あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

あいつが悪い

2014-05-13 | 日記
以前出会ったとある人。
延々とパートナーの悪い所を並べ立てていたので、うんざりして僕は言った。
「何で別れないの?」
「みんなにもそう言われるんだよね~」
数年後にその人は別れたようだし、もうその人に会うこともないだろう。

誰かが悪いと言う人の精神構造を分析すると実にシンプル。
結局の所、あいつが悪くて自分は悪くない。
こんなに生活が大変なのも、世の中にイヤな事件が多いのも、物価が高いのも、天気が悪いのも、郵便ポストが赤いのも、みーんなあいつが悪いから。
自己正当化と言い訳だけで、そこに自分を省みる心はない。
あいつが悪いと言って人を見て、自分自身と向き合う事を避けている。
旦那や妻の悪口を言う人は、そのパートナーを選んだ自分の責任には触れない。
取引先やビジネスパートナーの悪口を言う人は、それを商売相手に選んでいる自分の責任には触れない。
上役や社長の悪口を言っている人は、その環境を自分が選んだ責任には触れない。
親兄弟、親戚の悪口を言う人は、そういうところへ自分が選んでやってきたことに気が付いていない。
今自分の周りに現れている現実とは、前世からのことも含め全て自分の心の現われなのだ。
それを指摘しても返ってくる答は「でもね・・・」なのである。
人間とはそうやって自己正当化する生き物だ。

手をピストルのようにして『あいつが悪い』と指差してみよう。
人差し指は『あいつ』を指す。
そう、あなたの言い分では悪いのは『あいつ』なのかもしれない。
その時に中指と薬指と小指が指しているのは『自分』だ。
あいつが悪いと指差せば3倍で自分のところへ還ってくる。
さらに親指はどこを指しているか?
天だ。
あいつと自分だけでなく天さえも悪いと指してしまう。
こりゃ救いようがないわな。

巷を見るとありとあらゆる所に、誰かを悪者にするシーンがあふれている。
勧善懲悪のドラマは時代劇からヒーローものの番組や映画まで、これは洗脳か?と思うほどありふれている。
テレビでも映画でもドラマでも結局のところ最後の最後に善の主人公が勝つ。
それに悪が最後に勝つドラマなら見たくない。
世の中では政治家が悪さをした、原発問題で悪いのは電力会社だ、大手の資本が悪い。
国で言えば韓国や中国が領土問題をけし掛けている、正義のアメリカが戦争を作っている。そういう国が悪い
その裏にあるイルミナティやフリーメーソンといった秘密結社のヤツらが悪いんだ。
人々は深層心理で悪を求めているのではないか?
その結果、今ある現実を作ってしまうのではないか、などと考えてしまう。
最初の話で出た人に、パートナーの弁護をしたら最後にはこう言った。
「じゃあ私が悪いって言うの!」
だーかーらー、誰が悪いとかって話じゃないのにそれが理解できない。
とことん、自分さえも悪に仕立て上げなければ気が済まないようだ。

僕はツアーの仕事をしているので、観光地によく行く。
行く先々でゴミを拾う。
以前はゴミを捨てる人を責めていたし、見せしめのようにゴミを拾った時もあったが、最近ではそういう気持ちもなくなった。
確かに自然が綺麗な所にゴミを捨てる行為は善ではない。
しかしそれを悪だと言って責める時、自分のレベルも下げてしまう。
自分のレベルを下げない為にすることは、黙ってゴミを拾う。
これも作務。お金にはならないが大切な仕事だ。
自分がゴミを拾えば山が喜ぶ。
僕はそこに強く意識を当てる。
僕がやることを山が見ている。
そこに意識をあてることにより自然との一体感はさらに深まり、もう捨てた人の事などどうでもよくなってしまう。
人が人を裁くのではない。
天が人を裁くのだ。
天に向かってツバを吐けば自分のところへ落ちてくる。
ここでもブーメランの法則は成り立つ。
それが分かっているので気づかずに悪行を重ねている人が可哀そうに思えてくる。
あーあ、この人はこれから大変な思いをするんだろうなあ、可哀そうに。
だがそれもこれも自分が選んだ選択なのでどうしようもない。
国同士でも同じ事。
中国や韓国が領土問題で日本にケンカを売っているのはニュースで見る。
領土問題というのは表に出ていることで、ケンカをするきっかけは何でもいいのだ。
これをあの国が悪いと言えば自分の国も同じレベルに下げてしまう。
僕はやっぱり可哀そうだなと思う。
慈悲の心を持ち静観。

こんな事を書くとまた極論が好きな人の声がどこからともなく聞こえてくる。
「じゃあこの世に悪い人はいないのか?実際に犯罪はあるじゃないか。」
確かに犯罪は今でもあるが、表面だけ見て悪と呼んでしまうことが問題だと思う。
「人間という物は善い行いの陰で悪さをやり、悪いヤツがちょっとしたことで善い事をするものだ。」
と鬼平犯科帳の鬼平も言っている。
この世は全て因果応報。
目の前に現れる事柄は自分の心の現れ。
地球の裏側で続いている戦争も終わらない原発問題も飢餓で死んでいく人も、自分に無関係ではない。
ほんのわずかでも僕にも責任はある。
かといって自分は悪くない。
悪くはないがこの世を作り上げている責任はあるのだ。
未来は未だ来ないもの。
それを現実という物に作り続けるのは自分の心なのである。



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