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保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

コリアンパワーVS船士ネタパワーが激突!韓国のお客様がご乗船。

2011-08-27 21:03:16 | 船頭
本日のお客さまはお隣の国・韓国からお越しのツアーグループさん。

皆さん、乗る前から乗船場に下りて、所々で舟をバックに
記念写真をお撮りながら盛り上がっておられました。
たまたま、通りかかった私も捕まり、一緒に写真を撮りまくり状態へ!
韓流女優のような美しい方とも、肩に手を回して貰い「ハイ、ポーズ!」

などなど・・・して小さな国際交流に勤しんでいたりしていた
訳ですが、まさか、その時は私の舟にお乗りなるとはつゆ知らず・・・

偶然にも順番のめぐりあわせにより、先ほど記念写真を撮った
韓国の団体さんが、バッチリ!わたしの舟に。

さあ~大変です~

お乗りなった時からテンション上がりまくり状態!!
「フォー!」「コンニチハ!」などと歓声を上げながら舟は
乗船場から出発です~目指すは京都嵐山までの1時間半。

アオサギや鵜などの鳥たちや亀が甲羅干しをしている姿を見つけては
歓声が上がりまくりのハイテンション!

舟を漕ぐ私もこのテンションに押され、遅れをとっては日本船士の名折れ?(なんのこっちゃ~)
とばかりにアクション付きで盛り上げ返します。

棹の跡(400年間、船頭が竹棹で差し続けて凹んだ跡)で上手く棹が
凹みに命中すると「おや?拍手がないよ~ハイ、拍手!!」と思いっきり
拍手の催促をすると「おお!エエヤン!」「マイド、オオキニ~」などの
怪しげなイントネーションの関西弁まで飛び出しながら、割れんばかりの拍手と
野太い声の歓声が渓谷に鳴り響き渡りました。

「コリアンパワー炸裂VS船士ネタパワー」の激突!
かみ合っているのか?いないか?ちょっとわからりませんが、
手のひら振ったり、拳を上げるなどのオーバーアクションあり!、
お客さんの怪しげな日本語と私の怪しげな韓国語の掛け合いもあり!
ず~っとこんな調子で舟は嵐山まで向かったのでした。

それでも、みなさん、舟を降りられ別れ際の挨拶の時には
代わる代わるに握手を求めて来られ、満面の笑みで
「たのしい~かった~」と日本語で言って下さり、舟が見えなく
なるまで手を振って下さっていました。

また、私の韓国のお客さんとの掛け合いを苦笑?しながらご覧になられていた
日本人のお客さん4名様も「笑わせて貰いました。とても楽しかったですよ」と
言っていただきました。

日本と韓国、巷ではいろいろとありますが、こんな小さな出会いが
両国のイメージをアップにつながれば、こんな嬉しいことはありませんね。

法政大学広告研究会の皆様がご乗船されました。

2011-08-24 23:29:02 | 船頭
最近、涼しい日が続いていましたが、今日は夏日が戻ってまいりました。

救命胴衣を義務づけてから、初めての夏日ということもあり、
お客様の反応なども気になるところですが、皆様、快く着用して
下さり、降りられるまで脱着されることなく過ごされていたので
一安心といったところです。

そんな朝、今日は東京から法政大学の広告研究会の皆様、
総勢約110名が舟にお乗りいただきました。

東京六大学のひとつ法政大学・・・さすがはマンモス校です。
100名を超すようなサークルがあるとは・・・

話を聞けばこれでも京都に行こう!企画に参加したメンバーが
これだけで、総部員数は200名を超えるというから驚きです。

将来は「電通か博報堂狙い?」と聞くと「もちろん希望は~」
ということですが、それらの企業に入社できなくても、
「一般企業の広報や宣伝担当などの部署でもノウハウを活かせる」とのこと。
みなさん、なかなかしっかり将来を見据えているのですね。

私なんか、学生時代、遊びまくって「将来のこと」なんて真剣に
考えたことなかったですから・・・

とはいえ、やはり広告代理店やCM業界はいつの時代も人気商売だと
いうことはよくわかりました。

さて、みなさんは昨日京都に入り、朝から
「金閣寺→京都大学→銀閣寺→八坂神社→清水寺→祇園」を
9時間で回るという強行スケジュールだったそうです。

今日はのんびり川下りということだそうですが、時代の流行に
敏感であり、様々な場所やいろんな活動などを、注意深く
観察されている皆様の目に、この保津川下りはどのように映ったのでしょうか?

舟の中でも、VTRやカメラ撮影などもされていたので、もしかしたら
大学対抗広告大賞などの応募作品になってくれた嬉しく思います。

とにかく元気いっぱいで若者パワーあふれる、爽やかな川下りでした。


国の安全運行指導視察を受けて思う保津川の舟文化。

2011-08-19 23:41:35 | 船頭
先日の天竜川での舟転覆事故を受けて今日、安全運行面の指導と確認を
行うために国土交通省近畿運輸局の職員方が保津川遊船企業組合にお越しになりました。

この訪問は事故の重大性を考慮した同運輸局が、河川を使用して
川下りや遊覧船を運航している企業等を対象に、緊急の視察と
指導を実施するもので、私達の保津川下りでは救命胴衣の数や
保管場所、着用説明の状態などの安全面での体制の確認をされました。

今日お越しになったのは同運輸局・海上安全環境部と海事振興部の
職員さん7名で、現場視察の後、組合の理事長はじめ理事4名から
運行中止条件や船士の操船基準など安全運航体制に関する具体的な
説明と聞き取り調査を行い、個々の事例についての意見交換も行いました。

午前10時30分頃の訪問にはテレビ局ははじめマスコミ関係者も
多数随行され、聞き取り調査と意見交換の場はまるで記者会見場さながら
の物々しい雰囲気に包まれました。
その後マスコミ各社は、お客様の乗船する模様や救命胴衣の着用状態
を取材され、中には「あの事故があって舟に乗るのは怖くないですか?」
などとお客様にTVカメラを回し直接インタビューされる局もありました。

まあ「怖い」と思う様な方なら最初からここにはお越しなってないと思うのですが・・・
元取材する側の人間だった私から見ると、もう少し工夫して角度を
変えた質問の仕方をしたらいいのな~などと感じた次第ですが・・・

とりあえず、昨日からマスコミ関係者が連日お越しなり、理事長などの
運営責任者への取材攻勢がもの凄いのです!
あれだけの事故が天竜川であったので仕方はないとは思いますが、
「保津川遊船では一体、どのような安全対策をしているのですか?」
「それで安全が確保できていると思われているのですか!」などと
強い調子で電話をかけてこられような記者もいたりして
なんか?まるで私たちが事故をしたように気分になり勘違してしまいそうです。

また、お客様が舟に乗り込み「さあ、出発しますよ!」という時に、舟の
出航を止め、長い録音用のマイク器を伸ばしながら、座られているお客様
に対して「心配はないですか?今の心境は?救命胴衣は暑くないですか?」
などの質問を矢継ぎ早にされるなど、少し礼儀に反するのでは?と
感じるような取材方法をとられる社もありました。
まあ不安感を煽るというような意図はないにしても、その後の
お客様の意識にはかなり影響したようで、舟の中のテンションも
下がり、折角、楽しく船旅を味わおうとされている気分を
台無しにするような結果になったことは否めないと思います。

舟の運航には安全が第一。これは当たり前のです。
楽しい観光とは安全性が強調されてされ過ぎることななし、
安全確保がなにより大前提です。
そこに厳しいチャックを入れ、認識を徹底していくことは
絶対に必要なことです。
しかしながら、もう少し配慮のある方法をお願いできればな~とも感じました。


さて、国土交通省ではあの事故を受け、救命胴衣の着用を義務化されました。
これまでも救命胴衣については舟に人数分設置しており、着用に関する説明等は
行ってきましたが、このたびの「着用義務化」を受け、私たち保津川下り
でも乗船されるお客様には全員、乗船時に装着していただくことになります。

これまで保津川下りでは救命胴衣の着用を完全義務化はしてきませんでした。

これは400年という長時間をかけて蓄積された川の記録や情報に基づき
確立され、受け継がれてきた我々船頭の操船技術とその習得への厳しい
教育システム、また日々の研さんによる「操船術」への信頼感を前提に、
川舟文化を大事に思ってきたということが一番の理由にあげられると思います。

また、四季折々の日本の自然、山、川、この風情を味わっていただくこと。
鴨川や貴船川の「川床」同様に、昔から蒸し暑く厳しい夏を迎える京都で
庶民が、また京都を訪れた人たちが、川という自然の中に‘涼しさ’を求め、
見つけ出し活かすという、京都ならでは‘涼’への知恵が保津川での川下りも
育て、そして川舟の「風流さ」をかもし出してきた、そんな川舟文化を守りたいと
いう気持ちがあったからだと思います。

そこには「合理性」「機能性」というものが求められる社会とまた異なる
「昔をたずねる」風流さや「自然に溶け込む」風情を生み出してきた
川舟の歴史と文化を大事にして、失いたくないと。
そして保津川を訪れる方たちに提供していきたいという
思いだったのではなかったでしょうか。
少なくとも私はいつもそう思っていました。

しかし、安全性というものは、何ものにも変えることができない
最優先課題であることも事実です。今は「絶対」というものはない時代です。
また、己の技を必要以上に過信してもいけない。

今回の国の決定を甘んじて受けいれたいと思います。

400年前の川舟に、近代的な色彩と形体の救命胴衣はなかなか馴染みませんが、
これも幾度となく訪れた長い歴史の中の変革期なのかもしれません。

川舟の文化と風情が失われていくのは本当に淋しいことです・・・

でも、これまでも様々な時勢のなかを、400年間途絶えることなく
守り続けたきた先人たちの思いを思いとして、これからの頑張って
いく所存です。

みなさまに‘信頼’される川下りを、必ず守っていきますので
これからも保津川下りをよろしくお願いいたします。

天竜川の事故を受けて。

2011-08-17 23:48:07 | 船頭
今日、三回目の操船終了後に天竜川の事故の事を聞きました。

我が家にはテレビがないので詳細についてはわかりません。

しかしながら、最悪の事態とのこと。

まずは事故で犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

また、いまなお行方不明の方々のご無事を心よりお祈り致したく存じます。



今回の天竜川で発生した事故のことは、同じ川舟を生業とするものとして、
他者の出来事として捉えるのではなく、我が事に照らして重く受け止め、
さらなる安全運航体制の強化と操船技術の向上について、今以上に取り組み、
安心安全の川下りとして信頼していただけるように更なる努力精進してまいる
所存であります。


楽しい観光には、絶対的な安全性が不可欠です。


最高のサービスは安全であるという認識を胸に操船に当りたいと思います。


特に我々の仕事はわずかな失敗をも許されないのだという自覚を、船頭各自が
もう一度しっかり再認識することで、お越し下さるお客様に心から喜んでいただける
川下りを提供して参りたいと思う次第であります。


しかし、今夜は心が痛んで眠れそうにありません。

嵯峨野観光鉄道・開通20周年と保津峡の歴史。

2011-08-04 21:09:32 | 船頭
私たち保津川下りと一緒に京都嵐山・保津峡観光を盛り上げている
嵯峨野観光鉄道・トロッコ列車が今年20周年を迎えました。

このブログをお読みいただいている方はもうご紹介するまでも
ありませんが、嵯峨野観光鉄道・トロッコ列車は平成3年度(1990)
に旧山陰線跡に開通した観光専用の鉄道のことです。
JR嵯峨嵐山駅に隣接するトロッコ嵯峨駅からトロッコ亀岡駅までの
7.3キロ間の峡間を、1時間に1往復しながら走っています。
四季折々の美しい保津峡景色を眺めながら、時速約20キロというゆっくり
した速度で走る癒し系のこの鉄道は、今では京都・嵯峨野を代表する
観光スポットとして、年間約95万人以上の観光客が訪れる
人気の観光列車に成長しました。

開通当初は、JR関係者や周囲の人々も「3年もったらいいほうだろう・・・」
と予想するほど、消極的な見方をしていましたが、長谷川一彦社長を先頭に
会社設立当初の社員のみなさまの頑張りで、今では毎年90万人を超える
観光客が訪れ、JR西日本関連企業の中でも、他の追随を許さない
優良企業となっています。
社長の長谷川さんは、その経営手腕が認められ、
政府(国土交通省)の観光カリスマにも選出されておられます。

社長から設立当時の苦労話や成功逸話を詳しく聞く機会のある私は、
操船時、トロッコ列車とすれ違うたびにこのサクセスストーリー秘話を
必ずお話しすることにしております。

「へぇ~そんな話があったのか?」

「こんな隆々としている列車なのにね~」

と皆さん、大変興味を持ってお聞き下さるので、私のトークネタ、
でも五指に入るオモシロ話しとしてランキングしています。


さて、そんな経緯のあるトロッコ列車ですが、この列車が開通は
私の人生にとっても大きく左右する出来事でもあり、実は
とても深い関係性があるのです。

トロッコ列車が開通した平成3年以降、保津峡観光は大きく姿を変えました。

嵯峨野からトロッコ列車に乗って亀岡へ入りし、亀岡からは保津川下りに
乗船して京都嵐山へ帰るコースがつくられ、このセットコースは売り出し
当初からもの凄いヒットコースとなり、静かな渓谷は一躍、賑やかな歓声が
こだまする一大観光スポットなったのです。

トロッコ列車に乗車したお客さんが大量にお越しになった保津川下りの
乗船場では連日、慢性的な混雑状態となりパニックを起こしていました。
うれしい悲鳴ではあるのですが、次から次へと途切れなくお越しなる
お客さんに、舟を操船する船頭の人員キャパはパンク。舟と船頭の
回送が間に合わず配船が滞る事態が連日続いたのです。

トロッコ開通は、保津川下りにも想像を超える波及効果を生み
保津川の船頭人員は全く不足状態に陥りました。

一時期、学生アルバイトで凌ぐという今では考えられない応急的な対応で
乗りきるなどしていましたが、安全運航の確保という観点からも限度があり、
組合としては、至急に船頭人員の増強に着手せざる負えなくなったのです。

そこで持ち上がった案が「約400年続いた世襲制、つまり家の稼業」である
船頭の雇用形態を解体し、亀岡市民なら船頭への就職応募が可能となる
一般公募制を導入して広く募集をかけて人員増強を図ったのです。

この制度が導入されたことで、私のような縁もゆかりもない他地域
出身者でも船頭になることが可能となり、今に至っているというわけなのです。

つまり、トロッコ列車が開通しなかったら、保津川下りはそれまでの雇用制度を
解体させる必要性もないので、私のような者が入社することもないく
世襲制度が今でも現存していたは十分に考えられます。

そう考えると私たちのような「一般公募採用生」は、
いわば「トロッコ列車の申し子」といっても過言ではない存在なのです。

今、トロッコ列車が走る線路は、明治32年の京都鉄道開通のために
敷設されたもので、この鉄道が開通したことで「保津川の川舟」は
物資輸送という事業に終わりを告げることになったが、図らずしも
京都鉄道(旧国鉄山陰本線)は、京都から保津川下りへ
お客さんを運んで来る旅客鉄道としての役目も果たし
荷船から観光船へと産業移転をする要因を生み出したのです。

それから90年の歳月が流れ、今度はトロッコ列車の開通により
保津川下りは経営安定化が進み、約400年も続いた
「閉じられたコミュニティー」であった伝統の世襲制度を解体させ
「広く門戸を開いた」近代観光企業への転換を促進する作用を
起こしつつあります。

歴史とは、なんと奇妙で面白いものなのか!

有史以来の景観を今も残す保津峡で、繰り広げられた
‘産業と人’の物語。

これからも保津川下りとトロッコ列車、この二つの保津峡観光が
様々な物語を描き、繰り広げていくことを楽しみに、
トロッコ列車20周年への深い感慨を込めてお祝いを申し上げたい。


まさかの熱中症?ますます手負いの船頭へ。

2011-08-03 23:25:52 | 船頭
ここ一週間ほどは夏ど真ん中とは思えないような涼しい日が続いていたが、
今日は一転、夏日が戻ってきたと感じる、日差しキビい天候となった。

私も仕事を終えて事務所に戻った頃から、頭がふらつき、胃の周辺が
気持ち悪くなり、軽い熱中症のような症状がでた。

ここ数年の猛暑でも、こんな熱中症のような症状を感じた
ことがなかった私。
「まさか、熱中症?」とにわかに信じられなかったが、
帰宅後も食欲はなく、気分もすぐれない。
大事をとり、しばらく横になり身体を休めた。

午後6時からは空手道場で指導がある。
「2時間後には回復しないと・・・」少し焦ったりもしながら。

いくら久しぶりに夏日が戻ったとはいえ、川風は涼やかであり、
夏の雲が日差しを遮る感覚もまだまだ長いと感じる今日の天気。
まさかの熱中症なのだ・・・

要因として考えらるのここ連日の「南寄りの風」のせいか?

負傷した左足ふくらはぎの肉離れがまだ完治しない中、棹を持ち
向かい風との勝負を挑み、またしても症状を悪化させた。
患部の足をかばう様に、上半身中心の力に頼った棹差し作業は
炎天下の日差しも加わり、徐々に筋力と体力を消耗させ、
腕がだるく笑い出すような感覚となる。
ちょうど筋トレでベンチプレスや鉄アレイで極限まで筋力を
いじめ抜いたあとの様な感覚といえばわかるだろう。

それでもとどまることをしならない向かい風は、容赦なく
私の舟を襲うので、棹を差す手を休める訳にいかない。

「走ることができれば・・・」

ふくらはぎの痛みが邪魔をして、棹を川底に差しながら
舳先を押し走って舟を前へ進められないのがもどかしい。

上半身だけでの棹差しは、ちょうど運航行程の
半分を終えた頃に限界に達したと感じた。

見かねた同船の船長が「舵を持て」と、持ち場を交代してくれた。

舵操作なら、負傷した足でも支障はない。

今回だけはお言葉に甘えることにした。

この天候である。健常な者でも総じて、体力を消耗している。
なのに、持ち場を交代してくれた船長には感謝の言葉もない。

帰宅後の休養により少し症状が好転した感もあり、道場生が
待つ空手道場へ指導にいくことができ、今、こうしてPCに
向かっている訳だが、頭はしゃんとしていない。
時より吐き気がこみ上げてくる。
もちろん食欲もない。

夏最大の繁忙期になる「お盆」ももう間近に迫っている。

ここで倒れるわけにはいかない。

足も芳しくない最悪の状態だが、気力で乗り切るしかなさそうだ。

人間、大抵のことは気力で乗り切れることは経験済み。

もし「川で死ぬならそれも本望!」それが私の選んだ道であり
一番似合いの人生だから。一日生涯の気持ちで精一杯
務めあげたいと強く決意する次第だ。

船頭泣かせの向かい風に、手負いの船頭立ち向かう。

2011-08-01 22:06:57 | 船頭
今日の保津川には南よりの風が強く吹き、比較的凌ぎやすい
涼しいい日となったのですが・・・この「南寄りの風」と
いうのが実は私たち船頭にとって最も厄介な
「船頭泣かせの風」なのです。

つまり、向かい風ということです。

保津川下りの舟は高瀬舟という川舟独特の形状で
船底が平らなため、風を受けることに最も弱い。
特に今の舟は暑い日光を遮断するため「日よけテント」という
ビニール製の屋根が付いた「屋形船スタイル」で運航している
ことで、風はヨット以上に舟の進行に影響します。
向かい風ということは、舟を前に進めるために我々船頭は
フルパワーで臨まなくてはいけないということなのです。
強い向かい風にあおられながら、力いっぱい舟を漕ぎ、竿を差します。
体の筋力は疲労し、息が切れるぐらいの厳しい条件なのです。

さてさて、このような自然環境の時、私といえば二日前に
再び右足のふくらはぎを負傷、歩行すら痛みで困難な状態下で、
無理をして翌日、操船をしたため、左足の膝も痛めてしまったのです。

昨日は風のない穏やかな天気。
「なんとかいけるだろう・・・」と休まず出勤しました。

この日の一回目、舟の舳先部で竿たけを差していた時のこと。
右足のふくらはぎを庇いながら、竿を川底へついていると、
突然、竿が底岩の間に挟まり、抜けなくなったのです。
あっ、引っかかった!」とわかった瞬間、抜けなくなった竿を
持っている左手に強烈な力が加わり、一瞬で私の体ごと、後方の
櫂場のハリまで引きずり飛ばしたのです。

このとき左足の膝を舟板に打ち付け、倒れ込んだのです。
左足の膝はズボンの上からでもかなり擦り剥いているのは
わかりました。それより気になったのが、立ち上がった時に
左の膝に走った激痛です。飛ばされた時におかしな角度で
ぐねったのかもしれません。屈伸すると痛みが走りました。
また、起き上がる際に以前から痛め、体重が乗らないように
庇っていた右足のふくらはぎにも、瞬間大きな力がかかり
更に悪化したのが容易に理解できたのです。

「痛めていた左足だけでなく、頼りにしていた右足までも・・・」
両足負傷という致命的な負傷ではあったものの、昨日は多忙な
日曜日だがら、船頭は一人でも多い方がいい。早退するわけにも
いかず、痛みを必死で堪えながら2度目の操船をおこなったのです。

さて、話を今日に戻して、この両足負傷という泣きたいぐらいの
厳しい状態で、この「南よりの風」と呼ばれる向かい風に対峙する
ことになった私。しかも、最初の持ち場は、最も重要な持ち場
となる「竿さし」。舟の一番前部の舳先から、竿に体を預け、
その反り返った舟板を走って降りる動作を繰り返す仕事で、
脚力の押し出し力がすべてともいえる持ち場。

「こんな日に、このような足の状態で・・・」さすがに気弱に
なりかけそうな気持を「痛いのは痛い、でも死ぬわけでもない」
「やる前から、あれやこれや心配して考えるのはよそう!」と
先安じの気持ちを振り払い、自らを鼓舞したのです。

結果は、弱々しい走り方ではあったと思いますが、向かってくる
強い風の中を、懸命に竹竿で押し返しながら、舟を前方に進め、
難所も切り抜け、何とか持ち場の仕事の責任を
果たすことができたと思います。

身体的には、足に体重がかかる毎に痛みが走るという状態でしたが
乗船して下さっているお客様には関係のないこと。

痛い顔など見せるわけにはいきません。

極めてポーカーフェイスで、快適な雰囲気の中で、船旅を
楽しんでもらわないとプロとして恥です。

楽しい会話のキャッチボールをお客様と繰り広げ、
いつもと変わらない、舟下りを演出することができました。

保津川伝統といわれる‘川根性’が少し身近に感じられました。

嵐山に舟が着くと
「今日は真正面から風が吹いて、本当に涼しい気持ちのいい川下りだった」
「船頭さんのお話、とても分かりやすくて楽しかったです」
「この夏一番の思い出になりました」
などと、うれしい感想を聞かせて下さいました。

家に帰ると早速、湿布だらけ・・・なのですが、
妙にすっーと貼り心地がよく、患部に沁みこんできます。
これはきっと湿布だけの効果ではない・・・そう感じる私なのです。

夏休みの思い出つくりは保津川下りで!

2011-07-30 00:45:54 | 船頭
いよいよ夏休みも前半戦に突入です。


保津川下りにお越し下さるお客様にも、親子連れの姿を
よく目にするようになってきました。


一艘の舟に乗船されるお客様の約3分の1から半分までが
子どもさんというケースもあります。

渓谷には子どもたちの元気な声がこだまします!

私のトークも、自然や歴史のポイントはしっかりと押さえながら、
語り口調や声のトーンを子ども向きにアレンジしてお話します。


子どもとはいえ、けして侮ってはいけません。子どもさんほど、
話に関心や興味がなくなるとすぐに飽きて、退屈さをあらわにされます。
そこは大人の方同様の真剣勝負です。


NHKラジオの「夏休み子ども質問室」の先生が話される
会話術を研究し、子どもたちと接しています。

また、私の舟では、流れが緩やかな所では舟の舳先まで誘い、
川の流れを体感できるサービスも実施。
高学年にもなると、急流でも舳先に残る度胸の座った子も。
「体が一瞬、浮いたみたいに感じた!」と満面の笑顔で振り返ってくれます。


家族や友人と過ごす今年の夏休み。

一生忘れることのない思い出を、保津川で
たくさんつくって帰って貰いたいです。

保津峡を襲う激しい雷雨に立ち向かう、船頭の‘心と伝統の技’

2011-07-28 19:31:21 | 船頭
保津川下りの夏の風物詩といえば・・・薄紫のむくげ、それとも清楚ななでしこ?

いえいえ、突然の稲光と轟音、突風、そして豪雨!そうです、雷・夕立です。

今日は午後、その風物詩が保津峡の上空に出現しました!

上空を覆う灰色の雲。夕方のような薄暗さ。渓谷は徐々に怪しげな表情に移っていく
渓谷。その谷川に浮かぶ小舟が保津川下りの舟なのです。

稲妻が光り、渓谷を揺り動かす如くの轟音!、すると突然、
水面が波立つほどの、もの凄い風が、唸り声をあげながら舟へ向かってきます!

高瀬舟である保津川下りの舟は船底が平らなため、風が一番の強敵です。
日よけのために設置した三角形の屋形テントは強風に捲り上げられて
アーチ状に膨れ上がり、テントごと舟を吹飛ばさんばかりの状況。

風の煽られ舟は簡単に風下に追いやられます。

この条件で操船する船頭は、今の風向きと強さを瞬時に読み、
岩がせり出す狭い川筋を寸分の狂いもなく、流し通けなければなりません。

操船の要となる舵の操縦は、先々と風を見切り、舟の舳先を
思い切って風の風向く方向へと切っていきます。
これは強風に吹かれ流される距離と角度を計算に入れて
わざと風の力を利用して通行するコースまで導くためです。


保津川下りの船頭にとって、最高に高度な操船技術が求められる場面です。

身体力を高め、五感をフルオープンして、想像力、論理力などの頭脳を働かせる
まさに人間能力の全てを結集させて、豪雨と強風が吹き荒れる川をのり切るのです。

しかも、乗船されているお客さんには悟られないように、顔はポーカフェイスで。

「どんなに大荒れの自然状況となっても、ひとたび川に漕ぎ出せば、
舟を安全に嵐山まで辿り着かせる」
私はこの保津川船頭の心意気を、400年間脈々と受け継がれてきた
‘川根性’‘舟根性’と呼んでいます!

穏やかだった自然は、突如、不機嫌となり、牙剥き出しの猛威で
保津川の小舟に襲い掛かってくる、これが、ありのままの‘自然’。

こんな自然に対応する時に頼りになるのが、
自身の体に身に付けた操船技術と臆することなく立ち向かう精神です!

この時ほど、先人の師匠や先輩から厳しく操船技術を学び、身に
付けられたことを、心強くそして誇らしく思えるときはありません。

嵐山にたどり着く頃には、激しい嵐は嘘のように去り、曇り空の隙間から日光が射し、
青空が顔を覗かせます。

あの大荒れの渓谷での出来事は一時の夢ではないか?とさえ思えます。

400年の歴史と経験が生み出した保津川下りの舟の操船技術の正確さ
乗り込む船頭の心意気こそ、生きた伝統であり、いささか大げさにいえば
後世に残していかねばならない「生身の文化財」ではないかと思う次第です。

私は保津川下りの「語り部」になる!はっちんの「噺家修行」

2011-07-27 23:45:08 | 船頭
保津川下りの魅力、三大要素については前回お話ましたが、その中で
一番、伝わりにくいのが「歴史のお話」だと感じています。
400年という川下りの歴史がありながら、また遡ること平安時代の
筏流しまで、京の屋台骨を支えてきた水運の歴史がありながら、
そのことがお客さんにうまく伝わっているかは疑問なのです。

美しい自然風景と豪快な舟下り、それを操る船頭の匠の技は、
お客さんの目の前で展開されますから、語るまでもなく
伝わるものですが、歴史のことは船頭が操船しながら話すので、
どうしても中途半端な説明に終わりがちです。

乗船当初は聞かれておられるようですが、イメージ付けが難しく、
しばらくすると退屈そうな顔をされるお客さんも少なくありません。

急流などのリアルな体感には勝てず、話も途絶えていきます。

船頭も話を切り変え、各自持ちネタのジョークでその場を和ませ、
気分を盛り上げていく方向に流れていきます。
笑い声もこだまして楽しい川下りではあるのですが、私にはどうも
一抹のさみしさを感じずにはいられません。
雑誌などでは「船頭さんのユニークなトークで・・・」などと
書いて紹介されるので、ついついその気になっていますが、
それだけでは保津川船頭の「会話」はダメだと思っています。

私にこのことに気付かせてくれたのは、上方落語の名人・露の新治師匠でした。
PTAの研修会で講義をされていたのですが、人権問題というデリケート
な内容のお話を、テンポのある楽しいネタを織り交ぜて話されると、
難しい顔して座っていた方々の顔もほころび、次第に会場は笑いの渦へ。
暑い夏の体育館での講演会という過酷な条件の中なのに、
誰ひとり帰る人もなく、お話に引き込まれ聞き入っていました。

この講演現場の情況を見たとき、気づいたのです。

話を伝えるには「技術」が必要だということを!
ただ知識を羅列するのではなく、目の前の人に聞いて貰える工夫が
いることを。
保津川の歴史話が退屈なのは「船頭のトークレベルの低さ」であり、
伝えるための「技術磨き」をしてこなかったからなのです。

そうとわかれば、早速「伝える為の技術・会話術」の訓練開始です。

目指すは保津川下りの「語り部」です!

保津川の様々な言い伝えや出来事のお話を「物語風」に
ストーリーをつけて話せるようにしたいのです。

保津川には面白い話が目白押しです。

保津川に舟を通そうした人々の思いや葛藤、開削での出来事、
舟の引き上げ作業の壮絶な苦労や荷物船から観光船へシフトした
時代背景、大手企業から船頭衆が独立を勝ち取る闘いの記憶や
木船がFRP船へ改良移行した時の騒動、
また船頭の操船技術を根底で支えた‘川根性’などなど、

本当に数えきれない程のエピソードがあり、お話したい内容がいっぱいです。

歴史は卓上で聞いても面白くありませんね。
やはり、その現場で聞くのが一番、臨場感があり
リアリティが湧くものです。フィールドワークと同じです。

だからこそ、必要となるのが伝える能力。

昨年一年間、PTAでも講習会、研修などを開き、その道一流の
講師の先生方から「伝える力の育成」についての勉強しましたが、
それが今、とても役に立っています。

1200年以上続く時の流の中で繰り広げられたエピソードや
人間模様をストーリ仕立てで、楽しく語っていければ
素晴らしいと思います。

話しの流れとタイミング、そして間やトーンなど、
磨くところはいっぱいあります。

そこが「船頭会話術」の腕の見せどころです。
この会話術が、400年変わらない船頭の操船術と
美しく迫力ある保津川の自然と一体化すると、まさに鬼に金棒。

保津川一の噺家「語り部」を目指します。
いや、日本舟運一の「語り部」が目標!
もちろん、多国語も勉強しなきゃ。やることがいっぱいだ!
そして、みなさん、保津川でお会いしましょう。
お待ち申しております。