クライストチャーチへ戻ってきて2週間というもの、太陽を見なかった。
毎日毎日、曇りもしくは霧雨か小雨、時には大雨土砂降りという天気だった。
雨が止んだ時を見計らって犬の散歩がてらマッシュルーム狩りをしたり、庭仕事をしたりという毎日だった。
温室が広いので雨でも何かしらの作業は出来るが、いかにせん気分が晴れない。
犬のココも部屋の中でつまらなそうな顔をしている。
洗濯も部屋の中に干して除湿機を使うというありさまだ。
そうこうしているうちにイースターホリデーとなった。
イースターは大型連休、日本で言えばゴールデンウィークのようなかんじで行楽地はどこも賑わう。
我が家は来客もありどこへも行く予定は無いので、天気が悪くてもまあしゃあないなとあきらめもつくが、遠くから来た友達がかわいそうだ。
毎日眺めている予報もずーーーーーーーーーーーーっと雨。
だったのだがいきなり晴れた。
こちらの天気予報はあまり当てにならないのだが、こういうはずれ方は嬉しい。
朝一で犬を散歩に連れて行く。
だだっ広い公園を自転車で走っている時に雲の切れ目から太陽が出た。
2週間ぶりに見る太陽だ。
僕はその場で太陽に向かって手を合わせた。
人間というのはどんな時でも幸せになれる。
長くぐずついた天気があればこそ太陽のありがたみを知る。
毎日毎日、日照りが続けば雨の有難さを知るだろう。
太陽を拝みながら感じた。
喜んでいるのは人間だけではない。
犬のココも嬉しそうだし、草も木も、遠くに見える山も、そして大地も喜んでいる。
ワンネス、人間だけでなく生きとし生けるもの全て、地球もそして宇宙も含めた一体感。
都会にいると忘れがちになるこの感覚を再び感じた。
そして自然と湧き上がる感情。
感謝である。
感謝をしなさい、とか感謝が足りないなどという言葉を聞くが、感謝とは強制されてするものではない。
心の中から湧き上がるものなのだ。
こうやって犬と散歩が出来る事に感謝。
太陽が出た事に感謝。
そして生きている事に感謝。
ありがたやありがたや。
家に帰ってからは忙しい。
晴れるのを待っていたことをやらねばならない。
庭の木を大量に切った枝が山積みになっている。
そして大根を植えるために深く掘った場所にコンポストを入れる作業。
近くのガーデンセンターでマッシュルームコンポストをトレーラーで買って、一輪車でせっせと運び込む。
自分の所で畑をやっていると金がかからないと思う人がいるがとんでもないことだ。
一輪車約20杯分のコンポストで35ドル。毎度あり~、ちーん。
そのトレーラーを返しに行きがてら今度は大量の枝を積みこみゴミ捨て場で捨てる。
重さで料金がチャージされるのだが今回は160キロ、しめて14ドル70セント。毎度あり~、ちーん。
トレーラーを返す時に時間で清算をする。
今回は2時間半のレンタル、1時間当たり5ドルだが、まあまけて2時間分10ドル。毎度あり~、ちーん。
僕はこのシステムがなかなか好きで、鳥小屋に蒔くオガクズや木の下にまくバーク(木の皮を砕いたもの)などの買い物をする。
こういう、やる気になれば何でも自分で出来るという所が、この国の住みやすいところだと思う。
ありがたやありがたや。
お日様が輝き青空の下、汗を流して働く喜び。
庭には洗濯物がはためき、犬のココが昼寝をする。
呼吸というものはただ単に空気を吸うだけのものではない。
空気と一緒に太陽の気も体に取り入れる。
プラーナヤーマという言葉がこれにあたる。
太陽というものは、お日様とかお天道様という言葉もある。
お天道様なんて、あーた、天の道ですよ。
日本語って素晴らしいな。
お天道様に顔向けできない、なんて言葉もあるが今の自分はどうだ?
まあ大丈夫だろうな。
そんな事を太陽を見ながら考えた、秋晴れの1日だったのだ。
毎日毎日、曇りもしくは霧雨か小雨、時には大雨土砂降りという天気だった。
雨が止んだ時を見計らって犬の散歩がてらマッシュルーム狩りをしたり、庭仕事をしたりという毎日だった。
温室が広いので雨でも何かしらの作業は出来るが、いかにせん気分が晴れない。
犬のココも部屋の中でつまらなそうな顔をしている。
洗濯も部屋の中に干して除湿機を使うというありさまだ。
そうこうしているうちにイースターホリデーとなった。
イースターは大型連休、日本で言えばゴールデンウィークのようなかんじで行楽地はどこも賑わう。
我が家は来客もありどこへも行く予定は無いので、天気が悪くてもまあしゃあないなとあきらめもつくが、遠くから来た友達がかわいそうだ。
毎日眺めている予報もずーーーーーーーーーーーーっと雨。
だったのだがいきなり晴れた。
こちらの天気予報はあまり当てにならないのだが、こういうはずれ方は嬉しい。
朝一で犬を散歩に連れて行く。
だだっ広い公園を自転車で走っている時に雲の切れ目から太陽が出た。
2週間ぶりに見る太陽だ。
僕はその場で太陽に向かって手を合わせた。
人間というのはどんな時でも幸せになれる。
長くぐずついた天気があればこそ太陽のありがたみを知る。
毎日毎日、日照りが続けば雨の有難さを知るだろう。
太陽を拝みながら感じた。
喜んでいるのは人間だけではない。
犬のココも嬉しそうだし、草も木も、遠くに見える山も、そして大地も喜んでいる。
ワンネス、人間だけでなく生きとし生けるもの全て、地球もそして宇宙も含めた一体感。
都会にいると忘れがちになるこの感覚を再び感じた。
そして自然と湧き上がる感情。
感謝である。
感謝をしなさい、とか感謝が足りないなどという言葉を聞くが、感謝とは強制されてするものではない。
心の中から湧き上がるものなのだ。
こうやって犬と散歩が出来る事に感謝。
太陽が出た事に感謝。
そして生きている事に感謝。
ありがたやありがたや。
家に帰ってからは忙しい。
晴れるのを待っていたことをやらねばならない。
庭の木を大量に切った枝が山積みになっている。
そして大根を植えるために深く掘った場所にコンポストを入れる作業。
近くのガーデンセンターでマッシュルームコンポストをトレーラーで買って、一輪車でせっせと運び込む。
自分の所で畑をやっていると金がかからないと思う人がいるがとんでもないことだ。
一輪車約20杯分のコンポストで35ドル。毎度あり~、ちーん。
そのトレーラーを返しに行きがてら今度は大量の枝を積みこみゴミ捨て場で捨てる。
重さで料金がチャージされるのだが今回は160キロ、しめて14ドル70セント。毎度あり~、ちーん。
トレーラーを返す時に時間で清算をする。
今回は2時間半のレンタル、1時間当たり5ドルだが、まあまけて2時間分10ドル。毎度あり~、ちーん。
僕はこのシステムがなかなか好きで、鳥小屋に蒔くオガクズや木の下にまくバーク(木の皮を砕いたもの)などの買い物をする。
こういう、やる気になれば何でも自分で出来るという所が、この国の住みやすいところだと思う。
ありがたやありがたや。
お日様が輝き青空の下、汗を流して働く喜び。
庭には洗濯物がはためき、犬のココが昼寝をする。
呼吸というものはただ単に空気を吸うだけのものではない。
空気と一緒に太陽の気も体に取り入れる。
プラーナヤーマという言葉がこれにあたる。
太陽というものは、お日様とかお天道様という言葉もある。
お天道様なんて、あーた、天の道ですよ。
日本語って素晴らしいな。
お天道様に顔向けできない、なんて言葉もあるが今の自分はどうだ?
まあ大丈夫だろうな。
そんな事を太陽を見ながら考えた、秋晴れの1日だったのだ。