法則12「集中力はその開放によって発揮できる
今の日本の社会は人を集中させる方向、称して集中社会根の志向が目に付く。その大きな要因になっているのが、コンピューターである。コンピューターをいじった人なら気が付いているはずである。ひと時も気を緩められない状態で仕事をする日が毎日続く。気を抜くと誤りが起こる。「人間、その誤りやすき者」が「コンピューター、その誤らない物」を相手に仕事をしているのだから、よほど集中していないと対応できない。
こうした状況で、集中力の解放はますます重要性を帯びてきている、
さらに、質の良い集中ができるためにも、集中からの解放が必要である。集中力が人間の能力を増大してくれているのはよい集中のときであり、悪い集中は、結局は人間をダメにしてしまう。
ここでいう、悪い集中、よい集中とは、こんなことが分かれ目になる。
① 強制されたものか、自発的なものか
② 集中したあと、気持ちが悪いか、よいか
③ 集中したあと、気晴らしが必要か、いらないか
④ 集中していた仕事や勉強が、その場限りに終わるか、将来につながるか
我々が生きていくには自分の好きなことだけをしているわけにはいかない。その場限りの、強制された仕事も勉強もしなければ生きていけない。もしかしたら、そんなことに費やす時間のほうが多いかもしれない。したがって、質の悪い集中もできなくてはならない。そんなときの集中こそ、あとを引く。意図的に集中を解放するための努力をしないとストレスとして残る。よい集中であっても、寝食を忘れて一週間も没頭したりすると、からだがやられてしまう。よい集中は不思議なくらい持続力があるので、放っておくとしばしばこうなりがちなので注意が必要である。
さらに、よい集中であってもその発揮すべきタイミングを間違うと、視野を狭め、思い込みに陥りやすいので、警戒するに越したことはない。
最後に、親、同僚、部下、上司、先生、誰でもいい。あなたのことを良く知っていてくれる人からの忠告がもらえるような人間関係を、普段から作っておくように心がけたい、そうした人からのちょっとした忠告が、あなたの過度の集中を指摘してくれるはずである。時には、それに反発するくらいの気持ちもほしいが、まずはありがたく従うことである。
終わり