ズンバ
2013-04-25 | 日記
先日、女房に誘われてズンバに行ってきた。
最近、女房はズンバにはまっていて、週に何回かいそいそとズンバへ行く。
楽しみながら運動をするというのはとてもいいことである。
そうしているうちに女房が細くなってきた。
こうなると体が軽くなり動くのも楽になるのだろう。
ますます楽しくなるという好循環である。
この日は娘の友達とそのお母さんも行くということで、それならばということで家族でズンバに行った。
以前にも1回行ったことはあるが、まあ慣れないのもあるが難しいこと。
インストラクターの動きに合わせ足を上げようとしても、その足に重心が乗っていて上げられない。
そうやっているうちに自分が何をやっているか分からなくなりヨレヨレへロヘロである。
女房殿はと見ると、さすが若いころサルサのダンスを習ったというだけあり、きっちりとリズムに乗ったステップでついていっている。
これだけできたら、そりゃ楽しいだろうなあ。
やってみて思ったのだが、手を抜いててきとーにやってもできるし、きっちりと動けばかなりハードな運動になる。
まあそのさじ加減は自分で決めれば良いのだろう。
そして又考えた。
これはヨガにも通じていないかと。
動きもストレッチみたいなものもあるし、これはインストラクターにもよるのだろうが東洋的な動きもあった。
ヨーガの極意とは、ポーズを作ることではなくたとえそのポーズができなくともそこに向かう姿勢が大切なのだ。
そう考えると、たとえリズムについていけなくとも、ヨレヨレでヘロヘロになってようが、気持ちがそこに向いていれば良しということか。
だがやはりリズムについていって、キビキビと踊る姿の方がかっこいいに決まってる。
目の前でキビキビ踊る女房はかっこいいのである。
会場は中学校の体育館で、そこに30人ほどの人が集まっている。
ほとんどは女性で男は2人だけ。
中には還暦を越えたような人もいる。
もちろんそういう人はインストラクターのようには動けないが、それなりに楽しそうである。
こういう時に日本人は、自分は上手く踊れないから恥ずかしい、と言うように考えるがこちらの人は気にしない。
年寄りは年寄りなりに楽しんでいるのが伝わってくる。
いつも思うことだが、この国の老人は元気である。
スキークラブでも老人は多いが、皆元気で楽しそうで生き生きとしている。
そういう人達を見ると、自分もこういうふうに年をとりたいなと思う。
こうなりたい、と思うとそうなる。そういうふうにできているのだ。
逆に『こうはなりたくないな』という思いがあっても、最初の思いが反映されるので結局そうなってしまう。
平和活動をするか反戦活動をするかの違いと似ている。
まあそんなこんなで1時間も踊れば汗もかき、そのあとのビールも旨いということで、めでたしめでたしなのだ。
この先もズンバを続けるかどうかは正直なところ分からない。
最近、女房はズンバにはまっていて、週に何回かいそいそとズンバへ行く。
楽しみながら運動をするというのはとてもいいことである。
そうしているうちに女房が細くなってきた。
こうなると体が軽くなり動くのも楽になるのだろう。
ますます楽しくなるという好循環である。
この日は娘の友達とそのお母さんも行くということで、それならばということで家族でズンバに行った。
以前にも1回行ったことはあるが、まあ慣れないのもあるが難しいこと。
インストラクターの動きに合わせ足を上げようとしても、その足に重心が乗っていて上げられない。
そうやっているうちに自分が何をやっているか分からなくなりヨレヨレへロヘロである。
女房殿はと見ると、さすが若いころサルサのダンスを習ったというだけあり、きっちりとリズムに乗ったステップでついていっている。
これだけできたら、そりゃ楽しいだろうなあ。
やってみて思ったのだが、手を抜いててきとーにやってもできるし、きっちりと動けばかなりハードな運動になる。
まあそのさじ加減は自分で決めれば良いのだろう。
そして又考えた。
これはヨガにも通じていないかと。
動きもストレッチみたいなものもあるし、これはインストラクターにもよるのだろうが東洋的な動きもあった。
ヨーガの極意とは、ポーズを作ることではなくたとえそのポーズができなくともそこに向かう姿勢が大切なのだ。
そう考えると、たとえリズムについていけなくとも、ヨレヨレでヘロヘロになってようが、気持ちがそこに向いていれば良しということか。
だがやはりリズムについていって、キビキビと踊る姿の方がかっこいいに決まってる。
目の前でキビキビ踊る女房はかっこいいのである。
会場は中学校の体育館で、そこに30人ほどの人が集まっている。
ほとんどは女性で男は2人だけ。
中には還暦を越えたような人もいる。
もちろんそういう人はインストラクターのようには動けないが、それなりに楽しそうである。
こういう時に日本人は、自分は上手く踊れないから恥ずかしい、と言うように考えるがこちらの人は気にしない。
年寄りは年寄りなりに楽しんでいるのが伝わってくる。
いつも思うことだが、この国の老人は元気である。
スキークラブでも老人は多いが、皆元気で楽しそうで生き生きとしている。
そういう人達を見ると、自分もこういうふうに年をとりたいなと思う。
こうなりたい、と思うとそうなる。そういうふうにできているのだ。
逆に『こうはなりたくないな』という思いがあっても、最初の思いが反映されるので結局そうなってしまう。
平和活動をするか反戦活動をするかの違いと似ている。
まあそんなこんなで1時間も踊れば汗もかき、そのあとのビールも旨いということで、めでたしめでたしなのだ。
この先もズンバを続けるかどうかは正直なところ分からない。
初ズンバは結構あちこち筋肉痛になった覚えがありますが、ひっぢはどうかな?
晴れてる日はジョギングか散歩、雨の日はズンバとその日の体調と天気に合わせて体を動かすと、
ご飯もお酒もおいしいし、何より笑顔が生まれます。
人間は体を動かすようにプログラムされてるんだなと思います。
いやね、自分はまだ楽しいというレベルではないのだよ。
でも体を動かすようにプログラムされている、と言うのは頷けます。
そりゃすげえな。
全然知らんけど日本ズンバ協会とかもあるのかな。
ズンバジャーナルとか週刊ズンバとかもあったりして。
見ちゃイヤ。
ブログを読んでいていつも思います。
夫婦仲良しの秘訣はなんですか?
こんにちは。
夫婦仲良しの秘訣ですか。
ちびまるこちゃんの丸尾君なみにズバリ言いましょう。
愛です。
愛ですか…。今の私には突き刺さります。
私には愛が足りないんでしょうね。
愛とは相手の全てを許す事ですか?
相手を変えようと思わず自分を変えようと本で良く読みますが、最近はどうしたら良いのかがわかりません。
例えば、私が大事な人へのプレゼントを心を込めて探していたとします。そこへ相手が一言、「他人にあげるものなんて何でもいい適当に選べ」と言ったとします。 私はそこで、怒るわけです。大事な人だからこそ、喜んでくれるものを探したいと。 そこで私が怒る事は相手を変える事になりますか?
未熟者なので悩みに悩んでいます。
なんか人生相談のようになってしまいましたが・・・。
例え話のところで一番大切なことはなんでしょうか?
それはあなたが大事な人へ心をこめたプレゼントを贈りたいという気持ちでしょう?そこが芯です。そこからぶれないように。
そのうえで、あなたの相手がどう言おうが問題ではない。
「君の立場で言えば君は正しい。僕の立場で言えば僕は正しい」わけで、その人にとってはそんなプレゼントはどうでもいいことなのでしょう。
ではそこから一歩進んで、何故あなたは怒るのか。
それは自分と同じ思いを相手が持たないから。すでに相手に対する期待がそこにあります。
相手が期待に応じられないと人は怒ります。
あなたはあなた。他人は他人。それが友人だろうが家族だろうが人は人。
あなたが怒ったところで相手は変わらないでしょう。
それは相手を変えたいという執着があるからです。
執着を解き放つことが近道なのだけど、まあ難しいですな。
大事な人へのプレゼントを「他人にあげるものなんて何でもいい」という人ならそんな相手を選んだのもあなたの責任。
人を責めても何も始まらない。
ここで元に戻りましょう。
あなたが持っている「心をこめたプレゼントを贈りたい」と言う気持ちに戻ります。
「プレゼントなんかどうでもいい」という人は放っておいて、あなたが自分の気持ちでプレゼントを選べば良いだけの話でしょう。
『自分は正しい、相手が間違っている』のではなく『自分は正しい、相手も正しい』のです。
答は全て自分の心の中にあります。