありながら、その鶏を一段下に置くのはけしからん。
だからと言って「ニワトリ様」と呼ぶのもバカバカしい。生類哀れみの令じゃああるまいし。
人間には『様』はいらない。鶏にもいらない。
さあさあ楽しい国語の時間ですよ~。
人間様はペケ。
だけど日本語には『ひとさま』という言葉がある。
人様、他人様とも書く。
これはよろしい。
まず偉そうでない。
他人の尊敬語で、自分もしくは自分達以外の人を一段持ち上げた言葉である。
だからと言って自分を低いところに落とすわけでもない。
あくまで相手を上げる。
素晴らしいじゃあ、あ~りませんか。
『自分が上』『勝ち組』『とったもん勝ち』『オレがオレが』というような殺伐とした世の中で謙虚に相手を持ち上げるこの言葉。
日本語って美しいですね。
ただこの言葉も使う人によっては、周りの目ばかり気にして本質から外れ体裁だけを整える、ということにもなりかねない。が、それは使う人の問題であり、言葉に罪はない。
使い方はこうだ。
「他人様に迷惑がかからないように」「他人様に笑われないように」
そうやって自分を戒める言葉でもある。
ううむ、やっぱり日本語は奥が深い。

そんな事を考えながら庭仕事をする。
ボクがそばにいると安心するのか二羽も近くに来てチョンチョンと土をほじくる。
空を飛行機が飛んでいった。
二羽はあわてて小屋へ走って逃げた。
「このチキンめ!」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする