あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

人との出会い

2012-12-20 | 
この世に偶然はない。
全て必然のものであり、その中で僕達は生かされている。
人との出会いも又、然り。
なるべくしてなっている。
それらはタイミングというもので調整されている。
会うべくする人とは自然にそうなるし、会わない時はどんなにがんばっても会えないものなのだ。
僕は仕事をしていて、常にそれを感じる。
そういった出会いを感じることは楽しいものだ。

この前出会った添乗員は霊感の強い人で僕の前世が見えるようだった。
「あなたは以前僧侶だったようですね」
「はあ、そうですか」
僕自身、輪廻転生を信じているのでこういった話もすんなり受け入れられる。
こういう話を聞いても驚かない。
それよりも『やっぱりそうか』という思いがあった。
その人曰く、僕は仏師だった時もあるそうだ。
仏師という慣れない言葉を聞いて物資と勘違いして、物資を荷馬車で運ぶ人を思い浮かべたがピンと来なかったが、よくよく聞いてみてると仏像などを彫る人だったのだそうな。
それならば心の遠い奥にそういうイメージが湧くことはたまにある。ピンと来る。
それからキリスト教徒だった時もあるそうだ。
僕の宗教観とは、キリスト教も仏教もイスラム教も聖教も根底では全て一つ、というものだからこれもありえるだろうな、と思った。
「人間以外の物はないんですか?ミジンコだったとか、ガラパゴスの大亀だったとか、恐竜だったとか、マンモスで生まれてきてはじめ人間ギャートルズに食べられちゃったとか、そういうのはないんですか?」
と尋ねたが、笑って相手にしてくれなかった。
とまあ面白い出会いもあるものである。

もう何年も前になるが、その時の人はこれ以上無いというぐらい嫌味なババアで、僕の言う事全てにケチをつけた。
たまたま一緒のツアーになった人が「もうあの婆さんとは一緒に行動したくない」と言い出すぐらいの意地悪婆さんだった。
僕はツアーの時にも気が向けばマオリの唄などを歌う事がある。
その時もマオリの唄を一曲歌ったが、その婆さんはこう言った。
「日本の人でもボサノバを歌う人がいるけど、どんなにがんばっても土着の人のようには歌えない。そんなのがんばるだけ無駄だわ。悲しくなるわね」
僕は手を握り締め、怒りに耐えた。
何故、僕が怒ったのか。
それはその婆さんの言う事が真実だからである。
僕はマオリではない。
日本人の僕がどんなにがんばろうと、マオリのようには唄えない。
婆さんの言うとおりだ。
真実を突きつけられると人は傷つく。
だけど、だけど、だけど、一言言わせてもらえるならば・・・。
「お前には言われたくねえぞ、クソババア」
そのツアーでは嬉しい出会いもあったが、その婆さんに振り回されエネルギーを奪われ僕はぐったりした。
エネルギーが下がったまま次のツアーが始まり、そこでまた新たな出会いがあった。
今から考えると、あの時にあの婆さんに出会う事に意味があったのだろう。
一度、落ちる必要があったのだ。
その後の色々な流れを見ると、あの時の出会いは納得がいく。
その婆さんは今でも好きになれないが感謝をしている。
嫌いな人にもありがたやありがたやなのだ。

それからというもの、嫌な感じの出会いはほとんどなくなった。
人は自分を映す鏡なので、自分の目の前に現れる人を見れば自分の状態が分かる。
こうなると面白い物で、エネルギーを奪うような人は僕を避ける。
避けるというより自然に遠ざかっていくのだ。
同じ店にいながらタイミング良くというのか、会わない時は会わない。
それよりも嬉しい出会い、楽しい出会いは次々にやってくる。
それも信じられないようなタイミングでやって来る。
どんなに忙しかろうが、会うべく人達がNZに来るという時だけ、まるでジグソーパズルがぴったりはまるようにポッカリと時間が取れる。
直前でスケジュールが変わった時なども、『ああ、この人に会うために仕事が急に変わったんだな』と思うことは数多い。
もちろん前々から決まっていた仕事で、『やっぱりこういう出会いだったのか』と思うことも多い。
出会う人も様々である。
普通の勤め人から大会社の会長さんまで。
一流のスキーヤーや映画スター、はたまた貧乏旅行をしている若者。
先日は噂に聞く薩摩隼人にも出会った。
自転車で世界一周をしている人との出会いもあった。今そいつはアフリカにいる。
何年も前から仕事で顔を合わせている人とも繋がりができて、家に来てくれるようになった。
一度だけ出合った人が、僕の話を聞いてルートバーンを歩きたくなり再びNZにやってきた、というものもあった。嬉しい限りである。
出合うのは人だけではない。
我が家の犬のココとも運命的な出会いがあった。
この前会った人は「自分はシリウスから来たとずーっと思っていたが実は違う星から来ていることが分かった」と言っていた。
まあ僕の周りは自称宇宙人の友達は何人もいるので、こういう話も別に驚かない。
庭の鶏達とも出会いだし、野菜たちとも出会いだ。
様々な人々がいて、様々な出会いがある。
一度だけの出会いもあるし、仲良くなって家に遊びに来る出会いもある。
みんな違ってみんな良し、なのだが根底にあるのは一期一会だ。
今まであった全ての出会いに感謝。
そしてこれからやってくる出会いにも感謝。
最後はやっぱり、ありがたやありがたや、なのである。

コメント (6)
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