普段は暇な師(先生)も忙しくなり走ると書いて師走。
ずいぶんと師に失礼な言葉だなと思うがこれはコンプライアンスに引っかからないのだろうか?
でもこういうユーモアを含んだものが日本語の面白いところであり美しいところである。
さて今年も残すところあとわずか。
人並みに1年を振り返ってみる。
自分の身の回りの話では、ぶどう畑の仕事を辞めツアー関係の仕事に戻ってきた。
これはコロナも終わりに近づき観光客が戻ってきたという社会現象と重なるところがある。
ぶどう畑の仕事自体は好きだったが、自分はやはり農業のプロではないなとはっきりと気づいたのもある。
同時に自分が身を置く世界が自分という人間を求めている、求められている所で仕事をするのはありがたい事であり嬉しい事でありやりがいのある事であり自分の使命でもあると言えよう。
新しい出会いもあったが旧知の人が鬼籍に入ったり、昔からのお客さんが帰ってきたり、遠方から朋が来たりしてそれなりに充実した日々を送った1年でもあった。
ツアー関係の仕事をしながらも相変わらずインプットは続き、歴史、哲学、社会、宗教、言語学、食、文化人類学など全てをひっくるめた人文学という物を学んでいる。
この学びは来年以降も続いていくだろう。
最近はコテンラジオから民主主義という物を学んだ。
これは簡単に言い表せられる事ではないが、自分が漠然と考えていた民主主義とはほど遠い所に真実というものがある事に気がついた。
こうやって書くと民主主義が分かったというようにとらえられてしまうが、そうではなく今もなお完全に分かったわけではないし、そう簡単に分かるものでもなかろう。
ただ今までのの自分の思っていたのが全体の1%ぐらいだった事に気がつき、解像度が上がったという具合だろう。
民主主義の構造を理解し歴史を学ぶと現代が見えてくる。
なぜ今の世の中がこういう状態なのか、今まではでは見えなかった視点で世の中を見て自分なりに理解ができた。
これが学ぶ喜びというものだろう。
この1年もそういう学びはたくさんあり、まだまだ進化をするような気がする。
自分という個人をとりまく社会も変化を続け、今まで表に出なかった事が明るみに出たり、あるいは闇に葬られる類のものもある。
2020年に始まった奇妙なパンデミックの時期、その積み重ねの上に23年という年があった。
これまでと同じように世界のどこかでは戦争があり、芸能人のスキャンダルがあり、スポーツではどこかのチームが勝ちあるいは負け、有名人の訃報があり、政治家は相変わらず腐りきっている。
出来事だけを追えば、そう言えばそういうこともあったなと思い出すが、直接自分に関わらなければ全て他人事で対岸の火事だ。
戦争や災害で可哀想な人がテレビに映し出されるが、見ている自分は食べ物にも困らずヌクヌクと生活を続けている。
そうやって1年というものがあっという間に過ぎ去った。
光陰矢の如しと言うが、この年になるとなのかこの年だからなのか時間の経つのが速く感じる。
年寄り連中が歳を取るに従って時間があっという間に過ぎると言ってたが、まさにそれだなと実感するのだ。
これは不思議な感覚だなぁ。
年の瀬になり、どれ今年を振り返って偉そーに社会を分析してやろうなどと思いつき書き始めたはいいが、なにが起こったのかすぐに思いだせない。
ネットで23年の出来事と検索すれば、1月はこういう事があり2月はこれこれがありと出てはくる。
それを見れば、ああそう言えばそういうこともあったなあ、あの時は自分は何をしていたと思い出す事はできる。
その瞬間ごとには精一杯生きていたはずだが、一連の流れとして結びつかない。
自分の頭の中でのこの1年の思い出と、ネットで出てくる情報から呼び起こされる事が違うということだろうか。
自分というミクロの視点と社会というマクロの視点の違いか。
そこをごちゃ混ぜにして話を書き始めたから、こんなまとまりのない文章になってしまった。
結局の所、よく分からない事が分かったという哲学者のような言葉でとっ散らかった話を締めよう。
皆様よいお年をお迎え下さい。
ずいぶんと師に失礼な言葉だなと思うがこれはコンプライアンスに引っかからないのだろうか?
でもこういうユーモアを含んだものが日本語の面白いところであり美しいところである。
さて今年も残すところあとわずか。
人並みに1年を振り返ってみる。
自分の身の回りの話では、ぶどう畑の仕事を辞めツアー関係の仕事に戻ってきた。
これはコロナも終わりに近づき観光客が戻ってきたという社会現象と重なるところがある。
ぶどう畑の仕事自体は好きだったが、自分はやはり農業のプロではないなとはっきりと気づいたのもある。
同時に自分が身を置く世界が自分という人間を求めている、求められている所で仕事をするのはありがたい事であり嬉しい事でありやりがいのある事であり自分の使命でもあると言えよう。
新しい出会いもあったが旧知の人が鬼籍に入ったり、昔からのお客さんが帰ってきたり、遠方から朋が来たりしてそれなりに充実した日々を送った1年でもあった。
ツアー関係の仕事をしながらも相変わらずインプットは続き、歴史、哲学、社会、宗教、言語学、食、文化人類学など全てをひっくるめた人文学という物を学んでいる。
この学びは来年以降も続いていくだろう。
最近はコテンラジオから民主主義という物を学んだ。
これは簡単に言い表せられる事ではないが、自分が漠然と考えていた民主主義とはほど遠い所に真実というものがある事に気がついた。
こうやって書くと民主主義が分かったというようにとらえられてしまうが、そうではなく今もなお完全に分かったわけではないし、そう簡単に分かるものでもなかろう。
ただ今までのの自分の思っていたのが全体の1%ぐらいだった事に気がつき、解像度が上がったという具合だろう。
民主主義の構造を理解し歴史を学ぶと現代が見えてくる。
なぜ今の世の中がこういう状態なのか、今まではでは見えなかった視点で世の中を見て自分なりに理解ができた。
これが学ぶ喜びというものだろう。
この1年もそういう学びはたくさんあり、まだまだ進化をするような気がする。
自分という個人をとりまく社会も変化を続け、今まで表に出なかった事が明るみに出たり、あるいは闇に葬られる類のものもある。
2020年に始まった奇妙なパンデミックの時期、その積み重ねの上に23年という年があった。
これまでと同じように世界のどこかでは戦争があり、芸能人のスキャンダルがあり、スポーツではどこかのチームが勝ちあるいは負け、有名人の訃報があり、政治家は相変わらず腐りきっている。
出来事だけを追えば、そう言えばそういうこともあったなと思い出すが、直接自分に関わらなければ全て他人事で対岸の火事だ。
戦争や災害で可哀想な人がテレビに映し出されるが、見ている自分は食べ物にも困らずヌクヌクと生活を続けている。
そうやって1年というものがあっという間に過ぎ去った。
光陰矢の如しと言うが、この年になるとなのかこの年だからなのか時間の経つのが速く感じる。
年寄り連中が歳を取るに従って時間があっという間に過ぎると言ってたが、まさにそれだなと実感するのだ。
これは不思議な感覚だなぁ。
年の瀬になり、どれ今年を振り返って偉そーに社会を分析してやろうなどと思いつき書き始めたはいいが、なにが起こったのかすぐに思いだせない。
ネットで23年の出来事と検索すれば、1月はこういう事があり2月はこれこれがありと出てはくる。
それを見れば、ああそう言えばそういうこともあったなあ、あの時は自分は何をしていたと思い出す事はできる。
その瞬間ごとには精一杯生きていたはずだが、一連の流れとして結びつかない。
自分の頭の中でのこの1年の思い出と、ネットで出てくる情報から呼び起こされる事が違うということだろうか。
自分というミクロの視点と社会というマクロの視点の違いか。
そこをごちゃ混ぜにして話を書き始めたから、こんなまとまりのない文章になってしまった。
結局の所、よく分からない事が分かったという哲学者のような言葉でとっ散らかった話を締めよう。
皆様よいお年をお迎え下さい。
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