あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

トーマスとモレーンクリーク 1

2017-06-01 | 過去の話
もう この話を書いたのも10年ぐらい前になる。
死んだパソコンと一緒に葬ってしまうのも、なんだかもったいないので記録がてらここに更新しておこう。


トーマスという山仲間がいる。
日本人だがボクらはトーマスと呼んでいる。
なぜ、トーマスなのか?という質問もあるそうだ。
トーマスの名付け親はボクだが、出会った日に「オマエは今からトーマスだ!」と叫んでそれ以来トーマスとなっているようだ。
と言うのもボクはベロベロに酔っぱらっていたのでその時のことを全く覚えていない。
ワーキングホリデー、略してワーホリという若者対象に海外で生活を経験してみませんか、というシステムがある。
ボクもトーマスも最初はワーホリだった。
ワーホリの期間は基本的に1年間である。その1年をどう使おうと本人の勝手だ。
ボクはヤツほど1年という限られた時間でこの国を深く見た人を知らない。
素直にこの人はスゴイなと思い、今でもつきあいは続いている。
スキーに関してはボクの方が経験はあるが、それ以外の山、夏山、沢登り、岩登り、野宿、などは全くかなわない。
まあそんなものはどっちが上だからエライなどというものではないので、ボクらは互いの実力を知っている者同士、気楽にあちこちの山へ行っている。
そんなボクらも最近では忙しくなり、シーズン中は仕事に追われ時間が全く取れない。
ボクらの仕事は波があるので忙しい時は殺人的に忙しくなるが、ヒマな時は全く仕事がない。
今年も4月の半ばになり、やっと互いに都合のつく時間ができた。
目的地はモレーン・クリーク。
モレーンとは氷河の堆石堤。氷河によって運ばれた岩などが氷河の後退によって取り残され、堤みたいになっている場所のことだ。クリークは小川。どんな場所なんだろう。




朝、クィーンズタウンを出てテアナウに向かう。
テアナウでは勝手にテアナウ・ベースと呼んでいるトキちゃんという友達の家があり、そこでトーマスと合流。
手早く荷物をまとめいざミルフォード・ロードへ。この道は観光ルートでレンタカーやバスなどが多い。ボクもトーマスも何十回も通っている道だ。
「どうよ、トーマス。最近何か面白いことをした?」
「ありましたよ。ボランティアでゴミ拾い」
「へえ、どこの?」
「それがねえ、フィヨルドランドの海岸線。人が全く入らない地域」
「ほうほう、で、どうだった?」
「まあ、人が入らなくてもブイとかそういう物が流れ着くわけです。それよりも、その場所というのは観光客はおろか、人間が行かない場所なんですよ。絶対に人目に触れることのない場所のゴミ拾いなんです。一緒に働いている人達もほとんどボランティアですしね」
まったくこいつは色々と面白いことを見つけてくるものだ。
「すごいねえ。これがこの国の人達なんだよね。やって良かったでしょ?」
「うん。だって自分だけだったら絶対行けない場所じゃないですか。そんな所へヘリで行って、誰も人が来ない海岸線のゴミ拾い。湘南の海岸のゴミ拾いじゃないんですよ」
「へえ、いいなあ、そんなの。あのね、トーマス、そういった仕事はお金にならないでしょ?」
「ならない」
「お金の為に働くのは当たり前だけど、こういったボランティアというのはお金よりも精神性が高い仕事なんだよ。ボランティアでも色々あるけど人助けのボランティアとも違うでしょ」
「違いますねえ」
「人助けのボランティアは対象が困っている人だけど、この仕事の対象は何?この国?自然?地球?」
「ですね」
「周りの人みんないい人だっただろ?」
「いい人だった」
「そういう仕事をする人は、愛に満ちあふれた人達だからね。一緒に居ても気持ちがいいよね」
「うん」
「いいなあ、トーマス。それは良い経験だよ。そういった経験がトーマスの人間性を大きくさせていくんだよ。」
ハンドルを握りながらヤツがつぶやいた。
「そうねえ、そうかもな。実はねもう一つあるんですよ」
「なになに?」
「リソレーション・アイランドっていう島でストート(おこじょ)トラップをしかける仕事」
「ナニそれ、面白そうじゃん」
「ええ。その島はこれから鳥の保護区となる島なんです。その前に徹底的にワナをしかけて哺乳類を一掃するんです」





ニュージーランドは元々哺乳類というものがいなかった。厳密に言うとコウモリが二種類いただけで四つ足の動物というものが存在しない国だった。は虫類もトカゲが数種類であとは鳥、ここは鳥の楽園だったのだ。
そして飛べない鳥、言い方を変えれば飛ぶことをやめてしまった鳥というものもこの国にはいる。
一番有名なのはキウィだろう。もともとキウィはその鳴き声から取った言葉である。
果物のキウィフルーツの命名もそこからきている。但し原産国は中国である。
ニュージーランド人のことをキウィと呼んだりもするし、よく家事をする旦那さんのことをキウィ・ハズバンドと言う。これは鳥のキウィの雄が卵を暖めるのをよく手伝うことからきている言葉だ。
昔はニュージーランド全国であちこちにいたのだそうだが、今では動物園でしか見ることはできない。
飛べない鳥で一番人目に触れるのはウェカだろう。ウェカはミルフォードトラックなどにもいるし、西海岸のキャンプ場の辺りをウロウロしているのをよく見る。色が茶色なのでキウィと間違われ、観光客が「キウィがいた」と大騒ぎするが、こちらはクイナの仲間である。
タカへという鳥は一時は絶滅したと思われたが1948年に再発見され今では手厚く保護されている。現在200羽ぐらい残っている。
カカポという世界一重い飛べないオウムは現在90羽ぐらいかろうじて残っている。これなどは一般に公開されておらず、ボクも写真でしか見たことがない。
その他、モアという世界一大きい鳥は体長3m体重250kgにもなったというが、すでに絶滅してしまい博物館に骨が残っているぐらいだし、フイアという鳥は飛べたんだけど絶滅してマオリ語の唄に残る。そういった鳥がたくさんいた。
現在、残っている鳥でもユニークな者はたくさんいる。
ロビンは森の中で会うと人間の方へ寄って来る。じっとしていると靴ひもをつつきブーツの上に乗ってくる。一番人なつっこい鳥だ。
ニュージーランド・ピジョンは世界で2番目に大きい鳩で普通の鳩の倍ぐらいの大きさだ。この鳩は木の実を食べるのだが、それを食べて酔っぱらってしまい地面で寝ていることがある。それでかどうか知らないが、この鳩の目は赤い。
鳥が地面に下りて生活ができた国。鳩が酔っぱらって寝ていても、襲われる心配が無かった国。
ここはそんな国だった。
そこに人間がやってきた。
人間はこの国にいろいろなモノを持ち込んだ。
植物、動物、虫、魚、鳥。あるグループの目標が、ニュージーランドをイギリスと同じような環境にするというものだった。今の世の中で言えばそれがどんなに愚かなことかすぐ分かるが、当時はニュージーランドの自然がどんなに貴重なものか人類は知らなかったのだ。
動物で言えば、ネズミ、猫、犬、羊、牛、馬、鹿、ポッサム、ウサギ、そしてストートなどイタチの類である。
これはひどい話で人々は狩りをする目的でウサギを持ち込む。ウサギの天敵がここにはいないので大繁殖して牧草を食い荒らす。怒った牧場主はウサギの天敵のイタチを持ち込む。イタチが鳥を襲う。
イタチから見れば逃げ回るウサギなど捕まえるより、敵のいないところで何万年ものほほんと育った鳥を襲う方が楽だろう。
人間がこの国に持ち込んだ最悪の生き物がイタチであり、現在この国に唯一いる捕食動物なのだ。愚かな人間がヘビを持ち込まなかったのは不幸中の幸いである。
話を現在に戻す。この国の人は過去に自分達の先祖がどういうことをやってきたかを知っている。その結果この国の自然がどうなったかも見ている。そして今、自分達が何をするべきか分かっている。その一環が空港でのきびしい検疫だ。何も知らない人は「こんなにきびしいなんて」とグチをこぼすが、植物の種一つから生態系がガラリと変わる可能性だってあるのだ。山にびっしりと生い茂ったエニシダを見ればよく分かる。この植物は地元では『侵略者』と呼ばれている。
もうこれ以上この国を変えないように、できることなら昔の状態に戻すように人々は働いている。
原生の木を植える仕事もあれば、人のいない海岸線のゴミ拾いだってある。そしてこれからトーマスがやろうとしているのが動物のワナを仕掛けるボランティアなのだ。
ガイドであるからこそ、その仕事にどんな深い意味があるのか分かる。
ボクはそんなことをやる友達を持つことに喜びを感じた。
「いいじゃん、トーマス。すごい仕事だな」
「でしょう。それでね、その仕事はワナを持って山の中歩くわけです。その重さが一人あたり25キロぐらい・・・なんですって・・・」
今回のボクらの装備は一人15キロぐらいだ。しかも道なき道を・・・。
「ガハハ、トーマス君、そんな仕事は選ばれた人しかできないぞ。そうかあ、君は選ばれた人だったのね。ガンバレよ。陰ながら応援するよ。それが何日間?」
「10日間」
「タフだなあ」
「でもね、舟の上で寝泊まりするのでシャワーとベッドはあるんです」
「そうだよな。それぐらいしなきゃ。どうせ夜はフリーなんだろ。酒は持っていけるの?」
「10日間ですからねえ。ビールじゃあっという間に終わるからバーボンでも持ってきます」
「星とかきれいだろうなあ。がんばれよ」
今回の仕事はさらにトーマスを大きくすることだろう。



観光ルートのミルフォード・ロードはバスやレンタカーが多いが、メインの道から外れホリフォード・ロードに入ると他の車は姿を消す。
選ばれた男トーマスが言う。
「おっリムが出てきましたよ」
「ホントだ」
ボクの住んでいるクィーンズタウン、それから仕事場のアスパイリング国立公園にはこの木はない。ボクが一番好きな木だ。
この木が多いのは西の海岸線沿い。この木に会うためにボクは西海岸へ足を運ぶ。そう、ここはもう西海岸のすぐそば。あと数キロ先はタスマン海だ。
未舗装の道をゴトゴトと10分も走り、車はガンズ・キャンプを越えた。このガンズ・キャンプだって「よく、こんな所に住むなあ」というぐらいワイルドだ。もうこの奥に人は住んでいない。
夏山のバックカントリーである。
「この谷を行くのかなあ?」
窓から山を見ながらゆっくりと進む。青空に切り立った岩壁が映える。気持ちのいいドライブだ。
車を置く場所を発見、白いステーションワゴンが1台。トランパーかハンターか、最低一人はこの奥に居るわけだ。
遅めの昼飯を食い、歩き始める。
トラックの入り口に立派なリムが立っている。ボクはリムに言った。
「やあ、歩きに来たよ。帰りもこうやって君と会いたいものだね。明日帰ってくるから道中の無事を祈っていてくれよ」
吊り橋でホリフォード川を渡り森の中へ。そこはもうフィヨルドランドの森である。雰囲気は森と言うより密林に近い。歩き始めてすぐに一人の男と会った。ライフルをぶら下げている。どうやらハンターのようだ、と思いきやトーマスが親しげに話し始めた。なんだ、トーマスの友達か。
「鹿を撃ちに山に入ったけど一頭も見なかった。人の足跡ばかりだし、頭の上は遊覧の飛行機がブンブン飛んでるのでイヤになって下りてきたところだ」
「ふーん、ボク達は1泊2日でレイク・アドレードを見に行くんだ」
「そうか。そういえばトーマス、オマエは今マナポウリに住んで居るんだよな。近いうちに遊びに行くぞ」
「OK、テアナウの仕事はまだやっているのかい?」
「やめちまったよ。ボスは悪いヤツじゃないんだけどな。金曜日にもらえるはずの給料が月曜になっても火曜になっても貰えないんだぜ。クソッタレ」
「たしかにな、まあいつでも遊びに来てくれ」
「ああ、オマエ等も気をつけて楽しんでこい」
彼と別れ歩き始め、ボクはトーマスに聞いた。
「前からの知り合い?」
「ええ、クリスっていうんですけどね。テアナウでシェフをやっていたんですよ。辞めたのは知らなかったなあ。でもまさかここで会うとはね」
「ホントだな。でもああやって会話の中に普通に『くそったれ』って出てくる人はいいねえ」
「ハハハハ。じゃあさっきの車はクリスのだったんだ。ということはこの奥に今日は誰一人いないわけですね」
心地よい緊張感である。何事もなく山を下れば良いが、それは100%保証されているわけではない。気を緩めればどんな山であろうと事故現場になりうる。



やがてスリー。ワイヤーの吊り橋にさしかかる。その名の通りワイヤーが3本だけの吊り橋である。
小さな看板が橋の脇にある。『レイク・アデレード 11~13時間』
その横に石でひっかいた落書き『BULL SHIT(ふざけんな)15』
誰が書いたのか知らないが、この人はこれぐらいかかったのだろう。甘いコースじゃあなさそうだ。
スリーワイヤーは吊り橋というよりも綱渡りだ。ワイヤーの1本を踏み両方の手に1本ずつ、計3本。
気を抜けば落ちる。だがここにこれがあることにより、靴をぬらさずに川を渡ることができる有りがたいものだ。スリーワイヤーでギャーギャー言う人はこれ以上奥に入らない方がよろしい。
そしてきついアップダウンを繰り返しながら進む。前を行くトーマスに話す。
「そういえばさあ、この前ワナカの航空ショーの仕事があってねえ。面白かったよ。お客さんにどっかの大学のセンセイがいて解説付きで見れた」
「あれ、行きました?僕は2年前に行きましたが面白いですねえ。あれ出ましたか?あのオーストラリアのジェット戦闘機?」
「出た出た。火い吹いてたよ」
「これは聞いた話なんですけど、昔はニュージーランドもああいうの持っていたらしいんですね」
「そうらしいね」
「それで、ああいう飛行機ってのは持っているだけでもすごい維持費がかかるそうなんです」
「ナルホド、それで?」
 なんとか会話ができるぐらいの坂を上りながら話す。
「それで、『こんなのうちが持っていてもしょうがないべ、やめちゃおうか?』『うん、ヤメヤメ』って簡単に決まっちゃったそうなんです」
「いやあ、トーマス。ニュージーランドってそういう国だね。いい国だ」
トーマスが振り向いて言った。
「ホントにねえ。新しいものを手にいれるんじゃなく、今まで持っていたモノを必要ないからといって簡単にやめられる国。これってスゴイですよ」
「うんうん」
やがて道は急な登りになり、ボクらは口数も少なくぜいぜいと登る。急な登りは2時間以上も続く。トーマスが前方上部を指して言った。
「ホラ、だんだん木が低くなってきましたよ。あの上辺りがテントフラットのはずです」
「テントフラットというぐらいだからテントを張るのに良い場所なのかねえ?」
ボクらが今まで通ってきた道はずーっと森の中で、テントを張れるような場所はない。
「うーん、本にはけっこうな湿地帯となってますが、どうなんでしょうねえ」
息も絶え絶えに台の上に上がると、そこは一面のコケの世界だった。
「うわあ、すごいなこれは」
「今までの所とは違いますね。こんなのあるんですねえ」
今までもずーっとコケの中を歩いてきたのだが、コケの厚さがここまで来ると一気に厚くなる。まさにここだけはコケが支配している幻想的なコケの世界だ。



さらにその奥には鏡のような池があり、正面の岩山、その奥の青空をくっきり映しだしている。池まで出て本物の山と見比べてみたが、池に映る山の方がきれいなのだ。ウソだと思う人は歩いて行って自分の目で見てみるといい。
迷わずザックを置いて休憩である。
「ここまでがんばったボーナスだね。こういうごほうびも必要、必要」
しばし静寂の池を眺める。一体今までに何人ぐらいの人がこの景色を見たのだろう。この国にはそんな場所がいくらでもある。苔の持つ無数の命のエネルギーに包まれ、ボクらは時を離れ自然にとけ込んでいった。
いつまでもここに居たいがボクたちには先がある。ザックをかつぎ池に別れを告げた。
再び歩き始めてすぐに森は開けた。正面に切り立った岩の壁が広がる。テントフラットである。
絶対にこんな所でテントなんか張りたくないな、というような湿地が数百メートル続く。ちょっと油断すると足首までずぶずぶともぐってしまうような場所だ。
ボクは流れをまたいだり草を踏んだりして出来るだけ濡れないように歩いたが、奮闘むなしく平場を渡り終える頃には靴の中はグチャグチャになってしまった。
テントフラットから森に入る辺りの地面が乾いていて焚き火の跡がある。
時間はまだ早い。最悪、ここでテントが張れるということを頭の隅に置き歩き続ける。
森が切れたと思ったら今度はシダである。
谷間の底は日も当たらず、露でシダの葉は水滴をびっしりとつけている。シダを払うと水滴はボタボタと葉を伝って流れる。胸の高さまであるようなシダをかき分けながら進む。
トーマスはカッパを着てたので平気だがボクはびしょびしょになってしまった。
「いやいや、こんなに濡れるとは思わなかったよ」
「ぼくもダスキートラックをやった時に、もう少しもう少しと歩いているうちにびしょ濡れになっちゃったんですよ。露もバカにできないですよ」
「全くだ。さすがフィヨルドランドだな。さて次はどこかな?」
この辺りまで来るとオレンジマーカーの数は極端に減る。一つのマーカーから辺りを見回し、遠くにポツンとあるマーカーに向かってひたすらシダをかき分けて進む。
やがてそのオレンジマーカーも姿を消し、石を積み上げたケルンを探しながら歩く。
右手には断崖絶壁がそびえ、白い滝が数百メートルの筋をつくる。
滝から流れている沢を渡り、次の森に入る辺りでキャンプ地を決めた。空はまだ明るいが谷底が暗くなるのは時間の問題だ。




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