焼津市中里には、彦根藩二代藩主井伊直孝の産湯の井があります。
伝承として井伊直政が東海道岡部宿の本陣で宿泊したときに、中里の女性が夜の相手を務めてその女性が故郷で産んだ男子が直孝であり、その産湯に使われたのがこの井戸の水とのことです。
直孝の出生でよく知られている話は、直政の正室唐梅院(花)の侍女だった印具徳右衛門の娘養賢院(阿古)に直政が手を付けてしまい、阿古は怒った花に追い出されて在野で直孝を産んだというものです。
もちろん、花が実家を頼ったと考えるのが普通ですが、印具氏は相模国内に地縁があるため、焼津市のある駿河国との縁が濃いとは思えず実際にはどうだったのかはまだわかりません。
ただし中里が井伊直孝と無縁だった訳ではなく、寛永6年(1529)に産湯の西にある若宮八幡宮を直孝が再建していることからも直孝と中里に深い繋がりがあったことは注目すべき点だと感じています。
ちなみに、若宮八幡宮と直孝の繋がりは棟札に書かれています。その内容は境内の案内板で読めます。
また、若宮八幡宮の石橋も価値がある文化財とのことでした。