朝、夢を見て目が覚めた。
夢の中でボクはスキー場へのバスドライバーで、日本人のお客さんを送るという妙にリアルな夢だった。
ベッドの中で、この夢はどんな意味があるんだろうなどとボンヤリ考えていると遠くから地響きが聞こえてきて、その直後に家全体が激しく揺れだした。
この家は大丈夫か?崩れるんじゃないか?という恐怖を感じたのは最初の数秒だった。
激しい揺れを感じながら思った。心配してもしなくても崩れて死ぬときは死ぬだろうし、それよりも何故か、この地震ではこの家は大丈夫という根拠のない自信を持った。
だが揺れは収まらず、家の中で色々な物が落ちる音が聞こえる。
深雪は大丈夫だろうか、脅えて泣いているのではないか。
女房が電気をつけようとしたがつかない。電気が止まったようだ。手探りでヘッドライトを探して深雪の寝ている部屋のドアを開けた。
色々な物が散乱しているが、深雪はすやすやと寝ている。良い度胸というか、むじゃきというか。ベッドの周りを確認、危ない物は無い。まあぐっすり寝ているのならば問題はなかろう。
ベッドに戻る頃には一時の激しい揺れは収まったが、まだ地鳴りと共に揺れは来る。
だがその頃には地震を楽しむ余裕さえ出てきた。
「これは地球の鼓動なんだね」などと横にいる女房に言ったりした。
揺れながらもうつらうつらしているうちに空が明るくなってきた。
周りの物がよく見えるくらい明るくなった頃、外でキーンという甲高い金属音が聞こえた。
なんの音だろう、女房も聞いているので幻聴ではない。
外に出てみると金属音はさらに高くなった。
人が作り出す音ではない。何かは分からないがイヤな感じのする音ではない。あえていうなら不思議な音といおうか。
原因を究明することは無意味だという想いはあった。全てをありのままに受け入れる。
庭でしばし瞑想。手を合わせ家族が無事なことに感謝。
そうしているうちに不思議な音は消えてしまった。
外へ出たついでにニワトリ達を小屋から出す。エサは昨日の残りがまだあるな。
家に戻り、起きてきた妻と家の中をチェック。あちこち散らかっているが壊れた物は無い。
そうしているうちに深雪も起きた。深雪には初めての地震だ。まだ地鳴りと共に揺れが来る。
心配そうな顔をしている深雪に言った。
「大丈夫だよ、これぐらいの地震は。心配するな。お父さんなんかもっと大きい地震の中で酒を飲んでた時もあるんだぞ」
そう、あれはまだ20代半ばぐらいだったろうか。十年以上も前に三宅島が噴火した時の話だ。
ボクはその時、神津島で災害復旧の工事をしていた。
夏の暑い盛りだが、地震の影響で観光客は誰もいないという神津島での仕事だった。
その時一緒に働いていた人達もとことん陽気な人達で、普通にやれば5時までかかる仕事をものすごくがんばって3時で終わらせ、その後は誰もいない海に潜って貝を取ったり魚をモリで突いたりした。海は澄み人はおらず貸し切りである。
獲った物は仲良くなった地元の寿司屋へ持っていきその場でさばいてもらい、寿司屋の縁台で海に沈む夕日を見ながらビールを飲んだ。
寿司屋の前には島で唯一の信号があり、夕方になると信号待ちがあった。神津島のラッシュアワーだ。最大で4台の車が行列を作った。
夜はその寿司屋で島の焼酎をしこたま飲んだ。毎晩お客さんは僕達しかおらず、店のおじさんおばさんもあれ食えこれ食えといろいろ出してくれた。
30分おきぐらいに地震はあったがすっかり慣れてしまい「お、今度のは大きいぞ」とか「今のはまだまだだな」とか「酔っぱらっちゃえば地震で揺れてるのか、自分がフラフラしてるのか分からないな」などと言いながら毎晩寿司屋のおじさんおばさんと楽しく飲んでいた。
その島にいる間、何百回という地震にあったが怖いと感じたことは一回もなかった。
そんな夢のような時を過ごした夏もあった。
家の中をざっと片づけ、ライフラインのチェック。
電気は使えない。水はどうだ?水道の栓をひねるが水は出ない。
電話は?電話機を取ってもウンともスンとも言わない。電話もだめか。
携帯は?携帯は生きていた。まあ何かあったら携帯でコミュニケーションは取れるか。
だがバッテリーを充電できないので必要な時以外は使わない方がいいだろう。
日も上がってきたしお茶でもいれようか。
ボクは災害に備えて飲料水を30リットル近く物置に置いてある。いつか使う日が来るかと思っていたが、どうやら今日がその日のようだ。
お湯を沸かすガスはキャンプ用のものがたっぷりある。食料も蓄えはふんだんにある。庭には野菜も育っている。ニワトリも近いうちに卵を産んでくれるだろう。
我が家では2週間ぐらいは電気と水道が止まっても生きていける。
お湯を沸かしお茶を入れると一心地ついた。
次に考えるのはトイレだ。
男のボクはおしっこは外ですればいい。いつものことだ。
女の人はそうもいかないだろう。
「よし、トイレは南米式だ。紙は流さない」
南米ではトイレにゴミ箱があり使った紙はそこに捨てる。
おしっこが溜まって臭くなったら近くの川で水をくんできて流せばいいだろう。汚物を浄化するEMの発酵液もペットボトルに6本ある。
ウンコは庭に穴を掘って野グソだな。
先日読んだ本で『くうねるのぐそ』というのがあった。
これを書いた伊沢正名という人は野グソマニアというか野グソおたくというかすごい人で、連続野グソ3000日とか自分の野グソが土に還る様子を研究したりとか、まあそういう人である。
これを読んで、『よしオレもそのうち庭で野グソをしよう』と思っていたが、こういうことになろうとは。いやはや人生とは面白いものである。
やはりいろいろな形で、人間はこうなればいいなあと思うことを実現できるようになっているようだ。
朝飯は昨日の残り物のチャーハンをフライパンで温め、深雪にはオムレツを作ってあげた。同じフライパンでトーストサンドイッチも作る。
洗わないで3つの物が作れた。テフロンのフライパンは便利だ。
ウキウキと料理を作っていたら女房に指摘された。
「なんか嬉しそうねえ」
そう、確かにこの状況を楽しむ自分がいた。なんかこう、ワクワクしてしまうのだ。
隣のおばさんが訪ねてきてトランジスタ・ラジオを貸してくれた。
ラジオを聞いていると街では古い建物が崩れたり、水がでたり何かと大変らしい。
だが家の周では特に被害をうけた家も無く平和そのものである。
無風快晴、太陽はポカポカと心地良く、普段はあいさつもしてくれない向かいのおばさんも機嫌良く挨拶をしてくれる。
絶好の洗濯日和なのになあ、などと思いつつ庭の草むしりなどしていると退屈した深雪が外に出てきた。
よし、じゃあ3人でフリスビーをしようと、ガレージからフリスビーを出し、しばし家族でフリスビーで遊ぶ。深雪のフリスビーの投げ方もさまになってきた。
裏の家からも子供の笑い声と大人の陽気な話し声が聞こえてくる。
この場所にいる限り災害があったことなど忘れてしまうような、そんな陽気である。
突然、家の電話が鳴った。心配した人が電話をかけてきてくれた。電話線が復旧した。
日本の家に電話をかけて無事を伝える。まだニュースを知らなかったようだ。
以前テアナウで地震があった時には、向こうから電話をかけてきてこっちは地震があったことも知らずに戸惑ったが、今回はこっちが先をこしたようだ。
後でニュースで見るだろうが、要らぬ心配は無い方が良い。
携帯には続々と「大丈夫か?」というメッセージが来る。
みんな心配してくれるんだ。ありがたいことだ。
『こっちはのほほんとフリスビーをやって遊んでいます』などと言いにくいような雰囲気でもある。
続
夢の中でボクはスキー場へのバスドライバーで、日本人のお客さんを送るという妙にリアルな夢だった。
ベッドの中で、この夢はどんな意味があるんだろうなどとボンヤリ考えていると遠くから地響きが聞こえてきて、その直後に家全体が激しく揺れだした。
この家は大丈夫か?崩れるんじゃないか?という恐怖を感じたのは最初の数秒だった。
激しい揺れを感じながら思った。心配してもしなくても崩れて死ぬときは死ぬだろうし、それよりも何故か、この地震ではこの家は大丈夫という根拠のない自信を持った。
だが揺れは収まらず、家の中で色々な物が落ちる音が聞こえる。
深雪は大丈夫だろうか、脅えて泣いているのではないか。
女房が電気をつけようとしたがつかない。電気が止まったようだ。手探りでヘッドライトを探して深雪の寝ている部屋のドアを開けた。
色々な物が散乱しているが、深雪はすやすやと寝ている。良い度胸というか、むじゃきというか。ベッドの周りを確認、危ない物は無い。まあぐっすり寝ているのならば問題はなかろう。
ベッドに戻る頃には一時の激しい揺れは収まったが、まだ地鳴りと共に揺れは来る。
だがその頃には地震を楽しむ余裕さえ出てきた。
「これは地球の鼓動なんだね」などと横にいる女房に言ったりした。
揺れながらもうつらうつらしているうちに空が明るくなってきた。
周りの物がよく見えるくらい明るくなった頃、外でキーンという甲高い金属音が聞こえた。
なんの音だろう、女房も聞いているので幻聴ではない。
外に出てみると金属音はさらに高くなった。
人が作り出す音ではない。何かは分からないがイヤな感じのする音ではない。あえていうなら不思議な音といおうか。
原因を究明することは無意味だという想いはあった。全てをありのままに受け入れる。
庭でしばし瞑想。手を合わせ家族が無事なことに感謝。
そうしているうちに不思議な音は消えてしまった。
外へ出たついでにニワトリ達を小屋から出す。エサは昨日の残りがまだあるな。
家に戻り、起きてきた妻と家の中をチェック。あちこち散らかっているが壊れた物は無い。
そうしているうちに深雪も起きた。深雪には初めての地震だ。まだ地鳴りと共に揺れが来る。
心配そうな顔をしている深雪に言った。
「大丈夫だよ、これぐらいの地震は。心配するな。お父さんなんかもっと大きい地震の中で酒を飲んでた時もあるんだぞ」
そう、あれはまだ20代半ばぐらいだったろうか。十年以上も前に三宅島が噴火した時の話だ。
ボクはその時、神津島で災害復旧の工事をしていた。
夏の暑い盛りだが、地震の影響で観光客は誰もいないという神津島での仕事だった。
その時一緒に働いていた人達もとことん陽気な人達で、普通にやれば5時までかかる仕事をものすごくがんばって3時で終わらせ、その後は誰もいない海に潜って貝を取ったり魚をモリで突いたりした。海は澄み人はおらず貸し切りである。
獲った物は仲良くなった地元の寿司屋へ持っていきその場でさばいてもらい、寿司屋の縁台で海に沈む夕日を見ながらビールを飲んだ。
寿司屋の前には島で唯一の信号があり、夕方になると信号待ちがあった。神津島のラッシュアワーだ。最大で4台の車が行列を作った。
夜はその寿司屋で島の焼酎をしこたま飲んだ。毎晩お客さんは僕達しかおらず、店のおじさんおばさんもあれ食えこれ食えといろいろ出してくれた。
30分おきぐらいに地震はあったがすっかり慣れてしまい「お、今度のは大きいぞ」とか「今のはまだまだだな」とか「酔っぱらっちゃえば地震で揺れてるのか、自分がフラフラしてるのか分からないな」などと言いながら毎晩寿司屋のおじさんおばさんと楽しく飲んでいた。
その島にいる間、何百回という地震にあったが怖いと感じたことは一回もなかった。
そんな夢のような時を過ごした夏もあった。
家の中をざっと片づけ、ライフラインのチェック。
電気は使えない。水はどうだ?水道の栓をひねるが水は出ない。
電話は?電話機を取ってもウンともスンとも言わない。電話もだめか。
携帯は?携帯は生きていた。まあ何かあったら携帯でコミュニケーションは取れるか。
だがバッテリーを充電できないので必要な時以外は使わない方がいいだろう。
日も上がってきたしお茶でもいれようか。
ボクは災害に備えて飲料水を30リットル近く物置に置いてある。いつか使う日が来るかと思っていたが、どうやら今日がその日のようだ。
お湯を沸かすガスはキャンプ用のものがたっぷりある。食料も蓄えはふんだんにある。庭には野菜も育っている。ニワトリも近いうちに卵を産んでくれるだろう。
我が家では2週間ぐらいは電気と水道が止まっても生きていける。
お湯を沸かしお茶を入れると一心地ついた。
次に考えるのはトイレだ。
男のボクはおしっこは外ですればいい。いつものことだ。
女の人はそうもいかないだろう。
「よし、トイレは南米式だ。紙は流さない」
南米ではトイレにゴミ箱があり使った紙はそこに捨てる。
おしっこが溜まって臭くなったら近くの川で水をくんできて流せばいいだろう。汚物を浄化するEMの発酵液もペットボトルに6本ある。
ウンコは庭に穴を掘って野グソだな。
先日読んだ本で『くうねるのぐそ』というのがあった。
これを書いた伊沢正名という人は野グソマニアというか野グソおたくというかすごい人で、連続野グソ3000日とか自分の野グソが土に還る様子を研究したりとか、まあそういう人である。
これを読んで、『よしオレもそのうち庭で野グソをしよう』と思っていたが、こういうことになろうとは。いやはや人生とは面白いものである。
やはりいろいろな形で、人間はこうなればいいなあと思うことを実現できるようになっているようだ。
朝飯は昨日の残り物のチャーハンをフライパンで温め、深雪にはオムレツを作ってあげた。同じフライパンでトーストサンドイッチも作る。
洗わないで3つの物が作れた。テフロンのフライパンは便利だ。
ウキウキと料理を作っていたら女房に指摘された。
「なんか嬉しそうねえ」
そう、確かにこの状況を楽しむ自分がいた。なんかこう、ワクワクしてしまうのだ。
隣のおばさんが訪ねてきてトランジスタ・ラジオを貸してくれた。
ラジオを聞いていると街では古い建物が崩れたり、水がでたり何かと大変らしい。
だが家の周では特に被害をうけた家も無く平和そのものである。
無風快晴、太陽はポカポカと心地良く、普段はあいさつもしてくれない向かいのおばさんも機嫌良く挨拶をしてくれる。
絶好の洗濯日和なのになあ、などと思いつつ庭の草むしりなどしていると退屈した深雪が外に出てきた。
よし、じゃあ3人でフリスビーをしようと、ガレージからフリスビーを出し、しばし家族でフリスビーで遊ぶ。深雪のフリスビーの投げ方もさまになってきた。
裏の家からも子供の笑い声と大人の陽気な話し声が聞こえてくる。
この場所にいる限り災害があったことなど忘れてしまうような、そんな陽気である。
突然、家の電話が鳴った。心配した人が電話をかけてきてくれた。電話線が復旧した。
日本の家に電話をかけて無事を伝える。まだニュースを知らなかったようだ。
以前テアナウで地震があった時には、向こうから電話をかけてきてこっちは地震があったことも知らずに戸惑ったが、今回はこっちが先をこしたようだ。
後でニュースで見るだろうが、要らぬ心配は無い方が良い。
携帯には続々と「大丈夫か?」というメッセージが来る。
みんな心配してくれるんだ。ありがたいことだ。
『こっちはのほほんとフリスビーをやって遊んでいます』などと言いにくいような雰囲気でもある。
続