大坂夏の陣で、八尾は藤堂高虎と長曽我部盛親が戦い、藤堂軍の援軍に井伊軍が駆け付けました。
寺の建立は南北朝時代と言われていて、境内には楠木正成の八臣の一人・八尾別当顕幸の墓があるので南朝方かと思ったのですが、
足利義満の書いた寺号の額もあります。
ちなみにこの寺号のある場所の真下に長曽我部軍の首を並べて高虎が首実験を行い、その床がそのまま血天井になっています。
重臣6名が亡くなっていますし、長曽我部軍の首も数百級あったと言われていますので、激戦だったことがうかがえます。
藤堂高虎が戦いの後に首実験を行い、戦死者の墓を建立したのが常光寺です。
寺の建立は南北朝時代と言われていて、境内には楠木正成の八臣の一人・八尾別当顕幸の墓があるので南朝方かと思ったのですが、
足利義満の書いた寺号の額もあります。
筆跡が義満に似ているため、多分本物だろうとのことでした。
ちなみにこの寺号のある場所の真下に長曽我部軍の首を並べて高虎が首実験を行い、その床がそのまま血天井になっています。
お寺の方は「アカマツの色だから血に似てるので、本当に血天井かはわからない」とも言われていましたが信じたいと思います。
そして、本堂裏に広がる墓地の一角に、東堂仁右衛門、藤堂玄蕃ら71名の戦死者の墓があります。
重臣6名が亡くなっていますし、長曽我部軍の首も数百級あったと言われていますので、激戦だったことがうかがえます。
ちなみに、常光寺は河内音頭発祥地の最古の伝承がある地とのことです。