東京の義弟の事務所に身を寄せている義母に、妻と一緒に新年の挨拶をするためです。
東京駅を降りてから東京フォーラムを抜けながら外に出て、徒歩で有楽町経由で銀座に出ました。
銀座通りをぶらついてからは、東京メトロで目的地の人形町に出ましたが、銀座は人でも多くて賑やかでした。
上の写真は、銀座をベビーカーに乗せられて散歩(?)する犬です。
・東京フォーラムの展示1
・同上2
・同上3
・有楽町
・銀座1
・同上2
・同上3
・同上4
・同上5
・行列の出来ているH&M
・同上2
・同上3
目的地に向かう途中の人形町には七福神神社がありましたので、夫婦で初詣をして家族の健康と下の娘の就活の成就を祈りました。
・七福神神社1
・同上2
・同上3
3時間ほど話込んで、義母の元気そうな様子で安心した後は東京駅に戻り、家族への土産物などを求めて帰りました。
・東京駅一番街の新春演芸
・ティータイムの店で
東京駅を降りてから東京フォーラムを抜けながら外に出て、徒歩で有楽町経由で銀座に出ました。
銀座通りをぶらついてからは、東京メトロで目的地の人形町に出ましたが、銀座は人でも多くて賑やかでした。
上の写真は、銀座をベビーカーに乗せられて散歩(?)する犬です。
・東京フォーラムの展示1
・同上2
・同上3
・有楽町
・銀座1
・同上2
・同上3
・同上4
・同上5
・行列の出来ているH&M
・同上2
・同上3
目的地に向かう途中の人形町には七福神神社がありましたので、夫婦で初詣をして家族の健康と下の娘の就活の成就を祈りました。
・七福神神社1
・同上2
・同上3
3時間ほど話込んで、義母の元気そうな様子で安心した後は東京駅に戻り、家族への土産物などを求めて帰りました。
・東京駅一番街の新春演芸
・ティータイムの店で
ぼくのだ! わたしのよ!
-3ひきの けんかずきの かえるの はなし-
作: レオ・レオニ
訳: 谷川 俊太郎
出版社: 好学社
たった ひとつだけ いわが のこった、さんびきは
さむさと こわさに ふるえながら そこに あつまった。
こわい、でも たすかるかもしれない、そのきもちは
おなじだから。 すこしずつ みずが ひいていった。
あめは こぶりになり やがて やんだ。
池に浮かんだ小さな島の上に、けんかばかりしている三匹のカエルがいました。
池に入ろうとすると、「ぼくの みずだぞ」と叫びます。
島にいるカエルは、池にいる二匹に、「しまから でていけ!」とどなります。
翔んでいるチョウを追っては、「わたしの くうきよ!」とわめきます。
ある日、大きなヒキガエルが彼らのところにやってきました。
うるさくて心の休まるひまも無いので三匹に争いを止めてくれるように頼んだのです。
しかし三匹は少し反省したものの、なかなか争いが収まりません。*1)
ヒキガエルが行ってしまった後も、追いかけっこをはじめてしまいました。
突然、雷を伴う大雨が降り出し、島は濁った水にのまれてどんどん小さくなっていきました。
三匹は離ればなれになって残った岩にしがみついていましたが、寒さと怖さに震えます。
最後に残った岩にみんなが集まると少しだけ元気になりました。
怖い気持も、助かるかも知れない気持も同じだったからです。
幸いにも雨は止み水が引くと、三匹が乗っていた岩が、さっきの大きなヒキガエルの背中だと分かりました。
次の朝、元の透き通った池で遊ぶ元気な三匹のカエルたちの声がしました。
しかしそこには、以前のように独り占めにしようとする者は誰もいませんでした。
前回の「アレクサンダ と ぜんまいねずみ」と同様に、友達をテーマにしていますが、ここでは譲り合うことでの心地よさを教えてくれます。
それと同時に、それは共感を経てのものであって、無条件ではないこともこの作品は教えてくれています。
具体的にそれを示すのは*1)の部分であって、実は虫を追いかけるシーンがあり、二匹は「むしは みんなの ものだ!」と言い、一匹は「これは ちがう。 これは ぼくのだ!」と逆らっていたのです。
このシーンにおいては、教えがあっても、集団においてはなかなか受け入れられない現実を表しています。
子供に読ませるにしても、ここまで入念に練り上げた構成を私は知りません。
このように私達にとっては教えの多い作品ですが、それを押し付けがましくしたり、嫌らしくしていないのは、レオ・レオニ独特のデザイン的な画風によるものが大きいのであって、だからこそ長く支持され続けているのだと思います。
さて次回に取り上げるレオ・レオニの作品は、何にしましょうか?
-3ひきの けんかずきの かえるの はなし-
作: レオ・レオニ
訳: 谷川 俊太郎
出版社: 好学社
たった ひとつだけ いわが のこった、さんびきは
さむさと こわさに ふるえながら そこに あつまった。
こわい、でも たすかるかもしれない、そのきもちは
おなじだから。 すこしずつ みずが ひいていった。
あめは こぶりになり やがて やんだ。
池に浮かんだ小さな島の上に、けんかばかりしている三匹のカエルがいました。
池に入ろうとすると、「ぼくの みずだぞ」と叫びます。
島にいるカエルは、池にいる二匹に、「しまから でていけ!」とどなります。
翔んでいるチョウを追っては、「わたしの くうきよ!」とわめきます。
ある日、大きなヒキガエルが彼らのところにやってきました。
うるさくて心の休まるひまも無いので三匹に争いを止めてくれるように頼んだのです。
しかし三匹は少し反省したものの、なかなか争いが収まりません。*1)
ヒキガエルが行ってしまった後も、追いかけっこをはじめてしまいました。
突然、雷を伴う大雨が降り出し、島は濁った水にのまれてどんどん小さくなっていきました。
三匹は離ればなれになって残った岩にしがみついていましたが、寒さと怖さに震えます。
最後に残った岩にみんなが集まると少しだけ元気になりました。
怖い気持も、助かるかも知れない気持も同じだったからです。
幸いにも雨は止み水が引くと、三匹が乗っていた岩が、さっきの大きなヒキガエルの背中だと分かりました。
次の朝、元の透き通った池で遊ぶ元気な三匹のカエルたちの声がしました。
しかしそこには、以前のように独り占めにしようとする者は誰もいませんでした。
前回の「アレクサンダ と ぜんまいねずみ」と同様に、友達をテーマにしていますが、ここでは譲り合うことでの心地よさを教えてくれます。
それと同時に、それは共感を経てのものであって、無条件ではないこともこの作品は教えてくれています。
具体的にそれを示すのは*1)の部分であって、実は虫を追いかけるシーンがあり、二匹は「むしは みんなの ものだ!」と言い、一匹は「これは ちがう。 これは ぼくのだ!」と逆らっていたのです。
このシーンにおいては、教えがあっても、集団においてはなかなか受け入れられない現実を表しています。
子供に読ませるにしても、ここまで入念に練り上げた構成を私は知りません。
このように私達にとっては教えの多い作品ですが、それを押し付けがましくしたり、嫌らしくしていないのは、レオ・レオニ独特のデザイン的な画風によるものが大きいのであって、だからこそ長く支持され続けているのだと思います。
さて次回に取り上げるレオ・レオニの作品は、何にしましょうか?