安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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南谷、垣内両氏、遺族会に事故責任認める

2008-12-15 21:09:05 | 鉄道・公共交通/安全問題
<福知山線脱線>当時のトップ2人、遺族会に事故責任認める(毎日新聞)

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 兵庫県尼崎市で05年4月に発生したJR福知山線脱線事故に関し、当時JR西日本の会長だった南谷昌二郎顧問と、社長だった垣内剛顧問の2人が14日、事故遺族でつくる「JR福知山線事故賠償交渉の会」との初めての面談に応じた。同会の遺族によると、事故について会社の責任を認める発言もあったが、具体的な事故原因には言及しなかったという。

 同会は、JR西側との賠償交渉を集団で進める目的で今年5月、三十数遺族で設立。この日は大阪市内に遺族36人が集まり、非公開で面談した。遺族によると、南谷氏は「事故は一運転士だけの責任ではなく、会社のマネジメントに問題があった」と述べた。垣内氏は事故の背景にトップダウンの経営や行き過ぎた省力化があったことを認めた。

 ただ、詳しい事故原因に関しては「航空・鉄道事故調査委の調査結果を尊重する」と繰り返すにとどまった、という。【脇田顕辞、小林祥晃】
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遺族たちの粘りが、ついにJR西日本という病める巨象を動かし始めた。

国鉄職員を首切りし、みずからはそれを恥じるどころか喜々としてJRのトップに就いた南谷、垣内氏が、尼崎事故の背景にトップダウンの経営や行きすぎた省力化にあると認めたのだ。「トップダウンの経営」とは効率を最優先にすること、「行きすぎた省力化」とは利益を極大化することである。それは、利益追求と「日勤教育」に象徴される締め付け支配を両輪とする「民営化」が尼崎事故によって決定的に破綻した事実を両氏が直接認めたということにほかならない。

繰り返そう。鉄道は利益のために走ってはならない。公共性のために奉仕し、走るものでなければならない。そもそも、固定費用が高く、収入の大半が使用対価である鉄道で、儲けなど出る方がおかしいし、それが理解できない経営者は去るべきである。当ブログは過去から現在まで、ずっとそう主張し続けてきた(注)。

国鉄民営化以来、儲けることしか知らなかったJRの経営に、今、「利潤から安全性と公共性へ」というパラダイムチェンジを起こす好機が到来していることは、間違いない。

(注)「固定費用が高く、収入の大半が使用対価である鉄道で、儲けなど出る方がおかしい」という当ブログの主張は、若干、読者の皆さまには理解しにくいのではないだろうか。

このことをよりご理解いただくために、当ブログ管理人が過去に発表した以下の文章を再掲する。これをお読みいただけば、「固定費用が高く、収入の大半が使用対価である鉄道で、儲けなど出る方がおかしい」という当ブログの主張をご理解いただけるのではないかと思う(あわせて、2006年1月17日付の過去ログも参照されたい)。

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「鉄道の利潤第一主義は何をもたらすか~鉄道事業の経済学」

国鉄「改革」を進めた政府・自民党や財界は、初めから民営で経営されている私鉄では国鉄以上の安全運行をしているのだから民営化しても安全性は維持できると主張した。だがこの主張は誤りである。そのことは、鉄道事業の持つ経済的特性を検証すればすぐにわかることである。

 他産業との比較で見てみよう。たとえば自動車産業の場合、工場や生産設備それ自身は利潤を生まない。それら設備を通じて自動車という商品が生産され、その商品が販売されたときに初めて売り上げ、利潤が生まれる。また、生産設備の能力が許す限り次々と商品を生み出し、売り上げや利潤を増やすことができる。

 これに対し、鉄道は線路や列車といった施設・設備それ自体を旅客に利用させ、運賃・料金という形で対価を受け取る。施設・設備を使用することへの対価という意味では、家賃・地代と同様の性格のものであり、非競争的・非代替的である(それが気に入らないからといって他社の同種のサービスに乗り換えることができない)ことを特徴とする。

 次に販売業と比較しよう。ある商店にラーメンを10個求めてやってきた客がいるのに、運悪く5個しかラーメンの在庫がないとする。商店側が利益を得たければ、とりあえず在庫の5個を売っておき、「残りの5個は明日入荷しますので改めて買いに来てください」ということもできる。10人の家族が5個のラーメンをめぐってけんかをする可能性はあるが、そのときは5個のラーメンを分けて食べるだけのことだ。顧客が希望する数量を店側が満たせないからといって、お湯を入れても食べられないなどということもない。

 しかし鉄道は異なる。10km離れた駅まで行きたいという客がやってきたのに、工事の遅れで5kmしか開通していないときに、「残りの5kmは明日工事が終わり開通しますので、今日はとりあえず5kmだけご乗車いただき、残りは明日改めてご乗車ください」などと言えば、乗客は怒って乗らないまま帰ってしまうだろう。得られるはずだった売り上げ・利潤は全額がご破算となるのだ。

 このように、不完全な形でとりあえずサービスを供給するという選択肢は鉄道にはあり得ない。100%完全な形での供給を目指さなくてはならないから、最低限のサービスを行うための費用(固定費用)はそれだけ跳ね上がることになる。多くの商品を生産・販売すれば、それだけ利潤を増やせる一般の産業と異なり、鉄道では、乗客が増えれば増結や列車本数の増加、施設の増強などの設備投資を行わなければならない。大都市圏の通勤通学路線では、割引率の大きい定期券客ばかりが増え、日銭も入らないのに設備投資の費用だけはかさんでいく、といった事態さえ起こり得るのだ。

 私鉄でも最も費用のかかる施設の整備・改修には多くの補助金が投じられている。近年、鉄道会社の負担を少しでも減らすため、線路の保有は別会社が行い、鉄道会社は列車の運行だけを行う「上下分離方式」が採られることも多くなっている。列車を動かすだけなら一見優等生に見える私鉄も、補助金という「生命維持装置」をつけることでようやく安全運行を維持しているに過ぎないのだ。

 ここに鉄道事業の独占性・公共性がある。このような事業に新自由主義的競争政策を強引に持ち込めばどのような事態が起こるかはもはや説明するまでもなかろう。JR各社で起きているレール破断、たび重なる運休や遅延、重大事故などは、こうした鉄道事業の特性を理解せず、利潤第一主義で現場をひたすら締め付けながら安全投資を極限まで減らしたことから生み出されているのである。

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