“日韓交流フェスタin彦根”に先立って、朝鮮と彦根を舞台にした小説をご紹介します。
タイトルは『つばめ』
著者:ジェームス三木
元々は舞台ミュージカルとして演じられていた物を小説として上梓された作品です。
主人公は30歳の彦根藩士・水島善蔵
善蔵は井伊直政に小姓として重用されていたのですが、治水や土木の才を見込まれて作事方に就いている130石の武士です。
直政が亡くなった時に、その側室だったお燕を拝領妻(家臣に下げ渡された妻)としていました。お燕は22歳。
拝領妻という事を鼻にかけず水島家に尽くす何でも率先してする奥さんでした。
善蔵とお燕はとても仲睦まじい夫婦だったのです。
時代は江戸時代初期。
彦根藩では佐和山城を廃城にして彦根城築城が行われ、善蔵も彦根城築城に作事方として参画していましたがそんな忙しい中でも二人の間には息子(一太郎)が生まれたのです。
そんな彦根城築城が落ち着いた慶長11(1606)年末(一太郎が生まれたのは秋)、水島善蔵は翌年に来る朝鮮通信使の接待準備を命じられたのでした。
この朝鮮通信使が彦根に入り藩の接待を受けた時、お燕が朝鮮の踊りを披露したのです。
そんなお燕を見て、堂上訳官・李慶植が「チョビ!」と叫び、お燕は動揺したのです。
実はお燕は豊臣秀吉の唐入りの時に日本兵にさらわれ、伊予大洲で機織の仕事をさせられたのですが、藤堂高虎が伏見の秀吉に献上した女性だったのです。
秀吉は病の為、お気に入りの井伊直政にお燕を与え直政は側室に迎えたのでした。
そして李慶植はお燕の朝鮮での夫だったのです。
朝鮮通信使の来日の目的は「秀吉に連れ去られた朝鮮人の全員の帰国」を幕府に主張する事でした。
この通信使を接待する善蔵と二人の夫の間で揺れるお燕。
そして井伊家が直継派と直孝派に別れ争う中、拝領妻の解釈も重なって間に挟まれてしまう善蔵やお燕の苦しみなど見どころが沢山です。
そして通信使の事もよく解る読み易い小説ですよ。
タイトルは『つばめ』
著者:ジェームス三木
元々は舞台ミュージカルとして演じられていた物を小説として上梓された作品です。
主人公は30歳の彦根藩士・水島善蔵
善蔵は井伊直政に小姓として重用されていたのですが、治水や土木の才を見込まれて作事方に就いている130石の武士です。
直政が亡くなった時に、その側室だったお燕を拝領妻(家臣に下げ渡された妻)としていました。お燕は22歳。
拝領妻という事を鼻にかけず水島家に尽くす何でも率先してする奥さんでした。
善蔵とお燕はとても仲睦まじい夫婦だったのです。
時代は江戸時代初期。
彦根藩では佐和山城を廃城にして彦根城築城が行われ、善蔵も彦根城築城に作事方として参画していましたがそんな忙しい中でも二人の間には息子(一太郎)が生まれたのです。
そんな彦根城築城が落ち着いた慶長11(1606)年末(一太郎が生まれたのは秋)、水島善蔵は翌年に来る朝鮮通信使の接待準備を命じられたのでした。
この朝鮮通信使が彦根に入り藩の接待を受けた時、お燕が朝鮮の踊りを披露したのです。
そんなお燕を見て、堂上訳官・李慶植が「チョビ!」と叫び、お燕は動揺したのです。
実はお燕は豊臣秀吉の唐入りの時に日本兵にさらわれ、伊予大洲で機織の仕事をさせられたのですが、藤堂高虎が伏見の秀吉に献上した女性だったのです。
秀吉は病の為、お気に入りの井伊直政にお燕を与え直政は側室に迎えたのでした。
そして李慶植はお燕の朝鮮での夫だったのです。
朝鮮通信使の来日の目的は「秀吉に連れ去られた朝鮮人の全員の帰国」を幕府に主張する事でした。
この通信使を接待する善蔵と二人の夫の間で揺れるお燕。
そして井伊家が直継派と直孝派に別れ争う中、拝領妻の解釈も重なって間に挟まれてしまう善蔵やお燕の苦しみなど見どころが沢山です。
そして通信使の事もよく解る読み易い小説ですよ。