タイトルのごとくウンコの話である。
今の世の中で生きていく限り、我々人間は何かしらの毒素を体に取り入れている。
食べ物、飲み物、水、空気、もしくは皮膚から、知らず知らずのうちに毒を体に取り込む。
食品添加物や農薬、大気汚染、汚染水、薬や麻薬という分かりやすい物もあるし、衣服や建材や電磁波や周りにありふれた物質など、毒素は日常生活にあふれている。
これらが全て悪いと言っているわけではない。
そういう社会だという話だ。
もちろん体に悪いものを取り入れないように工夫したり努力することも大切である。
けれどそれだっていき過ぎたら、何も食えない何も飲めないつまらない人生が待っている。
たまにはカップラーメンやジャンクフードだって食いたいじゃないか。
さらに毒は人工の物であり、自然の物を食べていればいいという考えも疑問だ。
じゃがいもの芽は毒だし、毒キノコなんてものもある。
ちなみに毒キノコで有名なベニテングダケは最高に旨いらしい。
世の中には奇特な人がいるもので、実際に食べて飲み込まずに吐き出したらしいが、今までで一番美味かったそうだ。
自分はやらないけどね。
それから蜂に刺されて腫れるのは、体が毒に対する当たり前の反応だ。
蚊やブヨやサンドフライに刺されて痒くなるなんてのも毒が体に入ったからだ。
海で泳いでクラゲに触ってヒリヒリするというのもそれだな。
こうやって自然界にも毒は当たり前にある。
毒にも様々なものがあり、それぞれに致死量というものがある。
ある程度の量を越えれば死んでしまう、だが適度に取れば薬にもなる物も多々ある。
アルコールという物質は少量なら薬になるが、飲み過ぎたら死ぬ。
塩だって適度な量は人間がというより動物が生きていくには必要だが、これだって取り過ぎたら死ぬ。
なので日常生活にあふれている物も過剰摂取は良くない、量によっては毒にもなりうるということだ。
考え方の問題なのだが、毒は体に悪いからとにかくダメ、いわゆる二元的な考え方もどうかと思う。
確かに体に悪い物を避けるのは何も間違っていない。
それも行き過ぎすとおかしくなる。
これもバランスの話だな。
それよりもある程度の毒は認めてというかあきらめて、体から毒素を排出するいわゆるデトックスも考えようというのが今回の話のツボである。
人間の体は色々な物を取り入れるが、同時に色々な物も出してもいる。
古来、人の体から出る物は不浄の物、いわゆる汚い物とされていた。
大便、小便、汗、鼻水、耳くそ、目やに、垢、などなど。
確かにきれいではないな。
このきれいでない物質、だからなのかやっぱりなのか、これが体内の毒や老廃物などである。
このうちで、一番質量が大きいものが、ウンコである。
やっとウンコの話になった。
このウンコが健康の指標と言ってもいいぐらいだ。
誰でもウンコがスッキリ出たら気持ちいいだろうし、何日も出なかったら辛い。
そしてこのウンコにより、日頃たまった毒素を体外に排出する。
ではどうすればウンコがすっきり出るのだろうか。
答えはズバリ食物繊維である。
食物繊維の豊富な食べ物を食べると、ウンコの出が良くなる。
食物繊維が豊富な食べ物とは、芋類、海藻、豆類などだ。
特にコンニャクは食物繊維が多くカロリーが低いというかほとんど無い、究極の健康食品と言える。
日本でも昔から「こんにゃくは体の砂払い」と言われるぐらい便通が良い。
考えてみれば人間が食物を食べるのは栄養を補給するためである。
それなのに蒟蒻芋には栄養価は無く、その物自体が持つ味も無い。
要は食えることは食えるがたいして旨いものではない。
でも人間はそれを食えるレシピを編み出し、健康食として栽培してきた。
なんかすごいことだな。
栽培はいたって簡単で暖かい所なら勝手に増える。
製法は煮てすりつぶし水と凝固剤(炭酸ナトリウム)を混ぜて固め、煮出して灰汁を抜く。
やってみるとけっこう簡単だ。
我が家ではこれを酢味噌で食す。
それから菊芋。英語ではジェルサレムアーティチョークと言う。
これも栽培は簡単で、コンポストの中に埋めておくと、ニョキニョキ育つ。
茎の高さは2mぐらいになりヒマワリのような花をつける。
生でも食えるし、てんぷらやきんぴらと和食にしても良い。
これがイタリア料理の食材としても良い。
粒マスタード、ニンニク、アンチョビなどとあえ、じっくりとオーブンで焼くとそれだけでご馳走だ。
イタリア風に作ると白ワインにとても合う。
これをたくさん食べると次の日には、おならがたくさん出て軽いウンコが出る。
あとは山芋や里芋も良いがこれらはくどくど書か無くてもいいだろう。
それから我が家の常備しているものとしてはザワークラウト。
これはキャベツの発酵食品である。
これもまたお腹に良い。次の日にすっきりウンコが出る。
作り方はいたって簡単で、千切りキャベツに塩をまぶし出てきた水分と一緒に瓶に詰めるだけ。
常温で1週間ぐらいで出来上がる。
味付けは塩だけだが乳酸菌の作用で酸味がつく。
これは和食にも中華にも洋食にも合うのがまた良い。
冷蔵庫に入れておけば日持ちもするので、キャベツが大量にできたときにまとめて作る。
かねがね思っていたしブログにも書いていたが、人間の食生活は菌とは切っても切れない関係にある。
味噌や醤油や納豆や漬物などの発酵食品は腸内環境を整える作用がある。
菌自体は胃の中で死んでしまうが、そういったものがウンコとして排出される時に毒素も外に出す。
まさに菌様様だ。
もう一つ最近始めたものだが、重曹クエン酸水を飲むこと。
始めてから2カ月ぐらいになるが、なんとなく体の調子が良い。
これだけ芋類や発酵食品を取っていると、もう何が効いているのか分からないのだが、なんとなくという理由はありだと思う。
ネットの情報で知り、とりあえず5ドル分ぐらい買ってみたが2カ月経ってもまだ残っている。
そして味もそんなに不味くない。
いくら体に良いといっても、すごく高かったり美味しくなかったら続かない。
でも安価で手に入り、味もまあまあで健康に良かったらやらない手はないだろう。
これについては賛否両論あり、ある医者がこれを発表したら消されたなんて話もある。
そりゃあたかが重曹とクエン酸でみんなが健康になったら困る人もいるだろう。
それから取り過ぎれば体に悪いなんて話もチラホラある。
そこはそれ、塩だってなんだって取りすぎは毒にもなるものだから、各自で判断すれば良かろう。
一つ言いたいのは重曹クエン酸が体に良いからと言って、それだけ飲んでいれば良しという考え方ではあるまいか。
それってテレビで言っていたからといって、それに飛びつく人と大差ない。
体の話うんぬんより思考の話であり、どんな情報でも自分で咀嚼して考えろってことだ。
健康でありたいというのは、人間が常日頃から持っている自然な感情であろう。
そのために解毒を考えるのも毒を取り入れない工夫も大切である。
だが今現在、自分のが健康であるにも関わらず、病気になることを恐れるあまり第三者の言葉を鵜呑みにする風潮が気に入らん。
先ずは健康であるならば、その状態に感謝をすること。
と言っても感謝というものは自分の心の現れであって、強制させられてするものではない。
そういう心持ちになるかどうかは自分次第だ。
病気になったとしたら、自分の生活を省みて運も含めて自分にその責任があることに自覚をすること。
そして病気があるからこそ、健康のありがたみを知る。
人間は比較をして初めて価値判断ができる、というか比較をしないとそれができないものだ。
考えてみよう、もしも全く病気がなく全ての人が健康な世の中だったら、健康体のありがたさを知るだろうか。
日本から一回も出たことのない人は日本の本当の良さが分からないという話と同じだ。
病気や怪我をすると健康体のありがたさを知るのだが、時間が経つとそれを忘れてしまう。
健康であることがありがたいはずなのに感謝の気持ちを忘れ、病気になるのではないかという不安を持つ。
不安の根源は怖れであり、そこが大元になっているので色々な問題も呼び寄せてしまう。
以前にも書いたが、健康を維持するために事をするのか、病気にならないために事をするのか。
同じ事をするにしても、結果は変わってくるかもしれない。
その健康の指標が日々のウンコであり、毒を出せという話。
そういえば最近このブログでも毒を吐いてないな。
なんか日和って当たり障りのないつまらないブログに成り下がってる。
そろそろ毒でも吐くか。
今の世の中で生きていく限り、我々人間は何かしらの毒素を体に取り入れている。
食べ物、飲み物、水、空気、もしくは皮膚から、知らず知らずのうちに毒を体に取り込む。
食品添加物や農薬、大気汚染、汚染水、薬や麻薬という分かりやすい物もあるし、衣服や建材や電磁波や周りにありふれた物質など、毒素は日常生活にあふれている。
これらが全て悪いと言っているわけではない。
そういう社会だという話だ。
もちろん体に悪いものを取り入れないように工夫したり努力することも大切である。
けれどそれだっていき過ぎたら、何も食えない何も飲めないつまらない人生が待っている。
たまにはカップラーメンやジャンクフードだって食いたいじゃないか。
さらに毒は人工の物であり、自然の物を食べていればいいという考えも疑問だ。
じゃがいもの芽は毒だし、毒キノコなんてものもある。
ちなみに毒キノコで有名なベニテングダケは最高に旨いらしい。
世の中には奇特な人がいるもので、実際に食べて飲み込まずに吐き出したらしいが、今までで一番美味かったそうだ。
自分はやらないけどね。
それから蜂に刺されて腫れるのは、体が毒に対する当たり前の反応だ。
蚊やブヨやサンドフライに刺されて痒くなるなんてのも毒が体に入ったからだ。
海で泳いでクラゲに触ってヒリヒリするというのもそれだな。
こうやって自然界にも毒は当たり前にある。
毒にも様々なものがあり、それぞれに致死量というものがある。
ある程度の量を越えれば死んでしまう、だが適度に取れば薬にもなる物も多々ある。
アルコールという物質は少量なら薬になるが、飲み過ぎたら死ぬ。
塩だって適度な量は人間がというより動物が生きていくには必要だが、これだって取り過ぎたら死ぬ。
なので日常生活にあふれている物も過剰摂取は良くない、量によっては毒にもなりうるということだ。
考え方の問題なのだが、毒は体に悪いからとにかくダメ、いわゆる二元的な考え方もどうかと思う。
確かに体に悪い物を避けるのは何も間違っていない。
それも行き過ぎすとおかしくなる。
これもバランスの話だな。
それよりもある程度の毒は認めてというかあきらめて、体から毒素を排出するいわゆるデトックスも考えようというのが今回の話のツボである。
人間の体は色々な物を取り入れるが、同時に色々な物も出してもいる。
古来、人の体から出る物は不浄の物、いわゆる汚い物とされていた。
大便、小便、汗、鼻水、耳くそ、目やに、垢、などなど。
確かにきれいではないな。
このきれいでない物質、だからなのかやっぱりなのか、これが体内の毒や老廃物などである。
このうちで、一番質量が大きいものが、ウンコである。
やっとウンコの話になった。
このウンコが健康の指標と言ってもいいぐらいだ。
誰でもウンコがスッキリ出たら気持ちいいだろうし、何日も出なかったら辛い。
そしてこのウンコにより、日頃たまった毒素を体外に排出する。
ではどうすればウンコがすっきり出るのだろうか。
答えはズバリ食物繊維である。
食物繊維の豊富な食べ物を食べると、ウンコの出が良くなる。
食物繊維が豊富な食べ物とは、芋類、海藻、豆類などだ。
特にコンニャクは食物繊維が多くカロリーが低いというかほとんど無い、究極の健康食品と言える。
日本でも昔から「こんにゃくは体の砂払い」と言われるぐらい便通が良い。
考えてみれば人間が食物を食べるのは栄養を補給するためである。
それなのに蒟蒻芋には栄養価は無く、その物自体が持つ味も無い。
要は食えることは食えるがたいして旨いものではない。
でも人間はそれを食えるレシピを編み出し、健康食として栽培してきた。
なんかすごいことだな。
栽培はいたって簡単で暖かい所なら勝手に増える。
製法は煮てすりつぶし水と凝固剤(炭酸ナトリウム)を混ぜて固め、煮出して灰汁を抜く。
やってみるとけっこう簡単だ。
我が家ではこれを酢味噌で食す。
それから菊芋。英語ではジェルサレムアーティチョークと言う。
これも栽培は簡単で、コンポストの中に埋めておくと、ニョキニョキ育つ。
茎の高さは2mぐらいになりヒマワリのような花をつける。
生でも食えるし、てんぷらやきんぴらと和食にしても良い。
これがイタリア料理の食材としても良い。
粒マスタード、ニンニク、アンチョビなどとあえ、じっくりとオーブンで焼くとそれだけでご馳走だ。
イタリア風に作ると白ワインにとても合う。
これをたくさん食べると次の日には、おならがたくさん出て軽いウンコが出る。
あとは山芋や里芋も良いがこれらはくどくど書か無くてもいいだろう。
それから我が家の常備しているものとしてはザワークラウト。
これはキャベツの発酵食品である。
これもまたお腹に良い。次の日にすっきりウンコが出る。
作り方はいたって簡単で、千切りキャベツに塩をまぶし出てきた水分と一緒に瓶に詰めるだけ。
常温で1週間ぐらいで出来上がる。
味付けは塩だけだが乳酸菌の作用で酸味がつく。
これは和食にも中華にも洋食にも合うのがまた良い。
冷蔵庫に入れておけば日持ちもするので、キャベツが大量にできたときにまとめて作る。
かねがね思っていたしブログにも書いていたが、人間の食生活は菌とは切っても切れない関係にある。
味噌や醤油や納豆や漬物などの発酵食品は腸内環境を整える作用がある。
菌自体は胃の中で死んでしまうが、そういったものがウンコとして排出される時に毒素も外に出す。
まさに菌様様だ。
もう一つ最近始めたものだが、重曹クエン酸水を飲むこと。
始めてから2カ月ぐらいになるが、なんとなく体の調子が良い。
これだけ芋類や発酵食品を取っていると、もう何が効いているのか分からないのだが、なんとなくという理由はありだと思う。
ネットの情報で知り、とりあえず5ドル分ぐらい買ってみたが2カ月経ってもまだ残っている。
そして味もそんなに不味くない。
いくら体に良いといっても、すごく高かったり美味しくなかったら続かない。
でも安価で手に入り、味もまあまあで健康に良かったらやらない手はないだろう。
これについては賛否両論あり、ある医者がこれを発表したら消されたなんて話もある。
そりゃあたかが重曹とクエン酸でみんなが健康になったら困る人もいるだろう。
それから取り過ぎれば体に悪いなんて話もチラホラある。
そこはそれ、塩だってなんだって取りすぎは毒にもなるものだから、各自で判断すれば良かろう。
一つ言いたいのは重曹クエン酸が体に良いからと言って、それだけ飲んでいれば良しという考え方ではあるまいか。
それってテレビで言っていたからといって、それに飛びつく人と大差ない。
体の話うんぬんより思考の話であり、どんな情報でも自分で咀嚼して考えろってことだ。
健康でありたいというのは、人間が常日頃から持っている自然な感情であろう。
そのために解毒を考えるのも毒を取り入れない工夫も大切である。
だが今現在、自分のが健康であるにも関わらず、病気になることを恐れるあまり第三者の言葉を鵜呑みにする風潮が気に入らん。
先ずは健康であるならば、その状態に感謝をすること。
と言っても感謝というものは自分の心の現れであって、強制させられてするものではない。
そういう心持ちになるかどうかは自分次第だ。
病気になったとしたら、自分の生活を省みて運も含めて自分にその責任があることに自覚をすること。
そして病気があるからこそ、健康のありがたみを知る。
人間は比較をして初めて価値判断ができる、というか比較をしないとそれができないものだ。
考えてみよう、もしも全く病気がなく全ての人が健康な世の中だったら、健康体のありがたさを知るだろうか。
日本から一回も出たことのない人は日本の本当の良さが分からないという話と同じだ。
病気や怪我をすると健康体のありがたさを知るのだが、時間が経つとそれを忘れてしまう。
健康であることがありがたいはずなのに感謝の気持ちを忘れ、病気になるのではないかという不安を持つ。
不安の根源は怖れであり、そこが大元になっているので色々な問題も呼び寄せてしまう。
以前にも書いたが、健康を維持するために事をするのか、病気にならないために事をするのか。
同じ事をするにしても、結果は変わってくるかもしれない。
その健康の指標が日々のウンコであり、毒を出せという話。
そういえば最近このブログでも毒を吐いてないな。
なんか日和って当たり障りのないつまらないブログに成り下がってる。
そろそろ毒でも吐くか。
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