自転車が好きである。
幼稚園の頃、自分の自転車を買ってもらい補助輪なしで乗れるようになると行動範囲がぐんと広がった。
小学生になると友達同士で遠乗りをするようになったし、高校も10キロぐらい離れた街まで自転車で通っていた。
高校の時に女の子を後ろに乗せて夜の清水港へ行った甘酸っぱい思いでもある。
高校生の頃の夏の夜だったか、一人で近くの砂浜へ自転車で行きビールを飲みながら遠くの雷を眺めていたらいつのまにか寝てしまい、急に辺りは夕立になりずぶ濡れになって帰ったこともあった。
こうやって自分の過去をノスタルジックに振り返ると、数々のシーンに常に自転車があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/46/cd750ed842c893a1243527db7caede2a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/8d/9b83f39fd3334b4e456aefa45643b8f1.jpg)
自転車というものは自分で漕がなければ走らない。
当たり前だ。
楽ではない。
エンジンがついている乗り物ならばアクセルだけで前へ進むが、自転車の原動機は自分の体である。
同じ感覚で言えばカヌーやカヤックだろう。
自分で漕いで風を切って走るあの爽快感は車で味わえないものだ。
そして人間が景色を見るのに一番適しているのは自転車のスピードなんだそうな。
車だと速過ぎるという。
うむ、なんとなく分かる。
この夏、クィーンズタウンでそんな自転車にはまってしまった。
ニュージーランドでは自転車の道があちこちにできている。
セントラルオタゴのサイクルトレイルは10年ぐらい前に走ったが、2泊3日150キロの自転車の旅は素晴らしいものだった。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/otago1.htm
この話は数ある文の中でも僕が最初に書いたもので、読み返してみると妙に英語の表記が多く文章はお粗末だが雰囲気は伝わると思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/16/c0060eb91b35f060e4452763993a5df1.jpg)
最近ではアルプスから太平洋までの4日ぐらいかけて走るコースなど長いトレイルもできている。
これからもどんどんこういうコースは増えていくだろう。
クィーンズタウン近辺でも自転車道は整備されて、観光スポットも自転車で周れるようになった。
夏の間、僕が住んでいた場所がこのサイクリング道と隣接していたこともあり、暇さえあれば僕は自転車に乗っていた。
車で5分のお店に買い物に行くのも遠回りをしながら、往復数時間かけてのんびりと。
アロータウンの友達の家には車なら8分、自転車なら45分、帰りは酔っ払い運転で酔いを醒ましながら帰る。
半日かけて遠出をして郊外のゴルフリゾートまで走り、帰りは友達に迎えに来てもらうなんてのありだ。
一度は友達の娘を連れて、半日かけてバンジージャンプの橋まで走った。
1日の仕事を終えて晩飯を食べた後、夕日を見にその辺まで、そんなこともあった。
時間の使い方は自由、その日の天気と気分でサクっと散歩気分で行ける環境だったのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/88/b47962b0c0ae1b278a4465a2d1ba4df8.jpg)
家から5分も走れば住宅地を抜けて川沿いの自転車道にでる。
カワラウ川が悠々と流れ、目障りな人口構造物の無い世界に行ける。
車の道から遠く離れているので静かだ。
時々観光客を乗せたジェットボートが通るが、それはご愛嬌。にこやかに手を振ってあげる。
船が過ぎれば静けさは戻ってきて小鳥のさえずりが聞こえる。平和だ。
例えばこの道を同じ距離歩いたら、単調でつまらないと思う。
自転車でちょうど良い場所というものもある。
道はアップダウンを繰り返す。
僕は根性がないのでちょっとした登りになるとすぐに降りて押してしまう。
そして下りは楽だし早い。
マウンテンバイクのダウンヒルではないので勾配もそれほど急ではない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/8e/99df90ae3d7ad87ba936cc94a8722020.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/fb/eac7b28f3fdebced21b1b15d59b65dee.jpg)
ダウンヒルは同じ自転車でも、もはや別のスポーツだと思う。
若い時に一度、マウンテンバイクの世界選手権だったかワールドカップだったか、コース作りをしたことがある。
こんな所を降りるのか、と思うような場所を選手は飛ぶように降りていく、と言うより落ちていく。
自転車の構造も違うし、プロテクターをつけて完全防備でぶっ飛ばしていく。
自分ではこれはやらないなと思った。怖いもの。
競技としてはやらないが、遊びならば面白いだろう。
クィーンズタウンでもゴンドラに自転車を積んでダウンヒルをするコースが数年前に出来た。
スキーをリフトに乗ってやるようなものだ。
コースも初級者向けの緩やかなものから上級者向けの急なものまで、これもスキーと一緒だ。
僕は一応スキーのプロなので超上級コースも行けるが、マウンテンバイクの腕前は中級ぐらいか。
そのうちにゴンドラのダウンヒルをやってみたいと思う。
又、ロードという分野もある。
こちらはスピード重視、車輪は細く車体は軽く、走る道も舗装路を行く。
これもぼくのスタイルではないので今後もやることはないだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/b3/02e705813ffbd2c303c25249208ad050.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/f3/33c602a90276127fd96cedf3a248bc34.jpg)
クィーンズタウン近辺のサイクリングの道は道幅も広く、並んで話をしながらでも走れる。
道はよく整備されママチャリだって走れる。
何より車の道と離れているのが良い。
車が百キロでぶんぶん走る横を自転車で走るのは怖い。
実際に事故だってある。
ここではその辺はきっちりと配慮され、ハイウェイでは車と交わらないように作られている。
そして川を渡るのも専用のつり橋がある。
ここで僕はやっつけられた。
この国に来て二十数年、まだこんな所があったのか、という思いである。
自分が知っていたあの川がこんなに深い谷だったとは・・・。
これはこの地をよく知っている(と思うのは何も知らないことなのだが)自分だからこそ感じる感覚だと思う。
何百回もこのすぐ近くを車で走っていたが、こんな場所があったなんて。
初めて来た人では、この感覚は味わえない。
これだからこの国の遊びはやめられない。
深く知れば知るほどに、自分は何も知らないのだと気づく。
禅問答のようだな。
同時によくこんな道を作ってくれたと思う。
感謝感謝、ありがたやありがたや。
ちなみにアローリバーにかかるつり橋はバンジーブリッジぐらいの高さがあり、横がネットで下が丸見えなので高所恐怖症の人は渡れない。
友達のえーちゃんもお約束のように渡れなかったし、かなちゃんも無理だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/2e/e1f2432e1e57a1ca946f090e4eb4efa9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/6b/e06b884dfca5a2008323abe034fe2d6e.jpg)
このサイクリング道ですごいと思ったのは、その徹底ぶり。
トイレはあちこちに設置され、何箇所かはそこにコンプレッサーの空気入れもある。
ハイウェイでは車と交差することのないルート設計。
どうしても渡らなければならない場所では、車側にも自転車側にも注意を促す看板がある。
要所要所には地図があり、ポイントごとにどのルートで走るか選ぶことができる。
自転車屋、案内所、協賛しているお店では無料の地図が置かれている。
観光スポットやお店には駐輪スペースがきっちりとある。
レンタルのお店も増え、片道だけの送迎サービスなど地元も活性化している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/bc/054c8dad2f507620cb387097f259968d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/6d/be3e19f2cbe4d51fc56cf839df32ddf7.jpg)
違う視点で物を見るというのは人間にとっていい刺激になるのだろう。
自転車で走る事により、今まで見ていて見えなかった地形というものが感じられる。
ちょっと走って振り返れば、あの丘をぐるりと回って来たんだなあ、という旅のような感覚も感じられる。
人はあまりに身近にあると、人の話を聞いたり写真を見ただけで自分がやった気分になってしまう。
クィーンズタウンに住んでいながらルートバーン(たとえ1日ハイキングでも)を歩いた事のない人はたくさんいる。
実際に自分の身をその場に置く、これこそが大切なのではなかろうか。
風を切り、鳥の声を聞き、草木の匂いを嗅ぐ。
自分の住んでいるすぐ近くに新しい発見はある。
それは突き詰めると自分自身に戻っていく。
内観、これをなくしての明るい未来はない。
そんなことをボーっと考えながら走ったこの夏だったのだ。
おしまい。
幼稚園の頃、自分の自転車を買ってもらい補助輪なしで乗れるようになると行動範囲がぐんと広がった。
小学生になると友達同士で遠乗りをするようになったし、高校も10キロぐらい離れた街まで自転車で通っていた。
高校の時に女の子を後ろに乗せて夜の清水港へ行った甘酸っぱい思いでもある。
高校生の頃の夏の夜だったか、一人で近くの砂浜へ自転車で行きビールを飲みながら遠くの雷を眺めていたらいつのまにか寝てしまい、急に辺りは夕立になりずぶ濡れになって帰ったこともあった。
こうやって自分の過去をノスタルジックに振り返ると、数々のシーンに常に自転車があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/46/cd750ed842c893a1243527db7caede2a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/8d/9b83f39fd3334b4e456aefa45643b8f1.jpg)
自転車というものは自分で漕がなければ走らない。
当たり前だ。
楽ではない。
エンジンがついている乗り物ならばアクセルだけで前へ進むが、自転車の原動機は自分の体である。
同じ感覚で言えばカヌーやカヤックだろう。
自分で漕いで風を切って走るあの爽快感は車で味わえないものだ。
そして人間が景色を見るのに一番適しているのは自転車のスピードなんだそうな。
車だと速過ぎるという。
うむ、なんとなく分かる。
この夏、クィーンズタウンでそんな自転車にはまってしまった。
ニュージーランドでは自転車の道があちこちにできている。
セントラルオタゴのサイクルトレイルは10年ぐらい前に走ったが、2泊3日150キロの自転車の旅は素晴らしいものだった。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/otago1.htm
この話は数ある文の中でも僕が最初に書いたもので、読み返してみると妙に英語の表記が多く文章はお粗末だが雰囲気は伝わると思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/16/c0060eb91b35f060e4452763993a5df1.jpg)
最近ではアルプスから太平洋までの4日ぐらいかけて走るコースなど長いトレイルもできている。
これからもどんどんこういうコースは増えていくだろう。
クィーンズタウン近辺でも自転車道は整備されて、観光スポットも自転車で周れるようになった。
夏の間、僕が住んでいた場所がこのサイクリング道と隣接していたこともあり、暇さえあれば僕は自転車に乗っていた。
車で5分のお店に買い物に行くのも遠回りをしながら、往復数時間かけてのんびりと。
アロータウンの友達の家には車なら8分、自転車なら45分、帰りは酔っ払い運転で酔いを醒ましながら帰る。
半日かけて遠出をして郊外のゴルフリゾートまで走り、帰りは友達に迎えに来てもらうなんてのありだ。
一度は友達の娘を連れて、半日かけてバンジージャンプの橋まで走った。
1日の仕事を終えて晩飯を食べた後、夕日を見にその辺まで、そんなこともあった。
時間の使い方は自由、その日の天気と気分でサクっと散歩気分で行ける環境だったのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/88/b47962b0c0ae1b278a4465a2d1ba4df8.jpg)
家から5分も走れば住宅地を抜けて川沿いの自転車道にでる。
カワラウ川が悠々と流れ、目障りな人口構造物の無い世界に行ける。
車の道から遠く離れているので静かだ。
時々観光客を乗せたジェットボートが通るが、それはご愛嬌。にこやかに手を振ってあげる。
船が過ぎれば静けさは戻ってきて小鳥のさえずりが聞こえる。平和だ。
例えばこの道を同じ距離歩いたら、単調でつまらないと思う。
自転車でちょうど良い場所というものもある。
道はアップダウンを繰り返す。
僕は根性がないのでちょっとした登りになるとすぐに降りて押してしまう。
そして下りは楽だし早い。
マウンテンバイクのダウンヒルではないので勾配もそれほど急ではない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/8e/99df90ae3d7ad87ba936cc94a8722020.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/fb/eac7b28f3fdebced21b1b15d59b65dee.jpg)
ダウンヒルは同じ自転車でも、もはや別のスポーツだと思う。
若い時に一度、マウンテンバイクの世界選手権だったかワールドカップだったか、コース作りをしたことがある。
こんな所を降りるのか、と思うような場所を選手は飛ぶように降りていく、と言うより落ちていく。
自転車の構造も違うし、プロテクターをつけて完全防備でぶっ飛ばしていく。
自分ではこれはやらないなと思った。怖いもの。
競技としてはやらないが、遊びならば面白いだろう。
クィーンズタウンでもゴンドラに自転車を積んでダウンヒルをするコースが数年前に出来た。
スキーをリフトに乗ってやるようなものだ。
コースも初級者向けの緩やかなものから上級者向けの急なものまで、これもスキーと一緒だ。
僕は一応スキーのプロなので超上級コースも行けるが、マウンテンバイクの腕前は中級ぐらいか。
そのうちにゴンドラのダウンヒルをやってみたいと思う。
又、ロードという分野もある。
こちらはスピード重視、車輪は細く車体は軽く、走る道も舗装路を行く。
これもぼくのスタイルではないので今後もやることはないだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/b3/02e705813ffbd2c303c25249208ad050.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/f3/33c602a90276127fd96cedf3a248bc34.jpg)
クィーンズタウン近辺のサイクリングの道は道幅も広く、並んで話をしながらでも走れる。
道はよく整備されママチャリだって走れる。
何より車の道と離れているのが良い。
車が百キロでぶんぶん走る横を自転車で走るのは怖い。
実際に事故だってある。
ここではその辺はきっちりと配慮され、ハイウェイでは車と交わらないように作られている。
そして川を渡るのも専用のつり橋がある。
ここで僕はやっつけられた。
この国に来て二十数年、まだこんな所があったのか、という思いである。
自分が知っていたあの川がこんなに深い谷だったとは・・・。
これはこの地をよく知っている(と思うのは何も知らないことなのだが)自分だからこそ感じる感覚だと思う。
何百回もこのすぐ近くを車で走っていたが、こんな場所があったなんて。
初めて来た人では、この感覚は味わえない。
これだからこの国の遊びはやめられない。
深く知れば知るほどに、自分は何も知らないのだと気づく。
禅問答のようだな。
同時によくこんな道を作ってくれたと思う。
感謝感謝、ありがたやありがたや。
ちなみにアローリバーにかかるつり橋はバンジーブリッジぐらいの高さがあり、横がネットで下が丸見えなので高所恐怖症の人は渡れない。
友達のえーちゃんもお約束のように渡れなかったし、かなちゃんも無理だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/2e/e1f2432e1e57a1ca946f090e4eb4efa9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/6b/e06b884dfca5a2008323abe034fe2d6e.jpg)
このサイクリング道ですごいと思ったのは、その徹底ぶり。
トイレはあちこちに設置され、何箇所かはそこにコンプレッサーの空気入れもある。
ハイウェイでは車と交差することのないルート設計。
どうしても渡らなければならない場所では、車側にも自転車側にも注意を促す看板がある。
要所要所には地図があり、ポイントごとにどのルートで走るか選ぶことができる。
自転車屋、案内所、協賛しているお店では無料の地図が置かれている。
観光スポットやお店には駐輪スペースがきっちりとある。
レンタルのお店も増え、片道だけの送迎サービスなど地元も活性化している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/bc/054c8dad2f507620cb387097f259968d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/6d/be3e19f2cbe4d51fc56cf839df32ddf7.jpg)
違う視点で物を見るというのは人間にとっていい刺激になるのだろう。
自転車で走る事により、今まで見ていて見えなかった地形というものが感じられる。
ちょっと走って振り返れば、あの丘をぐるりと回って来たんだなあ、という旅のような感覚も感じられる。
人はあまりに身近にあると、人の話を聞いたり写真を見ただけで自分がやった気分になってしまう。
クィーンズタウンに住んでいながらルートバーン(たとえ1日ハイキングでも)を歩いた事のない人はたくさんいる。
実際に自分の身をその場に置く、これこそが大切なのではなかろうか。
風を切り、鳥の声を聞き、草木の匂いを嗅ぐ。
自分の住んでいるすぐ近くに新しい発見はある。
それは突き詰めると自分自身に戻っていく。
内観、これをなくしての明るい未来はない。
そんなことをボーっと考えながら走ったこの夏だったのだ。
おしまい。