さていよいよ楽しい調理の時間だ。
先ずは手羽を塩コショウでシンプルに焼いてみた。
感想は・・・・・・・・・固くて固くて。
肉が歯で噛み切れない。
ゴムを噛んでいるような、という形容があるがまさにそれ。
現代人のあごが退化して噛む力が弱くなったのか、それともやっぱり肉が固いのか。
僕はかろうじて一切れ飲み込んだが、娘も女房もギブアップ。
食べ残しはそのまま犬のココのご飯になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/2d/7d0d0a99111ad25e48c8dd9af96c023b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/f0/c7544523653f2fbbf1635287883e0978.jpg)
人間には知恵がある。
固い肉ならば食べやすいようにすればよいのだ。
残りの肉を骨から外しそれを包丁で叩いて挽き肉にした。
そこに卵としょうがとネギを加えつくねを作った。
最近寒くなってきたからな、こんな時はみんなで鍋をやりましょう。
というわけで友達のサムの家でつくね鍋。
サムはブロークンリバーのマネージャーをやっている人で日本人の奥さんに1歳の男の子がいる。
家の近所に住んでいて家族ぐるみでなんやかんやのつきあいがある。
ちなみに深雪がこの前日本へ一人で行くのに一緒に飛行機に乗って付き添ってくれたのがサムだ。
パケハ(白人)だが(というのも偏見なのだが)味覚は鋭く料理の腕も良い。
庭で野菜を作っていたり、ビールも自家製と、なにかと馬が合う人なのだ。
肝心のつくねの味は、これがもう絶品。
包丁で叩いてあるので固さはなく、肉自体の味が良くて変なくせもない。
骨からとったスープも旨く、野菜と鳥のシンプルですっきりした味だ。
野菜でも肉でも健康なものは味も良い。
結局5人で鶏2羽分の肉を食いきってしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/2c/89333213cb27631df31c4fd01748b1b3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/f0/d10179f16b14099e8f6dc922753ed057.jpg)
自分の鶏で楽しみなのが臓物。
薬とか人工的なものを一切与えていない、ヒナの時から育てた鶏の内臓である。
食べる前から旨いのは分かっているが、どうやって食おうかなと考えていた。
そんな時にオノさんからキャンプの誘いがあり、アーサーズパスに1泊のキャンプに行った。
そこはシェルターという避難小屋で、暖炉がありおおっぴらに焚き火ができる。
車で入れる場所なので、豪快に七輪で炭火焼バーベキューで食っちまおう。
その晩は庭のネギ焼き、ピーマン焼き、焼き茄子、そしてカルビ焼肉、地元の肉屋の荒引きソーセージ、そこに我が家の鶏のレバーとハツと砂肝の塩焼きという豪勢な焼肉だった。
お酒もビールから始まり赤ワインへと、そしてたまたまそこへ居合わせた山歩きのオジさん3人を巻き込んで飲めや食えやの宴となった。
そこで出会った人達の一人は日本人で、10歳ぐらいの時にNZに来て40年ぐらいという大先輩。
しかも話を聞くと静岡の清水出身、それも草薙という僕が通学の時に通っていた所の出と、まあ驚きの出会いがあったのだ。
その人はオークランドに住んでいる写真家、スタジオを持っていて普段は忙しいが1年に何回かこうやって友達と山歩きをするそうな。
まあ向こうもびっくりしたろうね。
アーサーズパスの国道から離れた普通の人が行かないような場所へ来てみれば、日本人二人が七輪で純日本式炭火焼肉をやっているのだから。
「こんな所で清水の人と出会うなんてねえ」
酔っ払って何回そんな事を言ったのか覚えていないが、これも人の縁。不思議なものだ。
話がそれたが、臓物は文句なく旨かった。
砂肝もハツもレバーも存在感はありクセがない。
各部位ごとの旨さの違いという物が堪能できた。
これも健康な鶏ならではのものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/2a/ea2119665387fac4ce10220cd8992420.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/59/6f199f8b4ed182d15e0965cd2e4acf88.jpg)
鶏の肉は堪能したが、まだこれで終わりではない。
2羽分のガラが残っている。
大きな寸胴鍋にガラを入れダシを取った。
一緒に煮込んだのは庭にたっぷりとある長ネギの葉っぱ、そして卵の殻も一緒に煮る。
卵の殻はダシも出るしアクも取るのだ。
1日かけてコトコト煮て、アクを丁寧にすくう。
上に溜まった油もすくってニワトリの餌に混ぜてしまう。
それを漉して綺麗なスープができた。
そのスープで炊き込みご飯。山小屋が忘れられない味と称したチキンライスだ。
お米はジャスミンライスで、しょうがとにんにくをたっぷり入れての我が家のチキンライスはこれまた絶品だ。
その晩のスープはワカメとネギを入れたかき玉スープ。こちらはあっさり塩味。
この鶏ガラスープの味も、普段肉屋で買う鶏ガラと違う。
コクがあってクセがない。
さすが我が家の鶏だ。骨まで好い味が出るぜ。
このスープにさらにキャベツの芯や人参の切れっぱしなどの野菜、ニンニク、しょうが、月桂樹などで野菜のダシを取り、それでカレーも作った。
こうなると鳥自体の味は分からなくなるが、それでもベースが旨いのでカレーも旨い。
たっぷりスープを取って、使い切れない分は冷凍保存。
これでラーメンを作ってもよしシチューもよし、何にでも使えるスープなのである。
スープを取った後のガラは犬の餌。
家の犬は鳥の骨も普段はバリバリと食っちまう・・・のだが今回はどうも勝手が違うようだ。
骨が固いのか噛み砕けないようで、きれいに骨だけ残した。
確かに残った骨を見ると固い。
市販の鶏肉の骨とは明らかに違う。
ナルホドね。
卵の殻が弱かったのでカルシウムが足りないのかと、鶏の餌に貝殻を砕いた物を混ぜて食べさせた結果がこれか。
まあこの固い骨も庭の隅に放っておけば風化して土に還るか、もしくは思い出した頃にココがカリカリとかじるだろう。
実際に家の犬は食べ残した骨をどこかから引っ張りだしてきて時々かじっている。
かくして2羽のニワトリは全て僕と家族(犬と鶏を含む)それに友人達の胃袋に収まった。
名無しの2羽が産んでくれた卵は何百個になるか。
これも我が家の食卓だけでなく友人達の食卓をも賑わせてくれた。
関わる人が全て幸せになる、というのが真実の愛である。
逆を言えば不幸せな人が存在するシステムとは愛に基づいていない。
今回この肉を食べた僕達家族や友人達は全て笑顔で美味しいと食べてくれたし、卵の貰い手も皆喜んでくれた。
これを読んでいる人の中にもこの卵を食べた人がいるだろう。
こうやって僕達の生は他の生き物の死の上に成り立つ。当たり前の事だが、一番大切なことだ。
それをこうやって自分の手で何から何までやることにより再確認できた。
今はただ、この2羽に感謝をするのみである。
ありがたや。
先ずは手羽を塩コショウでシンプルに焼いてみた。
感想は・・・・・・・・・固くて固くて。
肉が歯で噛み切れない。
ゴムを噛んでいるような、という形容があるがまさにそれ。
現代人のあごが退化して噛む力が弱くなったのか、それともやっぱり肉が固いのか。
僕はかろうじて一切れ飲み込んだが、娘も女房もギブアップ。
食べ残しはそのまま犬のココのご飯になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/2d/7d0d0a99111ad25e48c8dd9af96c023b.jpg)
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人間には知恵がある。
固い肉ならば食べやすいようにすればよいのだ。
残りの肉を骨から外しそれを包丁で叩いて挽き肉にした。
そこに卵としょうがとネギを加えつくねを作った。
最近寒くなってきたからな、こんな時はみんなで鍋をやりましょう。
というわけで友達のサムの家でつくね鍋。
サムはブロークンリバーのマネージャーをやっている人で日本人の奥さんに1歳の男の子がいる。
家の近所に住んでいて家族ぐるみでなんやかんやのつきあいがある。
ちなみに深雪がこの前日本へ一人で行くのに一緒に飛行機に乗って付き添ってくれたのがサムだ。
パケハ(白人)だが(というのも偏見なのだが)味覚は鋭く料理の腕も良い。
庭で野菜を作っていたり、ビールも自家製と、なにかと馬が合う人なのだ。
肝心のつくねの味は、これがもう絶品。
包丁で叩いてあるので固さはなく、肉自体の味が良くて変なくせもない。
骨からとったスープも旨く、野菜と鳥のシンプルですっきりした味だ。
野菜でも肉でも健康なものは味も良い。
結局5人で鶏2羽分の肉を食いきってしまった。
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自分の鶏で楽しみなのが臓物。
薬とか人工的なものを一切与えていない、ヒナの時から育てた鶏の内臓である。
食べる前から旨いのは分かっているが、どうやって食おうかなと考えていた。
そんな時にオノさんからキャンプの誘いがあり、アーサーズパスに1泊のキャンプに行った。
そこはシェルターという避難小屋で、暖炉がありおおっぴらに焚き火ができる。
車で入れる場所なので、豪快に七輪で炭火焼バーベキューで食っちまおう。
その晩は庭のネギ焼き、ピーマン焼き、焼き茄子、そしてカルビ焼肉、地元の肉屋の荒引きソーセージ、そこに我が家の鶏のレバーとハツと砂肝の塩焼きという豪勢な焼肉だった。
お酒もビールから始まり赤ワインへと、そしてたまたまそこへ居合わせた山歩きのオジさん3人を巻き込んで飲めや食えやの宴となった。
そこで出会った人達の一人は日本人で、10歳ぐらいの時にNZに来て40年ぐらいという大先輩。
しかも話を聞くと静岡の清水出身、それも草薙という僕が通学の時に通っていた所の出と、まあ驚きの出会いがあったのだ。
その人はオークランドに住んでいる写真家、スタジオを持っていて普段は忙しいが1年に何回かこうやって友達と山歩きをするそうな。
まあ向こうもびっくりしたろうね。
アーサーズパスの国道から離れた普通の人が行かないような場所へ来てみれば、日本人二人が七輪で純日本式炭火焼肉をやっているのだから。
「こんな所で清水の人と出会うなんてねえ」
酔っ払って何回そんな事を言ったのか覚えていないが、これも人の縁。不思議なものだ。
話がそれたが、臓物は文句なく旨かった。
砂肝もハツもレバーも存在感はありクセがない。
各部位ごとの旨さの違いという物が堪能できた。
これも健康な鶏ならではのものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/2a/ea2119665387fac4ce10220cd8992420.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/59/6f199f8b4ed182d15e0965cd2e4acf88.jpg)
鶏の肉は堪能したが、まだこれで終わりではない。
2羽分のガラが残っている。
大きな寸胴鍋にガラを入れダシを取った。
一緒に煮込んだのは庭にたっぷりとある長ネギの葉っぱ、そして卵の殻も一緒に煮る。
卵の殻はダシも出るしアクも取るのだ。
1日かけてコトコト煮て、アクを丁寧にすくう。
上に溜まった油もすくってニワトリの餌に混ぜてしまう。
それを漉して綺麗なスープができた。
そのスープで炊き込みご飯。山小屋が忘れられない味と称したチキンライスだ。
お米はジャスミンライスで、しょうがとにんにくをたっぷり入れての我が家のチキンライスはこれまた絶品だ。
その晩のスープはワカメとネギを入れたかき玉スープ。こちらはあっさり塩味。
この鶏ガラスープの味も、普段肉屋で買う鶏ガラと違う。
コクがあってクセがない。
さすが我が家の鶏だ。骨まで好い味が出るぜ。
このスープにさらにキャベツの芯や人参の切れっぱしなどの野菜、ニンニク、しょうが、月桂樹などで野菜のダシを取り、それでカレーも作った。
こうなると鳥自体の味は分からなくなるが、それでもベースが旨いのでカレーも旨い。
たっぷりスープを取って、使い切れない分は冷凍保存。
これでラーメンを作ってもよしシチューもよし、何にでも使えるスープなのである。
スープを取った後のガラは犬の餌。
家の犬は鳥の骨も普段はバリバリと食っちまう・・・のだが今回はどうも勝手が違うようだ。
骨が固いのか噛み砕けないようで、きれいに骨だけ残した。
確かに残った骨を見ると固い。
市販の鶏肉の骨とは明らかに違う。
ナルホドね。
卵の殻が弱かったのでカルシウムが足りないのかと、鶏の餌に貝殻を砕いた物を混ぜて食べさせた結果がこれか。
まあこの固い骨も庭の隅に放っておけば風化して土に還るか、もしくは思い出した頃にココがカリカリとかじるだろう。
実際に家の犬は食べ残した骨をどこかから引っ張りだしてきて時々かじっている。
かくして2羽のニワトリは全て僕と家族(犬と鶏を含む)それに友人達の胃袋に収まった。
名無しの2羽が産んでくれた卵は何百個になるか。
これも我が家の食卓だけでなく友人達の食卓をも賑わせてくれた。
関わる人が全て幸せになる、というのが真実の愛である。
逆を言えば不幸せな人が存在するシステムとは愛に基づいていない。
今回この肉を食べた僕達家族や友人達は全て笑顔で美味しいと食べてくれたし、卵の貰い手も皆喜んでくれた。
これを読んでいる人の中にもこの卵を食べた人がいるだろう。
こうやって僕達の生は他の生き物の死の上に成り立つ。当たり前の事だが、一番大切なことだ。
それをこうやって自分の手で何から何までやることにより再確認できた。
今はただ、この2羽に感謝をするのみである。
ありがたや。
手間も暇もかけて丁寧に。 命をくれる者へ礼儀だよね。
読みながら、これこそが「ごちそうさま」という言葉の原点だと思いました。
給食の前後に「いただきます」「ごちそうさま」を言うことに異論を唱える保護者がいるという日本の学校で、
ひっぢのこの文章を読んでくれると、世の中が少し変わるのではないかとも、思いました。
名無しの鶏さん達。 私も卵をいただきました。ごちそうさまでした。
最近見たニュースでは遺伝子組み換えで最初から羽根のない鶏がいるらしい。
それからアメリカでは遺伝子組み換えで腿が4本ある鳥を開発しようとしているとか。
恐ろしい話だ。
手間と暇をかけるということ、命をいただくということがどんなに大切か気づかないとこうなっちゃうんだな。
いただきますとごちそうさまを言わない人がいるのも、それとリンクしているよ。
ああ、恐ろしや。
そこへいくと我が家は健全そのもの。
新たに名無しのヒナ4羽が加わりました。
Huttに行く時には卵を持っていくぞ。