彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『琵琶湖周航の歌』歌碑

2007年09月16日 | 史跡
国宝彦根城築城400年祭のイベントの一環として9月16日に加藤登紀子さんのコンサートが行われました。加藤登紀子さんと彦根と言えば『琵琶湖周航の歌』ですね。


そんな『琵琶湖周航の歌』は、1971年に加藤登紀子さんがカヴァーされた事でポピュラーミュージックとして広まりましたが、本来は大正6(1917)年6月28日に琵琶湖一周の漕艇に来ていた第三高等学校(現・京都大学)のボート部員・小口太郎が琵琶湖周航の様子を故郷の諏訪湖に思いを馳せながら情緒豊かな詩を作った事が最初でした。


これが部員の中で広まり、当時既に世に広まっていた吉田千秋の『ひつじ草』のメロディーをあてて歌い継がれたのです。
吉田千秋は新潟県出身の人物で、『大日本地名辞書』を書いた歴史地理学者・吉田東伍の次男でした。
地名辞書の作者の息子の作曲した音楽に、琵琶湖周囲の地名をふんだんに含んだ詩を載せたという事は運命の出会いだったんですね。


曲はこうして出会いましたが、作詞者と作曲者は一度も出会う事はなく、作詞者の小口は26歳・作曲者の吉田は24歳で亡くなっています。

この2人は『琵琶湖周航の歌』を作るために生まれてきたのかもしれませんね。


ちなみに『琵琶湖周航の歌』は6番まで詩があり、


1.われは湖(うみ)の子 さすらいの
 旅にしあれば しみじみと
 昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
 滋賀の都よ いざさらば
 
2.松は緑に 砂白き
 雄松(おまつ)が里の 乙女子は
 赤い椿の 森陰に
 はかない恋に 泣くとかや

3.波のまにまに 漂えば
 赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
 行方定めぬ 波枕
 今日は今津か 長浜か

4.瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
 古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)
 仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
 眠れ乙女子 やすらけく
 
5.矢の根は深く 埋(うず)もれて
 夏草しげき 堀のあと
 古城にひとり 佇(たたず)めば
 比良(ひら)も伊吹も 夢のごと
 
6.西国十番 長命寺
 汚(けが)れの現世(うつしよ) 遠く去りて
 黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん
 語れ我が友 熱き心

というそれぞれの舞台に1番ずつ歌碑が建てられています。

彦根でも彦根港に古城・彦根城を歌った5番の歌詞を刻んだ歌碑が2005年10月に建立されています。
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