子供の頃からのラグビーファンでは無い。
ラグビーというスポーツをした事もないし、細かいルールは未だに分からない事もある。
第一、子供の頃にラグビーをやっている人も周りにいなかったし、清水という場所では全ての子供がサッカーをやっていた。
地元にクルセーダーズという強いチームがあり、家のすぐ近くのスタジアムでよく試合をやっているが、観戦に行った事は1回しかない。
それでも日本に住んでいる人よりはラグビーというスポーツは身近にある。
近所の公園にもラグビーのグラウンドはあるし、週末にはあっちこっちで子供から大人までラグビーの試合をしている。
現役の頃には選手だったという友達もいるし、たまに国民的英雄の選手を見かけることもある。
ワールドカップは全部見てきていて、もちろんニュージーランドを応援するし、最近は日本も強くなってきたので日本も応援する。
ラグビーのワールドカップはまだ歴史が浅く、第一回は1987年にニュージーランドで開催された。
唯一自慢できるのが、その第一回ワールドカップの決勝を生で見に行ったことである。
その時には今のように垢抜けてなく、もっと田舎くさい雰囲気の大会だった。
決勝戦でも試合が終われば当然のように観客がグラウンドに入り、子供達が選手の体をペタペタと触っていた。
古き良き時代だったのかもしれない。
今のようにショービジネスになったのも時代の流れであり、もちろんその裏にはセックス、スクリーン、スポーツというスリーエス政策も関係ある。
オールブラックスのユニフォームが、地元の会社カンタベリーからアディダスになったのももちろん関係ある。
そういえば、昔のカンタベリー社製のオールブラックスのユニフォームは格好良かったなあ。
スポーツというものが、政治や経済に利用されるのは今始まったことではない。
これはラグビーに限ったことではなく、サッカーだろうが野球だろうが全て同じであり、その極みがオリンピックである。
昔と今で違うことは情報の伝達速度が格段に速くなったので、地球の一部の地域でやっている事が瞬時に全世界へ中継される。
そしてまた情報量も膨大になっているので、ただ単に勝った負けただけの話ではなく、選手の動きはもちろん応援団や関係者の姿も全世界へ回る。
情報を発信する側も、メディアなど特別な存在だったのが、ネットの普及で誰でも発信できるようになった。
世界をとりまく情報の膜がどんどん厚くなっているというのが、自分の感覚だ。
そんな小うるさい事を言わず黙ってラグビー見てればいいじゃん、という声ももちろんある。
確かにそれも一理あるので、ラグビーの話に戻ろう。
自分が応援するのは先ず日本であるし、同時にニュージーランドである。
これは応援の種類が違う。
ラグビーというスポーツにおいて日本を応援するのは自国だからという点もあるが、善戦して欲しいという願いがある。
昔、それこそ第一回のワールドカップで100点差で負けた頃に比べると格段に強くなった。
最近では南アフリカに勝ったり強豪チームをそれこそ、『なめてかかったら痛い目にあわす』ような存在になった。
もちろんワールドカップで日本が優勝するとは思わないが、昔を知っている身とすればネズミがライオンの尻尾を噛みちぎるぐらいの、ジャイアントキリングとでも言うのか、そういう意味での応援である。
もう一方ニュージーランドを応援するのは、そこに住んでいるからというのももちろんだし、強さの象徴のようなものか。
他の国の人が聞いたら怒るかもしれないが、なんとなくオールブラックスってワールドカップで優勝して当たり前みたいな感覚がある。
それは第一回大会で優勝して国は小さいがラグビーは強いんだぞという事を全世界に見せつけて以来のカルマかもしれない。
ワールドカップを代理戦争とするなら、世界の片隅の小国が大国を打ち破り世界を制覇する。
漠然と優勝して当たり前という感覚を持っているぐらいだから、選手を始めコーチや関係者のプレッシャーはすごいものがあると思う。
似たような話で、ブラジルのサッカーの話がある。
ブラジルではサッカーのワールドカップにかける情熱がすごい。
オリンピックとか南米選手権とかそういうのはそこそこだが、とかくワールドカップに関しては優勝以外は全て失敗と言われている。
だいぶ昔の話だが優勝できなかった時に自殺やショック死する人がいたなんて話も残っている。
ブラジルは南米大陸最大の国で人口も多くまさに大国だが、ニュージーランドは人口500万人ぐらいの小さな国だ。
そんな小さな国がラグビーというスポーツの分野で世界を圧倒する。
物語的にもこれは面白い。
そんなオールブラックスだが大会直前に南アフリカに負けたり予選でフランスに負けたり、あまりいい話はなかった。
だが決勝トーナメントに入ってからは強豪アイルランドを僅差で破り、アルゼンチンにも買って決勝進出を決めた。
底力と言うのだろうか、やはりここ一番という時には強いな。
決勝戦は今週の日曜で泣いても笑っても、これで今回のワールドカップは終了。
ワールドカップという代理戦争は終わるが、世界の別の地域では戦争は終わらない。
代理戦争をしている事自体、それに出ている国は平和だと言える。
実際に戦争をしている状態ではスポーツどころの騒ぎではない。
ウクライナの戦争然りイスラエルの戦争然り、人類の歴史とは戦争の歴史とも言えよう。
ただ断言するなら、戦争は仕組まれている。
そして仕組む方は決して命の危機にさらされない。
死ぬのは常に一般大衆で、最大の被害者は女性や子供たちだ。
親より先に死ぬな、というのが僕が若い世代に伝える言葉だが、戦争とはそんな甘い言葉を簡単に踏みにじる。
そういうものだ。
平和なニュージーランドにいるから大丈夫という話ではない。
同じ星の地域ではそういうことが起こっている事を知りつつ、ワールドカップという世界一を決める試合を見よう。
純粋な気持ちでオールブラックスを応援しよう。
それにしても36年前、1987年に決勝を見に行った時には、将来こんなことをエラそーに書くなんて思いもしなかったなあ。
だから人生って面白いのだ。
ラグビーというスポーツをした事もないし、細かいルールは未だに分からない事もある。
第一、子供の頃にラグビーをやっている人も周りにいなかったし、清水という場所では全ての子供がサッカーをやっていた。
地元にクルセーダーズという強いチームがあり、家のすぐ近くのスタジアムでよく試合をやっているが、観戦に行った事は1回しかない。
それでも日本に住んでいる人よりはラグビーというスポーツは身近にある。
近所の公園にもラグビーのグラウンドはあるし、週末にはあっちこっちで子供から大人までラグビーの試合をしている。
現役の頃には選手だったという友達もいるし、たまに国民的英雄の選手を見かけることもある。
ワールドカップは全部見てきていて、もちろんニュージーランドを応援するし、最近は日本も強くなってきたので日本も応援する。
ラグビーのワールドカップはまだ歴史が浅く、第一回は1987年にニュージーランドで開催された。
唯一自慢できるのが、その第一回ワールドカップの決勝を生で見に行ったことである。
その時には今のように垢抜けてなく、もっと田舎くさい雰囲気の大会だった。
決勝戦でも試合が終われば当然のように観客がグラウンドに入り、子供達が選手の体をペタペタと触っていた。
古き良き時代だったのかもしれない。
今のようにショービジネスになったのも時代の流れであり、もちろんその裏にはセックス、スクリーン、スポーツというスリーエス政策も関係ある。
オールブラックスのユニフォームが、地元の会社カンタベリーからアディダスになったのももちろん関係ある。
そういえば、昔のカンタベリー社製のオールブラックスのユニフォームは格好良かったなあ。
スポーツというものが、政治や経済に利用されるのは今始まったことではない。
これはラグビーに限ったことではなく、サッカーだろうが野球だろうが全て同じであり、その極みがオリンピックである。
昔と今で違うことは情報の伝達速度が格段に速くなったので、地球の一部の地域でやっている事が瞬時に全世界へ中継される。
そしてまた情報量も膨大になっているので、ただ単に勝った負けただけの話ではなく、選手の動きはもちろん応援団や関係者の姿も全世界へ回る。
情報を発信する側も、メディアなど特別な存在だったのが、ネットの普及で誰でも発信できるようになった。
世界をとりまく情報の膜がどんどん厚くなっているというのが、自分の感覚だ。
そんな小うるさい事を言わず黙ってラグビー見てればいいじゃん、という声ももちろんある。
確かにそれも一理あるので、ラグビーの話に戻ろう。
自分が応援するのは先ず日本であるし、同時にニュージーランドである。
これは応援の種類が違う。
ラグビーというスポーツにおいて日本を応援するのは自国だからという点もあるが、善戦して欲しいという願いがある。
昔、それこそ第一回のワールドカップで100点差で負けた頃に比べると格段に強くなった。
最近では南アフリカに勝ったり強豪チームをそれこそ、『なめてかかったら痛い目にあわす』ような存在になった。
もちろんワールドカップで日本が優勝するとは思わないが、昔を知っている身とすればネズミがライオンの尻尾を噛みちぎるぐらいの、ジャイアントキリングとでも言うのか、そういう意味での応援である。
もう一方ニュージーランドを応援するのは、そこに住んでいるからというのももちろんだし、強さの象徴のようなものか。
他の国の人が聞いたら怒るかもしれないが、なんとなくオールブラックスってワールドカップで優勝して当たり前みたいな感覚がある。
それは第一回大会で優勝して国は小さいがラグビーは強いんだぞという事を全世界に見せつけて以来のカルマかもしれない。
ワールドカップを代理戦争とするなら、世界の片隅の小国が大国を打ち破り世界を制覇する。
漠然と優勝して当たり前という感覚を持っているぐらいだから、選手を始めコーチや関係者のプレッシャーはすごいものがあると思う。
似たような話で、ブラジルのサッカーの話がある。
ブラジルではサッカーのワールドカップにかける情熱がすごい。
オリンピックとか南米選手権とかそういうのはそこそこだが、とかくワールドカップに関しては優勝以外は全て失敗と言われている。
だいぶ昔の話だが優勝できなかった時に自殺やショック死する人がいたなんて話も残っている。
ブラジルは南米大陸最大の国で人口も多くまさに大国だが、ニュージーランドは人口500万人ぐらいの小さな国だ。
そんな小さな国がラグビーというスポーツの分野で世界を圧倒する。
物語的にもこれは面白い。
そんなオールブラックスだが大会直前に南アフリカに負けたり予選でフランスに負けたり、あまりいい話はなかった。
だが決勝トーナメントに入ってからは強豪アイルランドを僅差で破り、アルゼンチンにも買って決勝進出を決めた。
底力と言うのだろうか、やはりここ一番という時には強いな。
決勝戦は今週の日曜で泣いても笑っても、これで今回のワールドカップは終了。
ワールドカップという代理戦争は終わるが、世界の別の地域では戦争は終わらない。
代理戦争をしている事自体、それに出ている国は平和だと言える。
実際に戦争をしている状態ではスポーツどころの騒ぎではない。
ウクライナの戦争然りイスラエルの戦争然り、人類の歴史とは戦争の歴史とも言えよう。
ただ断言するなら、戦争は仕組まれている。
そして仕組む方は決して命の危機にさらされない。
死ぬのは常に一般大衆で、最大の被害者は女性や子供たちだ。
親より先に死ぬな、というのが僕が若い世代に伝える言葉だが、戦争とはそんな甘い言葉を簡単に踏みにじる。
そういうものだ。
平和なニュージーランドにいるから大丈夫という話ではない。
同じ星の地域ではそういうことが起こっている事を知りつつ、ワールドカップという世界一を決める試合を見よう。
純粋な気持ちでオールブラックスを応援しよう。
それにしても36年前、1987年に決勝を見に行った時には、将来こんなことをエラそーに書くなんて思いもしなかったなあ。
だから人生って面白いのだ。
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