脈拍が弱って別室に移されたと連絡を受けたのは朝の6時でした。
妻は朝食の支度を下の娘に代わってもらい、私の運転する車で駆けつけるとずっと母親の側に付き添っていましたが、ふっと目を離した瞬間に呼吸が止まっていたのだそうです。
医師が病室に入って来て死亡を確認したのは9時ジャストでした。
私が妻から悲報を受け取ったのは、下の娘を一旦病院に送り、続けてで勤め先の会社にも送った後に出社した職場の事務室で、一番にやっておかなくてはならない最初の仕事を片付けた後でした。
急遽パソコンから休暇申請をして妻のところに駆けつけると、目を泣き腫らした妻がいて義母の顔にはまだ温もりが残っていました。
上の娘はたまたま今日がバイトの休みだったので、受け持った家事をやりかけのままにして病院に駆けつけ、私が病院に着く前に病室に入っていました。
川崎から義弟が駆けつけたのが昼の1時になってしまいましたが、葬祭業者に預かってもらうまでの間は私達夫婦と娘二人とで義母を見守っていました。
妻と義弟と業者の間での打ち合わせが始まってからは、悲しみに暮れている暇はありません。
3時頃になったら、横浜から義理の叔父も秋田から妻の従兄も駆けつけてくれました。
義弟と従兄は今夜母親の住んでいたアパートに泊って、妻と一緒に義母の昔話に花を咲かせることでしょう。
お母さん 今までありがとうございました。
先に旅立ったお父さんとは 空の上で22年振りの再会を果たしたのでしょうか?
面倒見が良くて潔く そしていつでも背筋を伸ばして凛とした存在が 私達家族の道を照らす光でした。
お父さんの故郷の秋田にいた頃のあなたに 私の作ったソラマメを送るのが 私の一年を通した畑仕事の中でも 一番のイベントでした。
あなたがもう帰ることのない故郷の 今まであなたがそこでお世話になった方々に これからも私はソラマメを送り続けます。
-死亡診断書-
-遺された家族や親族のためのガイドブック-
-葬祭業者との打ち合わせ-
-危篤の報せを受けて駆けつけた病院で妻のために-
-危篤の報せを受けて妻のために娘に握ってもらったおにぎり-