病棟なのだからパジャマ姿の入院患者が歩いていても不思議ではないし、見舞い客が歩いていても当然なのだが、その見舞い客が入院患者と談話室で歓談している風景に、少なからず違和感を感じていた。
母親の入院の見舞いで談話室を使ったのは、確か最初の手術の時だけだったと記憶している。
母親の2回目以降の入院では、手術から回復してくると母親は我が身の境遇を嘆くばかりで、私達家族が見舞っても何ひとつ嬉しそうな顔を見せることもなかった。
3回目からは体が元気になると逃げ出そうとするので、いつもベッドに拘束されてうめくか看護師たちへの呪いの言葉を吐き出していた。
はっきりとした認知症状が出ていたのは、確かこの頃からだったと思う。
4回目以降からは認知症状が進み、怒りも嘆きもその表情に出さなくなった今は、回復してその身をベッドから起こしてはいても、まるで亡霊のようなたたずまいでその視線をいつも私の知らないどこかに向けていた。
一方で妻の母親の入院の時は、もう既に私とは会話が出来る状態ではなく、入院中の一ヶ月の殆どを痛み止めによるうつらうつらで一日中過ごしていた。
だから病室に着くまでに見える談話室の様子は、私にとってまるで遠い世界のことのように思えるのだ。
母親の入院の見舞いで談話室を使ったのは、確か最初の手術の時だけだったと記憶している。
母親の2回目以降の入院では、手術から回復してくると母親は我が身の境遇を嘆くばかりで、私達家族が見舞っても何ひとつ嬉しそうな顔を見せることもなかった。
3回目からは体が元気になると逃げ出そうとするので、いつもベッドに拘束されてうめくか看護師たちへの呪いの言葉を吐き出していた。
はっきりとした認知症状が出ていたのは、確かこの頃からだったと思う。
4回目以降からは認知症状が進み、怒りも嘆きもその表情に出さなくなった今は、回復してその身をベッドから起こしてはいても、まるで亡霊のようなたたずまいでその視線をいつも私の知らないどこかに向けていた。
一方で妻の母親の入院の時は、もう既に私とは会話が出来る状態ではなく、入院中の一ヶ月の殆どを痛み止めによるうつらうつらで一日中過ごしていた。
だから病室に着くまでに見える談話室の様子は、私にとってまるで遠い世界のことのように思えるのだ。