2月25日の退院から10日経ちましたが、母親は未だに病気で入院する前の元の状態に戻れません。
退院当日の方が自分で箸を持って食べたりもしていたので、むしろ傾向としては悪くなっています。
脱力状態での母親の移動や着替え、そしてトイレは男二人掛りでも大変なのですが、親父は私がいない時にこれを一人でやっているのです。
身体強健な親父も今年は88歳になります。
普通なら愛があったところでもやっていけるようなものではないでしょう。
つくづく親父への感謝と尊敬を感じます。
ところで、幸いと言うべきか予想通りと言うべきか、我が家の一階のトイレは普通の家の二倍以上、風呂場も二倍近くの広さがあり、介助者が2人入れるほどの余裕があります。
親世帯との同居を考えた時に、一番配慮したのがバリアフリーと介助のしやすさでしたが、この家は老いた両親と同居するためだけに私が考えて建てたのです。
しかし生活の楽しさを感じる家を夢見ていた妻には大不評で、今でも時々愚痴を聞かされて辛くなります。
同居を考えた時に私には覚悟がありましたが、妻とは十分に話し合っていませんでした。
妻との関係では今までそれが長いこと負い目になっていましたが、妻の母親を呼び寄せて看取れたことでいくらかは赦してもらえたかも知れません。
退院当日の方が自分で箸を持って食べたりもしていたので、むしろ傾向としては悪くなっています。
脱力状態での母親の移動や着替え、そしてトイレは男二人掛りでも大変なのですが、親父は私がいない時にこれを一人でやっているのです。
身体強健な親父も今年は88歳になります。
普通なら愛があったところでもやっていけるようなものではないでしょう。
つくづく親父への感謝と尊敬を感じます。
ところで、幸いと言うべきか予想通りと言うべきか、我が家の一階のトイレは普通の家の二倍以上、風呂場も二倍近くの広さがあり、介助者が2人入れるほどの余裕があります。
親世帯との同居を考えた時に、一番配慮したのがバリアフリーと介助のしやすさでしたが、この家は老いた両親と同居するためだけに私が考えて建てたのです。
しかし生活の楽しさを感じる家を夢見ていた妻には大不評で、今でも時々愚痴を聞かされて辛くなります。
同居を考えた時に私には覚悟がありましたが、妻とは十分に話し合っていませんでした。
妻との関係では今までそれが長いこと負い目になっていましたが、妻の母親を呼び寄せて看取れたことでいくらかは赦してもらえたかも知れません。