地震があろうが何もなかろうが時が経てば腹が減る。
人間が生きていく上で、息を吸うことと水を飲む事の次に大切なのは飯を食うことだ。
昼飯はラーメンである。
冷凍庫にスープを凍らしたものがあり、冷蔵庫に焼き豚の残りとキャベツがある。庭には立派なネギが生えている。納豆と物々交換をした産みたて卵もある。
贅沢なラーメンだ。
こんな時でも、いやこんな時こそ家族揃って楽しく美味しいご飯を食べる。大切なことだ。
女房が作ってくれたラーメンが美味い。幸せとは常にそこにあるものなのだ。
午後になっても揺れはある。家の外より中に居る方が揺れは感じるようだ。
ボクは深雪に言った。
「地震なんてのは地球のおならみたいなものなんだよ。こういう小さい地震は地球がプッとおならをしたのさ。だけどたまにおならだと思ってしたらウンコが出ちゃうときもあるだろ?それが朝の大きな地震だったんだよ」
地震とは地球のエネルギーが外に出る現象だ。夫婦ゲンカもそうだがエネルギーが溜まりに溜まるとどかーんと爆発してしまう。こういったエネルギーはある程度小出しにした方が良いのだろう。
天気も良いので家族で散歩に出かける。
家に閉じこもっている理由は無い。
メインストリートは車の通りも普段と変わらず、言われなければ大地震の後とは思えないのどかさである。
だが良く見るとアスファルトが割れていたり、液状化現象で砂が地表に吹き出す箇所があった。信号はまだ復旧しておらず、交差点で多少の混乱が見られた。
近くの公園までぐるっと廻る。日差しは暖かく雪をのせた山が広がる。典型的な春のカンタベリーの一日だ。
女房が言った。
「今度の地震では犬が吠えないわね。日本で地震にあったときは犬がワンワン吠えたんだけどなあ」
確かにそうだ。家の隣も裏も犬を飼っているが、犬の吠える声を聞いていない。
犬も本能的にこの地震では大丈夫、ということを感じているのかもしれない。
散歩の途中で犬をつれている人に会ったが、どの犬も普段通り落ち着いている。
散歩の途中でオノさんから安否を気遣うメッセージが入った。
オノさんはいつもローマ字読みでメッセージをくれる。丁寧なメッセージだがとても読みにくい。
内容はこうだ「ウチモソウデスケド コンナトキニ カゾクノ キズナノ タイセツサヲ カンジマス。ゼッタイ マケズ カゾクノヨサヲ タイセツニ オタガイ ガンバリマショウ」
とてもフリスビーをやって遊んでます、とは言いにくかったので「ハイ ガムバリマス」と返信した。
ボクは今は仕事がないので気が楽だが、こんな時に仕事がある人はたいへんだ。
電話がかかってきて女房のオフィスのアラームが鳴っていると連絡が入った。
どうなっているか分からないが、一応街へ行ってみるというので、ボクも深雪も見物がてらついていくことにした。カメラをもって弥次馬根性丸出しである。
家を出てメインストリートへ。近所の信号はまだ動いていない。
道を進むにつれ地震の被害があちこちで見られる。
傾いた街灯、たれ下がった電線。なんとなく街がざらついているような浮ついているような、不思議な雰囲気である。
街の中心に近づくと、ざらついた感じはさらに強まり、違う何かがあった。
クライストチャーチは大聖堂を中心に碁盤の目のように街が広がっている。
コロンボストリート、マンチェスターストリートが南北を通るメインの通りなのだが、そこはかなり離れた所でがっちりと閉鎖されていて車を停める余裕もない。
仕方がないので警備の手薄な所をねらって車を走らせる。
案の定、街の裏側の方は車も少なく中心から数ブロックの所に車を停めた。
3人で歩いて街の中心に向かうがロープが張られ簡単には入っていけない雰囲気がある。
そこにいた白バイ警官に女房が事情を説明する。
「ヒアフォード・ストリートにオフィスがあって、警備の会社から連絡がありアラームがなっているようなんですが」
「街の中心は入れないけど、まあ次の辻の所の警官に話してみなさい」
この問答はこの先何回も繰り返すことになる。
そしてぼくらはロープの中へ。
そこから中は歩行者天国状態。無人のビルの中からアラームが鳴っているのが聞こえる。
次の角へ来て警官と話す。全く同じ会話を繰り返す。警官の答も同じである。
そして次の角へ。人通りはまばらだ。
街の中心に近づくに連れ警備はものものしくなっていく。だが警官の態度は良く、威圧的な感じは一切ない。ここから先へ行くなら危ないから道のこっち側を歩きなさいと親切にアドバイスもしてくれる。
ビルの窓ガラスが割れ、ガラスが路上に散らばっている。一部崩壊した建物もある。
マンチェスターストリートまで来ても警官の答は同じである。
普段は賑やかなこの通りも今日は車もなく、所々にパトカーと消防車が見えるくらいだ。
崩壊して煉瓦が落ちた建物の辺りはテープが張られ、近くには近づけないようになっている。
先へ進むとテープではなくバリケードが置かれ、その先は歩いている人も見えない。
たぶんここまでだろうな。
警官と話をすると初めて違う答が返ってきた。
「建物の中には誰も入れません。落ち着いたらまた来てください」
まあ、そんなところだろう。ここで「いつになったら入れるの?」と警官に聞くのは意味のないことだ。誰にも分からない事だから。
それよりこれだけ警備がしっかりしていれば泥棒だって入れないだろう。
南米なら警察が信用できないが、ここの警察は威圧的になることなく、きっちりと仕事をしている印象を持った。
これだけの災害で街中に混乱が見られないのは、行政というものが機能的に動いているからだろう。非常時に敏速に動ける公共機関。
常日頃から言っているが、つくづくニュージーランドという国は社会が成熟した大人なんだと思う。
日本とは逆だ。
行政というものが足かせとなり、非常時に何も動けない社会は未熟で幼稚なのだ。
帰り道は弥次馬に早変わり、写真を撮りながら歩く。
窓ガラスが割れて落ちてきたら大ケガをするだろうが、地震の起こったのが早朝4時半という時間で、人通りもなく怪我人もほとんどでなかった。
これが昼間とか夜の盛りだったら被害はかなり大きくなっただろう。
来るときに会った警官とも挨拶を交わしながら歩く。
皆、自分がやるべき事をやっている人達で、いい顔をしている。
権力というものを傘に威張ることなく、気さくなニュージーランド人そのものだ。
帰りは崩壊した建物の写真を撮りながら進む。
見事なつぶれ方をした建物、崩れた家でひん曲がった信号機、被害は街のあちこちに見られる。
これだけの災害で死者は1人。その人も家の下敷きになったわけではなく、地震でびっくりして心臓麻痺になったらしい。
直接の死者はゼロである。
マグニチュード7,1というのはかなりの大地震である。
それだけの地震で多少の怪我人だけというのは奇跡だ。
地震の起こった時間も週末の早朝。一番被害や混乱の少ない時間に起きた事は偶然ではない。
やはりこの国は、『何か大いなる力』によって守られている。
帰りに女房の仕事仲間の家に寄る。
お茶を貰ううちに電気が復旧した。
ちょうどニュースの時間なので皆でテレビを見る。
ニュースでは目撃者が体験談を語っていた。
「割れたガラスが上から降ってきて怖かった。まるでハリウッド映画のようでした」
「とんでもない揺れでパニックになりました」
「水も電気も電話も止まってどうすればいいのか分からなかったわ」
全部その人達の本音だろう。
流れる映像は水浸しになった道路、割れた窓ガラス、物が散乱した商店、つぶれた家、火事で窓から火を吹く家、崩れた煉瓦の煙突。
だがボクは妙に冷めた目でそのニュースを見ていた。
以前友達が言っていた。
「ニュースはエンターテイメントだ」
大衆が望んでいるものは刺激的な映像であり、目撃者の恐怖にかられた体験談なのだ。
「うちでは娘がすやすや寝ていて、家の被害もなく、ご飯も美味しく食べ、その後家族でフリスビーをしました」ではニュースにならない。当たり前だ。
同じ経験をしても人間のとらえ方は違う。
ある人は面白いと思うことが、別の人にはつまらないことになる。ある人には怖いと思うことが、別のひとにはワクワクする出来事になる。
それぞれの人がその人の主観というもので発言をする。
ニュースでは恐怖にかられた体験談が取り上げられ番組が作られる。見ている方はまるでそこにいる全ての人がそういう経験をしたかのように思ってしまう。
恐怖は媒体を通して伝染して不安となる。
心配する気持ちは分かるが、北海道で起きた地震で九州の人を心配するようなことも生まれる。
友達が言った、ニュースはエンターテイメントだという言葉はこういう意味なのだろう。
うちにはテレビがないので久しぶりにテレビを見るとこういう白々しさを感じてしまう。
たぶんこれからも家にはテレビは置かないだろう。
今回の地震ではいろいろなことが見えてきたし、心に残った。
先ずは誰も死んでいないこと。ボクの中ではこれはトップニュースである。
これだけの大地震で死人がゼロ?とんでもなくすごいことで喜ばしい事だ。命があればこそ、被害だ復興だと言ってられる。死んじまったらそれどころではない。
生きるから喜びがあり、生きるから哀しみもある。
地震が怖いと言いながら生きるのも良かろう。
地震、雷、火事、親父。地震とは怖い物ランキングのトップなのだ。ナンバーフォーのオヤジは最近は怖くはないが・・・・。
それぐらい生きること、死なないということは大きな意味があることなのだが、生きることは当たり前になっているので、大きくとりあげられない。
ちなみにこの日、西海岸のフォックス・グレーシアでは飛行機が落ちて9人死んだ。
怪我人が極端に少ないというのも同じこと。そりゃこれだけの地震だ。怪我人ゼロというのは無理がある。
だが、大した怪我人もでなかったのは不幸中の幸いと言うより他はないだろう。
それから地震が起こった時間が土曜日の早朝、一番被害が少ない時間というのにも意味がある。
これは人が死なない、怪我人が出ないということに重なるが、社会的にも一番混乱の少ない時間であろう。
おかげで人々は土曜日と日曜日、週末を使い復興へと動き出せた。
人間のカレンダーは週末と平日というように区切られている。月曜になれば子供は学校へ行くし、大人は会社へ行く。
月曜日、社会自体が動き出す前に2日間を災害の復興にあてられたというのは、混乱をさけるためベストの時間帯だったとしか言いようがない。
偶然でかたづけるには大きすぎる出来事だとボクは考える。
地震の後の人々の動きも注目に値する。
機能的な社会、この一言に尽きるが混乱がなく迅速な復興への動き。
警察や軍隊が機能的に動き、行政というものが足かせにならずに社会が動く。
白人社会の特徴としては合理性というものがある。それがこの非常時にうまく作用していた。
建物は赤、黄、緑に色分けされ、危険な物には入れないが危険でないものには入れるようになった。合理的である。
全てを危ないという一言でくくることなく、使える施設は使い、危ない物は撤去する。
そういう姿勢が混乱のない社会を産む。さすがニュージーランド。こういう所は進んでいると思う。
必要な情報はメディアやネットで流し、個人がそれに沿って行動する。
結果スムーズに復興へと流れていった。
いくつかの古い歴史的な建物は地震で崩れてしまったが、それを嘆いても仕方ない。
形ある物はいつか崩れる。それに固執するのは執着だ。
マイナス無しのプラスはありえない。
ボクにはこの地震でたくさんのプラスの点が見えた。
深雪のフリスビーが上手くなったのも、もちろんプラスである。
最後にボクが信じるマオリの神、天の神であり父方の神、イーヨ・マトゥアがこの地を救ってくれた事に感謝をしながらこの話を終える。
アウエ ワイルア イーヨ マトゥア
この想いをあなたに イーヨ マトゥア。
人間が生きていく上で、息を吸うことと水を飲む事の次に大切なのは飯を食うことだ。
昼飯はラーメンである。
冷凍庫にスープを凍らしたものがあり、冷蔵庫に焼き豚の残りとキャベツがある。庭には立派なネギが生えている。納豆と物々交換をした産みたて卵もある。
贅沢なラーメンだ。
こんな時でも、いやこんな時こそ家族揃って楽しく美味しいご飯を食べる。大切なことだ。
女房が作ってくれたラーメンが美味い。幸せとは常にそこにあるものなのだ。
午後になっても揺れはある。家の外より中に居る方が揺れは感じるようだ。
ボクは深雪に言った。
「地震なんてのは地球のおならみたいなものなんだよ。こういう小さい地震は地球がプッとおならをしたのさ。だけどたまにおならだと思ってしたらウンコが出ちゃうときもあるだろ?それが朝の大きな地震だったんだよ」
地震とは地球のエネルギーが外に出る現象だ。夫婦ゲンカもそうだがエネルギーが溜まりに溜まるとどかーんと爆発してしまう。こういったエネルギーはある程度小出しにした方が良いのだろう。
天気も良いので家族で散歩に出かける。
家に閉じこもっている理由は無い。
メインストリートは車の通りも普段と変わらず、言われなければ大地震の後とは思えないのどかさである。
だが良く見るとアスファルトが割れていたり、液状化現象で砂が地表に吹き出す箇所があった。信号はまだ復旧しておらず、交差点で多少の混乱が見られた。
近くの公園までぐるっと廻る。日差しは暖かく雪をのせた山が広がる。典型的な春のカンタベリーの一日だ。
女房が言った。
「今度の地震では犬が吠えないわね。日本で地震にあったときは犬がワンワン吠えたんだけどなあ」
確かにそうだ。家の隣も裏も犬を飼っているが、犬の吠える声を聞いていない。
犬も本能的にこの地震では大丈夫、ということを感じているのかもしれない。
散歩の途中で犬をつれている人に会ったが、どの犬も普段通り落ち着いている。
散歩の途中でオノさんから安否を気遣うメッセージが入った。
オノさんはいつもローマ字読みでメッセージをくれる。丁寧なメッセージだがとても読みにくい。
内容はこうだ「ウチモソウデスケド コンナトキニ カゾクノ キズナノ タイセツサヲ カンジマス。ゼッタイ マケズ カゾクノヨサヲ タイセツニ オタガイ ガンバリマショウ」
とてもフリスビーをやって遊んでます、とは言いにくかったので「ハイ ガムバリマス」と返信した。
ボクは今は仕事がないので気が楽だが、こんな時に仕事がある人はたいへんだ。
電話がかかってきて女房のオフィスのアラームが鳴っていると連絡が入った。
どうなっているか分からないが、一応街へ行ってみるというので、ボクも深雪も見物がてらついていくことにした。カメラをもって弥次馬根性丸出しである。
家を出てメインストリートへ。近所の信号はまだ動いていない。
道を進むにつれ地震の被害があちこちで見られる。
傾いた街灯、たれ下がった電線。なんとなく街がざらついているような浮ついているような、不思議な雰囲気である。
街の中心に近づくと、ざらついた感じはさらに強まり、違う何かがあった。
クライストチャーチは大聖堂を中心に碁盤の目のように街が広がっている。
コロンボストリート、マンチェスターストリートが南北を通るメインの通りなのだが、そこはかなり離れた所でがっちりと閉鎖されていて車を停める余裕もない。
仕方がないので警備の手薄な所をねらって車を走らせる。
案の定、街の裏側の方は車も少なく中心から数ブロックの所に車を停めた。
3人で歩いて街の中心に向かうがロープが張られ簡単には入っていけない雰囲気がある。
そこにいた白バイ警官に女房が事情を説明する。
「ヒアフォード・ストリートにオフィスがあって、警備の会社から連絡がありアラームがなっているようなんですが」
「街の中心は入れないけど、まあ次の辻の所の警官に話してみなさい」
この問答はこの先何回も繰り返すことになる。
そしてぼくらはロープの中へ。
そこから中は歩行者天国状態。無人のビルの中からアラームが鳴っているのが聞こえる。
次の角へ来て警官と話す。全く同じ会話を繰り返す。警官の答も同じである。
そして次の角へ。人通りはまばらだ。
街の中心に近づくに連れ警備はものものしくなっていく。だが警官の態度は良く、威圧的な感じは一切ない。ここから先へ行くなら危ないから道のこっち側を歩きなさいと親切にアドバイスもしてくれる。
ビルの窓ガラスが割れ、ガラスが路上に散らばっている。一部崩壊した建物もある。
マンチェスターストリートまで来ても警官の答は同じである。
普段は賑やかなこの通りも今日は車もなく、所々にパトカーと消防車が見えるくらいだ。
崩壊して煉瓦が落ちた建物の辺りはテープが張られ、近くには近づけないようになっている。
先へ進むとテープではなくバリケードが置かれ、その先は歩いている人も見えない。
たぶんここまでだろうな。
警官と話をすると初めて違う答が返ってきた。
「建物の中には誰も入れません。落ち着いたらまた来てください」
まあ、そんなところだろう。ここで「いつになったら入れるの?」と警官に聞くのは意味のないことだ。誰にも分からない事だから。
それよりこれだけ警備がしっかりしていれば泥棒だって入れないだろう。
南米なら警察が信用できないが、ここの警察は威圧的になることなく、きっちりと仕事をしている印象を持った。
これだけの災害で街中に混乱が見られないのは、行政というものが機能的に動いているからだろう。非常時に敏速に動ける公共機関。
常日頃から言っているが、つくづくニュージーランドという国は社会が成熟した大人なんだと思う。
日本とは逆だ。
行政というものが足かせとなり、非常時に何も動けない社会は未熟で幼稚なのだ。
帰り道は弥次馬に早変わり、写真を撮りながら歩く。
窓ガラスが割れて落ちてきたら大ケガをするだろうが、地震の起こったのが早朝4時半という時間で、人通りもなく怪我人もほとんどでなかった。
これが昼間とか夜の盛りだったら被害はかなり大きくなっただろう。
来るときに会った警官とも挨拶を交わしながら歩く。
皆、自分がやるべき事をやっている人達で、いい顔をしている。
権力というものを傘に威張ることなく、気さくなニュージーランド人そのものだ。
帰りは崩壊した建物の写真を撮りながら進む。
見事なつぶれ方をした建物、崩れた家でひん曲がった信号機、被害は街のあちこちに見られる。
これだけの災害で死者は1人。その人も家の下敷きになったわけではなく、地震でびっくりして心臓麻痺になったらしい。
直接の死者はゼロである。
マグニチュード7,1というのはかなりの大地震である。
それだけの地震で多少の怪我人だけというのは奇跡だ。
地震の起こった時間も週末の早朝。一番被害や混乱の少ない時間に起きた事は偶然ではない。
やはりこの国は、『何か大いなる力』によって守られている。
帰りに女房の仕事仲間の家に寄る。
お茶を貰ううちに電気が復旧した。
ちょうどニュースの時間なので皆でテレビを見る。
ニュースでは目撃者が体験談を語っていた。
「割れたガラスが上から降ってきて怖かった。まるでハリウッド映画のようでした」
「とんでもない揺れでパニックになりました」
「水も電気も電話も止まってどうすればいいのか分からなかったわ」
全部その人達の本音だろう。
流れる映像は水浸しになった道路、割れた窓ガラス、物が散乱した商店、つぶれた家、火事で窓から火を吹く家、崩れた煉瓦の煙突。
だがボクは妙に冷めた目でそのニュースを見ていた。
以前友達が言っていた。
「ニュースはエンターテイメントだ」
大衆が望んでいるものは刺激的な映像であり、目撃者の恐怖にかられた体験談なのだ。
「うちでは娘がすやすや寝ていて、家の被害もなく、ご飯も美味しく食べ、その後家族でフリスビーをしました」ではニュースにならない。当たり前だ。
同じ経験をしても人間のとらえ方は違う。
ある人は面白いと思うことが、別の人にはつまらないことになる。ある人には怖いと思うことが、別のひとにはワクワクする出来事になる。
それぞれの人がその人の主観というもので発言をする。
ニュースでは恐怖にかられた体験談が取り上げられ番組が作られる。見ている方はまるでそこにいる全ての人がそういう経験をしたかのように思ってしまう。
恐怖は媒体を通して伝染して不安となる。
心配する気持ちは分かるが、北海道で起きた地震で九州の人を心配するようなことも生まれる。
友達が言った、ニュースはエンターテイメントだという言葉はこういう意味なのだろう。
うちにはテレビがないので久しぶりにテレビを見るとこういう白々しさを感じてしまう。
たぶんこれからも家にはテレビは置かないだろう。
今回の地震ではいろいろなことが見えてきたし、心に残った。
先ずは誰も死んでいないこと。ボクの中ではこれはトップニュースである。
これだけの大地震で死人がゼロ?とんでもなくすごいことで喜ばしい事だ。命があればこそ、被害だ復興だと言ってられる。死んじまったらそれどころではない。
生きるから喜びがあり、生きるから哀しみもある。
地震が怖いと言いながら生きるのも良かろう。
地震、雷、火事、親父。地震とは怖い物ランキングのトップなのだ。ナンバーフォーのオヤジは最近は怖くはないが・・・・。
それぐらい生きること、死なないということは大きな意味があることなのだが、生きることは当たり前になっているので、大きくとりあげられない。
ちなみにこの日、西海岸のフォックス・グレーシアでは飛行機が落ちて9人死んだ。
怪我人が極端に少ないというのも同じこと。そりゃこれだけの地震だ。怪我人ゼロというのは無理がある。
だが、大した怪我人もでなかったのは不幸中の幸いと言うより他はないだろう。
それから地震が起こった時間が土曜日の早朝、一番被害が少ない時間というのにも意味がある。
これは人が死なない、怪我人が出ないということに重なるが、社会的にも一番混乱の少ない時間であろう。
おかげで人々は土曜日と日曜日、週末を使い復興へと動き出せた。
人間のカレンダーは週末と平日というように区切られている。月曜になれば子供は学校へ行くし、大人は会社へ行く。
月曜日、社会自体が動き出す前に2日間を災害の復興にあてられたというのは、混乱をさけるためベストの時間帯だったとしか言いようがない。
偶然でかたづけるには大きすぎる出来事だとボクは考える。
地震の後の人々の動きも注目に値する。
機能的な社会、この一言に尽きるが混乱がなく迅速な復興への動き。
警察や軍隊が機能的に動き、行政というものが足かせにならずに社会が動く。
白人社会の特徴としては合理性というものがある。それがこの非常時にうまく作用していた。
建物は赤、黄、緑に色分けされ、危険な物には入れないが危険でないものには入れるようになった。合理的である。
全てを危ないという一言でくくることなく、使える施設は使い、危ない物は撤去する。
そういう姿勢が混乱のない社会を産む。さすがニュージーランド。こういう所は進んでいると思う。
必要な情報はメディアやネットで流し、個人がそれに沿って行動する。
結果スムーズに復興へと流れていった。
いくつかの古い歴史的な建物は地震で崩れてしまったが、それを嘆いても仕方ない。
形ある物はいつか崩れる。それに固執するのは執着だ。
マイナス無しのプラスはありえない。
ボクにはこの地震でたくさんのプラスの点が見えた。
深雪のフリスビーが上手くなったのも、もちろんプラスである。
最後にボクが信じるマオリの神、天の神であり父方の神、イーヨ・マトゥアがこの地を救ってくれた事に感謝をしながらこの話を終える。
アウエ ワイルア イーヨ マトゥア
この想いをあなたに イーヨ マトゥア。