翌日、僕達はホリフォード・バレーへ向かった。
いよいよ今回のメイントリップ、1泊2日の川下り&山歩きである。
今回は翌日の仕事に備えて早めにクィーンズタウンに戻りたいという僕の都合を聞き入れてトーマスが予定をしてくれた。
半日かけてのんびり川下り、半日かけてのんびり歩いて戻ってくる、そしてのんびりとクィーンズタウンに戻るという、とことんのんびりトリップだ。
のんびりと朝飯を食べ、妻子を送り出し、のんびりと準備をして出発。
5月になると太陽の角度も低く、谷底に日が差すのはお昼時から数時間。
なので出発地点でお昼を食べて、日が高い時に川下りをしようという話である。
おなじみのミルフォードロードから折れてホリフォード・ロードへ。
観光道路からの道は未舗装となり車もほとんど通らない。
この最果て感がたまらなく良い。
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車を進めていくとモレーンクリークの登山道にさしかかった。
僕らは車を停め、吊橋から川を眺めた。
「トーマスよお、ここを歩いたのは何年前だっけ?」
「あれは娘のマキが生まれる前だったから、かれこれ10年以上も前じゃないかな。」
「そうかあ、そんなになるんだ。お主との二人旅もあれ以来だよな」
「そうそう、お互いに忙しくなっちゃったからねえ」
10年前に歩いた話を僕は文に残した。
その時にボランティアだったトーマスは今では正式に雇用され、鳥を保護するチームの主力メンバーとなり、若い世代に仕事を教える立場になっている。
僕は基本的には変わらずに同じ事をやっている。
10年前に歩いた時に見上げたリムは同じ場所に立ち続け、あの時と同じように僕らを暖かく見守っていた。
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車を進め、道の終点へたどり着いた。
この先は歩く道しかない。ホリフォードトラックの出発点でもある。
ボートに空気を入れて膨らませ、水に浮かべて、昼飯を食う。
ランチはトーマスが作ったおにぎり。日本人じゃのう。
昼飯を食ってる間に中の空気が冷やされ収縮する。
そして乗り込む時に空気を足して再度パンパンにするのだ。
と偉そうに言うが、全部トーマスの受け売りである。
バックパックを船の前部にしばりつけ、船に乗り込み、いざ出発。
流れに漕ぎ出した。
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漕ぎ始めて数分、人の気配は一切消えて、完全な大自然の中に身をゆだねる。
流れは穏やかで漕ぐというよりボーっと流されて、時々思い出したように船の軌道を修正する程度だ。
スキーで言えば初級者用コースと言った具合。
ただしスキーの初級者コースでも完全に平らではなく所々にちょっとした凹凸や一瞬だけ斜度が変わるような場所はある。
それと同じように小さい瀬があったり、川が折れ曲がっている場所などで二つの流れが合わさるような所もある。
油断して流されていたら倒木にぶつかって沈しそうになった。
もし沈をしても川は浅いし流れは緩やかなので溺れる心配はない。
ちなみに僕はまだ沈したことはない。
したことは無いが、もしそうなったらどうする、ということを頭の中でシュミレーションはしている。
してはいるが、頭で想像するのと、実際にやってみるのとでは違うものということも理解している。
経験として沈は何回かした方がいいと思うが、できれば夏の暑い日にやりたいものだ。
季節は秋、水は切れるほどに冷たく、濡れてもいいような服は着てはいるものの、できることなら服は濡らしたくない。
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「この辺まで来るとだいぶリムが増えますね」
トーマスがつぶやいた。
確かにその通りで、ミルフォードロードはこの川の上流から源流部を通り、植生も高山植物から標高の高い所に生えるブナの森だ。
だがここまで来ると標高は200mぐらいで川の周りは湿地帯。
植生もリム、カヒカテア、といったこの国固有の針葉樹が増える。
林相が変わるとはこういうことだ。
雰囲気はもはやタスマン海がある西海岸のそれだ。
僕はここの西海岸の雰囲気が好きで、以前は1年に1回は足を運んでいたのだが、最近はそういうこともめっきり少なくなった。
今回は忘れかけていた西海岸への想いも思い出すことができた。
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船体の横にカラビナでコップをくっつけてあり、川の水をすくって飲む。
水は透き通るように綺麗で冷たく、当然ながら美味い。
そのまま飲めるような水が流れる川の川下りなんて贅沢な遊びだ。
綺麗な空気と綺麗な水、本来は地球上のどこにでもあったものだろうが、それらが今や人間の世界からは最も遠い所にある物になってしまった。
川は適度に折れ曲がっていて、その場その場で景色が微妙に変わる。
雲が切れて切り立った山と氷河が姿を現した。
一つの流れ込みを通過。この沢はあの氷河から来ているんだろうな。
そしてまたその水をすくって飲む。
幸せだ。
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ひたすらのんびりの川旅はいろいろなことを考える時間もある。
時間的に言えば数時間だが、密度の濃い時間である。
大自然という言葉が世俗的に感じてしまうぐらいの環境なのだが、そんな中にいると否応なしに自然のこと、地球のこと、地球の上での人間社会のことを考えてしまう。
僕達がこうやってのんべんだらりんと川下りをしている間にも、地球の裏側では人間同士が殺し合いをしているし、住む所を追われ日々の暮らしに窮している人もいる。
あまりに我が身とかけ離れた出来事だが自分と無関係ではない。
戦争を止めない人達を「あいつが悪い」と言うのは簡単だが、自分にもその責任は僅かでもある。
同じ星に住んでいる者としての責任は常に存在する。
もちろん僕は悪くない。悪くないが関係なくもない。
自分だけが良いのではなく、戦争を止めない人達の心の痛みも自分の物として受け入れることが、ワンネスというものではないだろうか。
そして目の前の自然に浸れることに喜びを見出し、今この瞬間に自分のできること、のんびりと川下りをするということを思いっきり楽しむのが、自分のやるべきことなのだろう。
人間とはどうあるべきか、何をするべきなのか。
答えの出ない問いを考え続けるのも、これまた人間の役割なのだろうか。
続く
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いよいよ今回のメイントリップ、1泊2日の川下り&山歩きである。
今回は翌日の仕事に備えて早めにクィーンズタウンに戻りたいという僕の都合を聞き入れてトーマスが予定をしてくれた。
半日かけてのんびり川下り、半日かけてのんびり歩いて戻ってくる、そしてのんびりとクィーンズタウンに戻るという、とことんのんびりトリップだ。
のんびりと朝飯を食べ、妻子を送り出し、のんびりと準備をして出発。
5月になると太陽の角度も低く、谷底に日が差すのはお昼時から数時間。
なので出発地点でお昼を食べて、日が高い時に川下りをしようという話である。
おなじみのミルフォードロードから折れてホリフォード・ロードへ。
観光道路からの道は未舗装となり車もほとんど通らない。
この最果て感がたまらなく良い。
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車を進めていくとモレーンクリークの登山道にさしかかった。
僕らは車を停め、吊橋から川を眺めた。
「トーマスよお、ここを歩いたのは何年前だっけ?」
「あれは娘のマキが生まれる前だったから、かれこれ10年以上も前じゃないかな。」
「そうかあ、そんなになるんだ。お主との二人旅もあれ以来だよな」
「そうそう、お互いに忙しくなっちゃったからねえ」
10年前に歩いた話を僕は文に残した。
その時にボランティアだったトーマスは今では正式に雇用され、鳥を保護するチームの主力メンバーとなり、若い世代に仕事を教える立場になっている。
僕は基本的には変わらずに同じ事をやっている。
10年前に歩いた時に見上げたリムは同じ場所に立ち続け、あの時と同じように僕らを暖かく見守っていた。
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車を進め、道の終点へたどり着いた。
この先は歩く道しかない。ホリフォードトラックの出発点でもある。
ボートに空気を入れて膨らませ、水に浮かべて、昼飯を食う。
ランチはトーマスが作ったおにぎり。日本人じゃのう。
昼飯を食ってる間に中の空気が冷やされ収縮する。
そして乗り込む時に空気を足して再度パンパンにするのだ。
と偉そうに言うが、全部トーマスの受け売りである。
バックパックを船の前部にしばりつけ、船に乗り込み、いざ出発。
流れに漕ぎ出した。
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漕ぎ始めて数分、人の気配は一切消えて、完全な大自然の中に身をゆだねる。
流れは穏やかで漕ぐというよりボーっと流されて、時々思い出したように船の軌道を修正する程度だ。
スキーで言えば初級者用コースと言った具合。
ただしスキーの初級者コースでも完全に平らではなく所々にちょっとした凹凸や一瞬だけ斜度が変わるような場所はある。
それと同じように小さい瀬があったり、川が折れ曲がっている場所などで二つの流れが合わさるような所もある。
油断して流されていたら倒木にぶつかって沈しそうになった。
もし沈をしても川は浅いし流れは緩やかなので溺れる心配はない。
ちなみに僕はまだ沈したことはない。
したことは無いが、もしそうなったらどうする、ということを頭の中でシュミレーションはしている。
してはいるが、頭で想像するのと、実際にやってみるのとでは違うものということも理解している。
経験として沈は何回かした方がいいと思うが、できれば夏の暑い日にやりたいものだ。
季節は秋、水は切れるほどに冷たく、濡れてもいいような服は着てはいるものの、できることなら服は濡らしたくない。
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「この辺まで来るとだいぶリムが増えますね」
トーマスがつぶやいた。
確かにその通りで、ミルフォードロードはこの川の上流から源流部を通り、植生も高山植物から標高の高い所に生えるブナの森だ。
だがここまで来ると標高は200mぐらいで川の周りは湿地帯。
植生もリム、カヒカテア、といったこの国固有の針葉樹が増える。
林相が変わるとはこういうことだ。
雰囲気はもはやタスマン海がある西海岸のそれだ。
僕はここの西海岸の雰囲気が好きで、以前は1年に1回は足を運んでいたのだが、最近はそういうこともめっきり少なくなった。
今回は忘れかけていた西海岸への想いも思い出すことができた。
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水は透き通るように綺麗で冷たく、当然ながら美味い。
そのまま飲めるような水が流れる川の川下りなんて贅沢な遊びだ。
綺麗な空気と綺麗な水、本来は地球上のどこにでもあったものだろうが、それらが今や人間の世界からは最も遠い所にある物になってしまった。
川は適度に折れ曲がっていて、その場その場で景色が微妙に変わる。
雲が切れて切り立った山と氷河が姿を現した。
一つの流れ込みを通過。この沢はあの氷河から来ているんだろうな。
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幸せだ。
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ひたすらのんびりの川旅はいろいろなことを考える時間もある。
時間的に言えば数時間だが、密度の濃い時間である。
大自然という言葉が世俗的に感じてしまうぐらいの環境なのだが、そんな中にいると否応なしに自然のこと、地球のこと、地球の上での人間社会のことを考えてしまう。
僕達がこうやってのんべんだらりんと川下りをしている間にも、地球の裏側では人間同士が殺し合いをしているし、住む所を追われ日々の暮らしに窮している人もいる。
あまりに我が身とかけ離れた出来事だが自分と無関係ではない。
戦争を止めない人達を「あいつが悪い」と言うのは簡単だが、自分にもその責任は僅かでもある。
同じ星に住んでいる者としての責任は常に存在する。
もちろん僕は悪くない。悪くないが関係なくもない。
自分だけが良いのではなく、戦争を止めない人達の心の痛みも自分の物として受け入れることが、ワンネスというものではないだろうか。
そして目の前の自然に浸れることに喜びを見出し、今この瞬間に自分のできること、のんびりと川下りをするということを思いっきり楽しむのが、自分のやるべきことなのだろう。
人間とはどうあるべきか、何をするべきなのか。
答えの出ない問いを考え続けるのも、これまた人間の役割なのだろうか。
続く
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