人との出会いは全てご縁とタイミングであり、会うべく時には出会い、会わない時には絶対に会えないようにできている。
旧知の兄弟分のガイドの山小屋というヤツからの話で「オレ達と同じ匂いのする人がいて…」というところから始まりトントン拍子で話がまとまり、撮影ツアーをしたのが今年の1月。
オレ達と同じ匂いのする人とは風景写真家のトシキ、本名は中西敏貴、その業界ではすごい人のようである。
最近写真を始めた不肖の弟子トモヤも名前を知っていたし、カズヤの嫁さんで雪山で写真を撮っているミホも知っていた。
どれぐらいすごいかは僕もよく分かってないが、ググればすぐに色々出てくるので各自で調べるように。
何から何まで人に教えてもらおうとせずにそれぐらいやろうね。
山小屋の紹介から実際に出会うまでトシキとは電話で話しただけだったが、なにかこうしっくりくるような感覚を電話を通じて感じていた。
空港では出会ってすぐに打ち解けて、旧知の友のように僕らは仲良くなった。
1月のツアーはクィーンズタウンをベースにして、天気を見ながら昨日はルートバーン今日はマウントクック明日は西海岸という具合に毎日がアドリブ、僕が最も得意とするような旅だった。
その時に西海岸へ行って森の撮影をして感動し、もっともっとディープなスポットを撮りたいという具合で今回のツアーが決まった。
考えてみれば1年のうちに2回もニュージーランドに来るなんてすごいことだなぁと思うが、まあそういったのもご縁なのだろう。
今回のツアーはクィーンズタウンから始まり西海岸をメインに周りクライストチャーチで終わるという行程だ。
前回のツアーの時に色々と話をして、僕が勧めたのは12月前半。
どこもかしこも忙しく駐車スペースを探すのに一苦労する気違い沙汰のクリスマス休暇になる前のこの時期は、わりと落ち着いている。
一応ツアーのスタートとフィニッシュに宿、それから半日だけヘリ氷河ハイキングは押さえてあるがそれ以外は食事も含め全てその場で決めるというスペシャルツアー。
そういうのが嫌という人は来ないし、どちらかというとそういうのが好きという人達が集まるのでこちらも楽である。
前回とメンバーがほぼ同じなので、僕がどういうような人間かみんな分かってくれているという点でも楽だ。
12月の頭に空港でトシキと出会い、同じ匂いのするおっさん同士でハグをした。
こうやって書くと加齢臭プンプンですげえ臭そうだが、当のトシキは全然おっさんっぽくなく、シュッとして格好良くてダンディーである。
泥臭いブルースばかり聴いている僕とはえらい違いだ。
初日はみんな長旅で疲れているので軽く観光ドライブで近郊のモークレイクへ。
ここは一言で言えば「何もないけど良いところ」で山に囲まれた湖があり施設はトイレだけだ。
だが氷河で削られた谷間を抜けて、羊や牛が間近にいるドライブはニュージーランド初日にうってつけだ。
トシキもお客さんも大喜びで写真を撮る。
ただ普通の撮影と違う所は僕が「ええ?そんな所を撮るの?」と思う所で撮るのだ。
そしてできあがった画像を見せてもらうと、自分が見ている景色とは全く違う世界がある。
この不思議な感覚はツアー最終日まで、そのまま続いた。
空港で皆を出迎える朝に少し時間があったので、昔からの友達でバンド仲間のマサとお茶をした。
「午後に少し時間があるのでどこに行こうかなあ」などと話していてモークレイクの話が出て、「あそこなんかお客さんが喜ぶんじゃないの?」という話になった。
自分でも何回も行ってるが、今回はその存在をすっかり忘れていたのだがマサの言葉で思い出した。
朝のうちに降っていた雨も止み、初日の軽い足慣らしとしては最高である。
その日の朝には忘れていた場所を友の言葉で思い出し、皆がハッピーになるとは面白いもので、こういうのもご縁とタイミングなのだろう。
ルートバーンの森では普通の1日ハイキングの行程をあきらめて、好きなだけ時間を取り好きなだけ写真を撮るというぐあいだ。
前回はルートバーンの1日ハイキングをして、物足りずにもう一度ルートバーンお代わりをしたぐらいである。
持論だが、山の楽しみ方は百人いれば百通りある。
命をかけて山を登る者もいれば、その山を見ながらビールを飲む者もいる。
ルートバーンのような山道をマラソンのように駆け抜ける者もいるし、2泊3日の行程をあえて5日かける人もいる。僕がそうだった。
鳥が好きな人は鳥が出てくると動かなくなってしまうし、花が好きな人は花を愛でる。
以前見ていいなぁと思ったのは森の中で絵を描いている人だった。
こうでなければいけないというものはなく、他人のやり方に茶々をいれず、自分のやり方を見つければ良い。
そのあたりは人生に通ずるところがあるような気がする。
ワナカ湖畔からのマウントアスパイヤリング、スキー場から湖を見下ろす展望、ハースト峠近辺での滝、それぞれの所で写真を撮りながら西海岸へ。
今回はフォックスグレーシアーという小さな村に4連泊である。
フォックスに4連泊?なんて普通のツアーではありえないが、そこはそれ普通のツアーではないのでこれでいいのだ。
フォックス氷河のヘリハイク、雪山を映し出す湖、荒波しぶく海岸線、幻想的な土蛍、手付かずの原生林。
写真の題材には事欠かない。
ホテルから歩いて5分ぐらいに原生林の中を歩くコースがあり、そこは森も綺麗なのだが土ホタルが間近に見える。
トシキは朝の4時ぐらいから、それこそ朝飯前に三脚を担いで森に行き写真を撮り、夜は暗くなる10時ぐらいからまた森に写真を撮りに行く、という毎日だった。
嬉しそうにトシキが写真を撮っている姿を見ると、この人は心底から写真を撮るのが好きなんだなぁと思う。
だからプロになっているんだろうけど、やはり好きとか楽しいというのは人間の行動の最大の原動力なのである。
西海岸はニュージーランドで一番雨が多い場所で滞在中も1日雨に降られたのだが、その雨の中でニコニコしながらうっそうとした森の写真を撮っている姿は正直かっこ良かったのだ。
僕とトシキはまるで旧知の間柄のように話をするし、ディープな話もポンポンと出る。
共通の友である山小屋の話もすると、北海道のお客さんがのってきて山小屋に会ってみたいなどと言う。
「あー、ガイドの山小屋に行って奴に会ってあげてくださいな、喜ぶと思うよ。『おー、聖に会ったか、ちゃんと仕事してたか?そうかそうか、それは良かった』なんてエラそうに言うだろうからさ」
「北海道へ来たら遊びにきてくださいよ、山小屋さんと一緒に飲みましょう」
「あーそれも面白そうだね。いつか絶対、爺いになるまでにやろう」
トシキは昔はスキーの選手だったという事でスキー業界の話でも盛り上がる。
ただし写真の話になると僕はチンプンカンプンで話には加われないので横で「へえ」とか「ふーん」とか聞いてるだけだ。
「たぶんこれって、スキーをやったことがない人の前で、山回りがどーのこーのとかターンの切り替えがどーのこーのって話をしてるようなものだよね」
「そうそう、もっと例えると雪温でワックスがあーだこーだ言ってるような話ですよ」
そんな話をしながら笑い合うのである。
南島の西海岸一帯はテワヒポウナムという世界遺産の一部である。
意味はポウナム(ひすい)の取れる場所。
鉄を持たないマオリにとって、硬いポウナムは刃物にもなるし道具や装飾品や武器にもなる。
その特別な石が出る特別な場所なのだ。
当然ツアー中はそういう話にもなるし、何回もNZに来ているお客さんのK氏は自分も欲しいなと言う。
トシキも自分も一つ欲しいなとつぶやいたので、これはと僕は思いついた。
もう何年前か忘れてしまったが、山小屋が僕にひすいの首飾りを託したのだった。
自分は常に首からぶらさげているので、山小屋のポウナムを仕事用のバッグに縛りつけていた。
それをトシキにプレゼントした。
山小屋がどういう心境で僕に託したかわからないポウナムだが、何年もぼくの仕事に常についてきて、そしてトシキへと渡った。
石との出会いもご縁とタイミングである。
その後、フォックスを出てホキティカまで来て、念願の買い物タイム。
ホキティカはポウナムのお店がたくさんあり、実際にそこで研磨加工して売っている。
お客さんにもそこで買うといいよ、とは伝えてあった。
お昼の後の自由時間では各自にお店を覗き気に入った石を買うのだが、お客さんのK氏の物欲に火がついたのか、幾つもあちこちの店でポウナムを買っていた。
K氏のポウナム欲はとどまることを知らず、最終日にクライストチャーチで空港へ行く直前にも石屋さんへ行きポウナムを購入した。
石との出会いも一期一会なので、これでいいのだ。
ツアー最後の晩は西海岸の街グレイマウス。
ここにはモンティースという老舗のビール工場があり、晩飯はそこでビールを飲みながらである。
ツアー途中からお客さんとかトシキがプロレタリア万歳を聴き始めたようで、割とその話題で盛り上がった。
トシキが何か良い事とかかっこいいセリフを言うと、「あ、プロレタリアで収録すればよかった」という具合だ。
ちなみに聞いてもらった感想は「思ったよりマイルド」なんだそうな。
みんなもっともっと過激なのを期待しているのだろうか。
まあプロレタリアという言葉自体がブルジョアジーに対しての言葉だから、一般庶民の立場からズケズケと「支配者どもFUCK!」ぐらいのものを期待するのだろう。
でもまあそこはそれ対立を煽っているのではないので、あんなぐあいなのである。
運転中に助手席のトシキが動画のカメラを向けて何か一言というから「自由市場経済を基盤とする資本主義社会では全てのものが商品と・・・・」とやり始めたら困ってたな。
最終日の晩はモンティースのブリューワリーということもあり、ぼくもよく飲んでトシキと何か良い話をしたようだが、いつものごとく良い話は忘却の彼方へぶっ飛んでしまい、楽しかったという思い出だけが残るのであった。
楽しい時というのはあっという間に過ぎてしまう。
最終日はアーサーズパスを超え、キャッスルヒルで撮影をしてクライストチャーチへ。
飛行機は夜なので夕方までにクライストチャーチへ行けば良い算段だ。
アーサーズパスを越えたらそこはぼくのホームグラウンドみたいなものだが、今回はそのホームが大変なことになっていた。
ブロークンリバーのスキー場入り口くらいが山火事で1000ヘクタールぐらい焼けてしまった。
1000haって普通の人にはあまりピンと来ないだろう、ぼくも来ない。
ツアーが始まるぐらいから燃え始め、しばらくは道も通行止め、この道が通れなかったらどうしようか、などとトシキとツアー中も話していたのだ。
幸いに雨が降り鎮火して道が通れるようになったが、国道の両脇は一面の焼け野原、考えていた洞窟も森の小川も立ち入り禁止。
それでも今回の目玉のキャッスルヒルは被害を受けなかったようで無事到着。
トシキが嬉々として写真を撮り、その撮ってる姿をぼくが撮る。
当たり前だがカメラを構える姿がカッコイイ。
何万回なのか何十万回なのか、カメラを構えてきた男のオーラがにじみ出る。
雪の斜面に立っているだけで上手いスキーヤーは分かる、というのと同じことだ。
プロの背中ってそういうもんだろう。
クライストチャーチで服を着替え荷物をまとめて、K氏の物欲を満たすために石屋さんに行きポウナムをめでたく購入し、さあ空港へ向かおうという所で助手席のトシキが悲痛の叫び声をあげた。
なんだなんだどうしたんだ、と思ったら他のお客さんも同時に「え〜!?」という声をあげた。
どうやら日本行きの飛行機が10時間遅れになってしまったとのこと。
空港まで数分という場所にいたので、取り急ぎチェックインカウンターへ。
すったもんだの末、航空会社がホテルも手配してくれてオークランドまではチェックインができて、あとは翌朝オークランド空港での再チェックインということで話がまとまった。
このグループはニュージーランド到着時に通関で時間がかかり、国際線のターミナルから国内線のターミナルまでダッシュしたと言っていた。
だがクィーンズタウン到着後は全て順調で天気も味方になってくれて、念願の氷河ヘリハイクもピンポイントで飛べた。
持っている人は持っているんだな、と思いながらツアーを続けてきたが最後の最後にこれだ。
飛行機が大幅に遅れると、日本へ着いてから北海道へ帰る便も変わってしまう。
日本行きの飛行機はさらに遅れ13時間遅れ、トシキはその日に家に帰れず結局羽田にもう一泊することになったとメッセージがきた。
チェックインを済ませ、近くのレストランで通夜のような食事をして空港でみんなを見送った。
ツアーのメンバーとは硬い握手を、トシキとはおっさん同士のハグをして皆と別れた。
山小屋が言い始めた『同じ匂いのする男』との関係がこんな風になっていくとは思わなかったが、だから人生って面白いんだ。
それもこれも全てご縁なのである。
熱き友情などという言葉はそれこそ昭和のそれであろう。
平成になったらそんなものはダサいとされ、令和の今では死語だ。
自分だってその言葉を聞いて思い浮かぶイメージは、沈みゆく夕日の中で泣きながら抱き合う星飛雄馬と伴宙太だ。(分からない人は分からなくてよろしい)
だけど全ての物事が、電話や宿の予約や支払いさえもがスマートになるこの時代にこそ、この古くてダサくて泥臭い『熱き友情』という昭和の言葉をあえて使いたい。
ちなみに僕の外見は古くてダサくて泥臭い昭和の頑固オヤジであるが、トシキはダンディーで格好いいオヤジだ。
そんな外見が全然違う僕らを繋いでいるのは、心の奥底にある芯なのだ。
この芯のつながりがあるからこそ、違うことをやっていても互いに認め合う関係が成り立つ。
浮世の物事に心を乱す事なく、己の中心を見据え己ができる事をする。
言い方を変えれば、方向性とバランスと行動だ。
さらに熱きといれたのは、自分の心の奥にある脈々とした想いである。
何が正しくて何が間違っているか簡単には分からない情勢でそれでもなお、自分自身の芯を信じて生きて行く。
見た目はクールでも情熱を持ち写真を撮り続けるトシキの心の熱さを感じるし、自分も自分の芯を信じて生きて行く熱いオヤジだと思う。
それがあるからこそ熱き友情という絆で結ばれる。
山小屋がいう同じ匂いとはそういうことだ。
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