先週引越しをした。
それまで住んでいたサトシの家はなかなか快適だったのだが、もともと1月の半ばまでという契約だったのだ。
新しい家は湖のすぐ前、湖岸まで50mぐらい、30秒で行ける。
今までクィーンズタウンのいろいろなところに住んだが、湖のまん前は初めてである。
こういう環境だとカヤックが欲しくなる。
仕事が終わった後にカヤックでも浮かべてのんびり釣りなぞよさそうだな。
ボスのリチャードが持っているはずだから今度借りてみよう。
家主のノボルとはかれこれ5年ぐらいのつきあいか。
ぼくがやっていたクラブフィールドガイドのホームページを見てメールで弟子入りを申し込んだのだが、僕には人の面倒を見る余裕なぞなく、そっけなく断った。
地震の後で僕はタンケンツアーズからキウィウェイという会社に移ったのだが、たまたまそこにノボルが入社してきた。
今では僕もノボルもその会社を去ったが、僕がスキーパトロールをしていたアルツ磐梯というスキー場でインストラクターをやっていたり、まあ少なからずの縁というものもあるのだろう。
機会を見つけてはヤツを山に誘い出し、あれこれと教えている。
ヤツは年中を通してクィーンズタウンに住んでいるのでなかなかクライストチャーチに来る機会はなく、クラブフィールドはまだデビューしていない。
ノボルは料理の腕はからっきしで、僕が作るものを何でも「ウマッ」と言いながら食う。
そのあたりは以前同居していた北村家二軍筆頭のエーちゃんと全く一緒である。
その辺は本人も自覚しているようで「料理を教えてくれ」とは言ってこない。
一人暮らしだとカレーなぞ作ると毎日毎日カレーが続きうんざりしてしまうが、一緒に住むようになって食べ物の回転も早くなった。
後片付けはノボル担当で、まあ持ちつ持たれつといったところか。
ヤツに教えるのはアウトドアのことだけではない。
以前うちにも遊びに来て畑を見て、野菜作りにも興味を持っていていろいろ教わりたいと言うので、家庭菜園のやり方を教えている。
一番大切なのは自分でやりたいという気持ちだ。
それがあれば、あとはコツを教えるだけである。
敷地の外れにはコンポストを貯める枠もあり、前の住人がやっていたコンポストも残っているので準備はできている。
クライストチャーチの家から堆肥と鶏糞肥料を持ってきて混ぜて使う。
苗はパセリ、ニラ、シソ、シルバービート、トマト、きゅうり、ズッキーニ、レタスなどを持ってきて植えた。
ほとんどは庭の隅でこぼれ種で育ったものだ。
一緒にホームセンターへ買い物に行き、キャベツ、ブロッコリー、レタス、ナスなどを買った。
日当たりの悪い所にはパセリやシソなどを植え、日当たりが良く暖かそうなところにはズッキーニやナス、トマトなどを植える。
育った時のことを思い浮かべイメージを作る。
葱は多少密集してもいいが、そうでない野菜は感覚を広く。
トマトなどは成長した時のことを考えて後ろのフェンス際へ、ズッキーニなどは下に広がるので手前に、というようなことを教えながら作業をやらせる。
家は3ベッドルーム、大きめのキッチンは採光もよく収納スペースも豊富で使い勝手が良い。
3ベッドルームなのでフラットメイトもいる。
地元の日本食レストランで働くユキノは山歩きがしたくてニュージーランドに来た。
来週はルートバーンを歩く予定で、その次はミルフォードトラックをすでに予約している。
本当は山のガイドをやりたいのだが、今はウェイトレスをしながら休みの日には山へ行く。
彼女も野菜作りに興味があり教えて欲しいと言う。
そういう人が同居人にいるというのもこれは何かの縁だろう。
自分のやっていることや生き様が他人から見れば羨ましく、時には人の人生の指針となる。
もちろんそう考えながらも、僕と全く一緒の事は簡単にできるわけではないが、後ろを歩む者の背中を押してやるのも自分の役目だと思う。
そしていつも言うのは「自分ができる事、やるべきことをやりなさい」なのだ。
ノボルもユキノも夜の仕事なので、普段は顔を合わせない。
僕が出かける時は彼らはまだ寝ているし、彼らが帰ってくる頃には僕はすでに寝ている。
机の上のメモ帳を伝言板にしてコミュニケーションがなりたっている。
家に帰ってもほとんどの日は僕一人だ。
気楽と言えば気楽だが、全く寂しくないと言えば嘘になる。
一人でビールを飲みながらキッチンで晩飯を作る。
ビールからワインへ移り、飯を食って片付けをしてこのブログなぞ書いていたら日が沈んだ。
日が落ちた後には、美しい山の稜線が夕暮れにくっきりと映える。
美しい晩だ。
歩いて30秒の湖岸まで行き、しばし景色に見とれる。
山の形は28年前、初めてクィーンズタウンに来て見たものと変わっていない。
あの時に感じた、綺麗だなという想い出が時を経て僕の中でよみがえる。
暮れ行く湖を見ながら一人で考えた。
これから僕はどこへ行くのだろう。
そしてこの素晴らしき世界はどこへ向かっていくのだろう。
その答えは僕達の心の奥にあるのだろう。
自分がやるべきことをやる。
人によく言う台詞を自分に投げかけた。
夏はまだ続く。
それまで住んでいたサトシの家はなかなか快適だったのだが、もともと1月の半ばまでという契約だったのだ。
新しい家は湖のすぐ前、湖岸まで50mぐらい、30秒で行ける。
今までクィーンズタウンのいろいろなところに住んだが、湖のまん前は初めてである。
こういう環境だとカヤックが欲しくなる。
仕事が終わった後にカヤックでも浮かべてのんびり釣りなぞよさそうだな。
ボスのリチャードが持っているはずだから今度借りてみよう。
家主のノボルとはかれこれ5年ぐらいのつきあいか。
ぼくがやっていたクラブフィールドガイドのホームページを見てメールで弟子入りを申し込んだのだが、僕には人の面倒を見る余裕なぞなく、そっけなく断った。
地震の後で僕はタンケンツアーズからキウィウェイという会社に移ったのだが、たまたまそこにノボルが入社してきた。
今では僕もノボルもその会社を去ったが、僕がスキーパトロールをしていたアルツ磐梯というスキー場でインストラクターをやっていたり、まあ少なからずの縁というものもあるのだろう。
機会を見つけてはヤツを山に誘い出し、あれこれと教えている。
ヤツは年中を通してクィーンズタウンに住んでいるのでなかなかクライストチャーチに来る機会はなく、クラブフィールドはまだデビューしていない。
ノボルは料理の腕はからっきしで、僕が作るものを何でも「ウマッ」と言いながら食う。
そのあたりは以前同居していた北村家二軍筆頭のエーちゃんと全く一緒である。
その辺は本人も自覚しているようで「料理を教えてくれ」とは言ってこない。
一人暮らしだとカレーなぞ作ると毎日毎日カレーが続きうんざりしてしまうが、一緒に住むようになって食べ物の回転も早くなった。
後片付けはノボル担当で、まあ持ちつ持たれつといったところか。
ヤツに教えるのはアウトドアのことだけではない。
以前うちにも遊びに来て畑を見て、野菜作りにも興味を持っていていろいろ教わりたいと言うので、家庭菜園のやり方を教えている。
一番大切なのは自分でやりたいという気持ちだ。
それがあれば、あとはコツを教えるだけである。
敷地の外れにはコンポストを貯める枠もあり、前の住人がやっていたコンポストも残っているので準備はできている。
クライストチャーチの家から堆肥と鶏糞肥料を持ってきて混ぜて使う。
苗はパセリ、ニラ、シソ、シルバービート、トマト、きゅうり、ズッキーニ、レタスなどを持ってきて植えた。
ほとんどは庭の隅でこぼれ種で育ったものだ。
一緒にホームセンターへ買い物に行き、キャベツ、ブロッコリー、レタス、ナスなどを買った。
日当たりの悪い所にはパセリやシソなどを植え、日当たりが良く暖かそうなところにはズッキーニやナス、トマトなどを植える。
育った時のことを思い浮かべイメージを作る。
葱は多少密集してもいいが、そうでない野菜は感覚を広く。
トマトなどは成長した時のことを考えて後ろのフェンス際へ、ズッキーニなどは下に広がるので手前に、というようなことを教えながら作業をやらせる。
家は3ベッドルーム、大きめのキッチンは採光もよく収納スペースも豊富で使い勝手が良い。
3ベッドルームなのでフラットメイトもいる。
地元の日本食レストランで働くユキノは山歩きがしたくてニュージーランドに来た。
来週はルートバーンを歩く予定で、その次はミルフォードトラックをすでに予約している。
本当は山のガイドをやりたいのだが、今はウェイトレスをしながら休みの日には山へ行く。
彼女も野菜作りに興味があり教えて欲しいと言う。
そういう人が同居人にいるというのもこれは何かの縁だろう。
自分のやっていることや生き様が他人から見れば羨ましく、時には人の人生の指針となる。
もちろんそう考えながらも、僕と全く一緒の事は簡単にできるわけではないが、後ろを歩む者の背中を押してやるのも自分の役目だと思う。
そしていつも言うのは「自分ができる事、やるべきことをやりなさい」なのだ。
ノボルもユキノも夜の仕事なので、普段は顔を合わせない。
僕が出かける時は彼らはまだ寝ているし、彼らが帰ってくる頃には僕はすでに寝ている。
机の上のメモ帳を伝言板にしてコミュニケーションがなりたっている。
家に帰ってもほとんどの日は僕一人だ。
気楽と言えば気楽だが、全く寂しくないと言えば嘘になる。
一人でビールを飲みながらキッチンで晩飯を作る。
ビールからワインへ移り、飯を食って片付けをしてこのブログなぞ書いていたら日が沈んだ。
日が落ちた後には、美しい山の稜線が夕暮れにくっきりと映える。
美しい晩だ。
歩いて30秒の湖岸まで行き、しばし景色に見とれる。
山の形は28年前、初めてクィーンズタウンに来て見たものと変わっていない。
あの時に感じた、綺麗だなという想い出が時を経て僕の中でよみがえる。
暮れ行く湖を見ながら一人で考えた。
これから僕はどこへ行くのだろう。
そしてこの素晴らしき世界はどこへ向かっていくのだろう。
その答えは僕達の心の奥にあるのだろう。
自分がやるべきことをやる。
人によく言う台詞を自分に投げかけた。
夏はまだ続く。
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