感謝
2012-12-11 | 日記
朝起きて、美味しいお茶が飲めることに感謝。
良く眠れた事に感謝。
お日様が大地を照らしてくれる事に感謝。
雨が大地を潤してくれる事に感謝。
それによって庭の野菜が育ってくれる事に感謝。
野菜を食べて鶏が育ってくれる事に感謝。
そして毎日美味しい卵を産んでくれる事に感謝。
庭の食材で家族揃ってご飯を食べられる事に感謝。
美しい景色を眺められる事に感謝。
お客さんが喜んでくれる事に感謝。
仕事をしてお金を頂くことに感謝。
チップを頂くことに感謝。
頂いたチップでお酒を飲めることに感謝。
友達と出会えることに感謝。
フリスビーゴルフでエーちゃんをぎゃふんと言わせられることに感謝。
そのあとで一緒にビールを飲めることに感謝。
ツアーの後で犬が喜んで出迎えてくれる事に感謝。
娘の寝顔を見れることに感謝。
パソコンが当たり前に繋がることに感謝。
交差点で道を譲られる事に感謝。
ゴミ収集車がゴミを持っていってくれることに感謝。
人からの戴き物に感謝。
タイミングが合わなくて会えなくても、「鶏のからあげがあるから持っていこうか?」と言ってくれる気持ちに感謝。
庭の食材を喜んでもらってくれる人に感謝。
鶏の糞や残飯を分解してくれる微生物に感謝。
ツアー中、立ち寄る店でコーヒーを出してくれる人に感謝。
高価な山のギアを使わせてくれるスポンサーに感謝。
普通に息ができることに感謝。
森を歩ける事に感謝。
手作り豆腐を頂いた事に感謝。
それがとんでもなく旨いことに感謝。
笑い声のある家庭に感謝。
娘の成長に感謝。
そして全てをひっくるめた、今この瞬間生きているという事に感謝。
幸せに生きるということは、今そこにある物事に焦点をあてて感謝の気持ちを感じることである。
目に見えないような微生物のおかげで自分の暮らしが成り立っている、というような事を自覚することである。
当たり前に太陽が東の空から昇ると言う事に喜びを感じることである。
人間から見ればありがたくないようなことでも、自然の摂理の一つとしてとらえ、地球にとってこれが必要な事として受け入れることである。
だが、そうは言っても人間である。
虫が好かないヤツもいれば、腹が立つことだってある。
本来ならそういったものにも感謝をするべきだが、感情としてそれは無理。
それならそれで、そこに至らない自分を見つめ、それも受け入れる。
人間とは所詮、不完全なものなのだ。
そんな不完全な人達がこの社会を作り上げている。
社会が不完全なのは当たり前だ。
だがそこであきらめてはいけない。
「何故、自分はこの世に生まれてきたのか」という答の出ない問いの答の一つがそこにある。
不完全な人間が、少しでも物事を良くしようと上を目指してがんばる。
その姿勢ではなかろうか。
ヨーガの目的がポーズを作り上げることではなく、できようができまいが、そこに向かって努力することが目的のように。
自分にとって嬉しいことに感謝をすることは簡単だが、自分にとって嬉しくない事にまで感謝するのは容易ではない。
それができれば聖人なのだろう。
ボクの名前は聖だが、まだ名前に追いついていない。
心を落ち着けて、全ての物事を受け入れて、感謝。
この探求の旅は永遠に続く。
良く眠れた事に感謝。
お日様が大地を照らしてくれる事に感謝。
雨が大地を潤してくれる事に感謝。
それによって庭の野菜が育ってくれる事に感謝。
野菜を食べて鶏が育ってくれる事に感謝。
そして毎日美味しい卵を産んでくれる事に感謝。
庭の食材で家族揃ってご飯を食べられる事に感謝。
美しい景色を眺められる事に感謝。
お客さんが喜んでくれる事に感謝。
仕事をしてお金を頂くことに感謝。
チップを頂くことに感謝。
頂いたチップでお酒を飲めることに感謝。
友達と出会えることに感謝。
フリスビーゴルフでエーちゃんをぎゃふんと言わせられることに感謝。
そのあとで一緒にビールを飲めることに感謝。
ツアーの後で犬が喜んで出迎えてくれる事に感謝。
娘の寝顔を見れることに感謝。
パソコンが当たり前に繋がることに感謝。
交差点で道を譲られる事に感謝。
ゴミ収集車がゴミを持っていってくれることに感謝。
人からの戴き物に感謝。
タイミングが合わなくて会えなくても、「鶏のからあげがあるから持っていこうか?」と言ってくれる気持ちに感謝。
庭の食材を喜んでもらってくれる人に感謝。
鶏の糞や残飯を分解してくれる微生物に感謝。
ツアー中、立ち寄る店でコーヒーを出してくれる人に感謝。
高価な山のギアを使わせてくれるスポンサーに感謝。
普通に息ができることに感謝。
森を歩ける事に感謝。
手作り豆腐を頂いた事に感謝。
それがとんでもなく旨いことに感謝。
笑い声のある家庭に感謝。
娘の成長に感謝。
そして全てをひっくるめた、今この瞬間生きているという事に感謝。
幸せに生きるということは、今そこにある物事に焦点をあてて感謝の気持ちを感じることである。
目に見えないような微生物のおかげで自分の暮らしが成り立っている、というような事を自覚することである。
当たり前に太陽が東の空から昇ると言う事に喜びを感じることである。
人間から見ればありがたくないようなことでも、自然の摂理の一つとしてとらえ、地球にとってこれが必要な事として受け入れることである。
だが、そうは言っても人間である。
虫が好かないヤツもいれば、腹が立つことだってある。
本来ならそういったものにも感謝をするべきだが、感情としてそれは無理。
それならそれで、そこに至らない自分を見つめ、それも受け入れる。
人間とは所詮、不完全なものなのだ。
そんな不完全な人達がこの社会を作り上げている。
社会が不完全なのは当たり前だ。
だがそこであきらめてはいけない。
「何故、自分はこの世に生まれてきたのか」という答の出ない問いの答の一つがそこにある。
不完全な人間が、少しでも物事を良くしようと上を目指してがんばる。
その姿勢ではなかろうか。
ヨーガの目的がポーズを作り上げることではなく、できようができまいが、そこに向かって努力することが目的のように。
自分にとって嬉しいことに感謝をすることは簡単だが、自分にとって嬉しくない事にまで感謝するのは容易ではない。
それができれば聖人なのだろう。
ボクの名前は聖だが、まだ名前に追いついていない。
心を落ち着けて、全ての物事を受け入れて、感謝。
この探求の旅は永遠に続く。