407年続く保津川下りには、その伝統を受け継ぎ、守ってきた船頭たちが住む村「保津の里」があります。
昨日は所要で保津の里を訪れる機会があったので、久しぶりに私に保津川下り舟の操船技術を教えて下った「師匠」の家を訪ねてまいりました。
師匠はおん歳82。お父さんもおじいさんも保津川の船頭だったという、根っからの船頭一家で育たれた方です。
さすが、長年、保津川で心身を鍛え上げた方です、顔艶もよく、まだまだご健勝のこと。
今も田や畑に精を出されているようです。
久しぶりに顔を見せた私に「お前、今、舟の専務になったんやってな~えらくなったな~」と笑顔で出迎えて下さいました。
新人船頭で入った時は、技術、精神とも厳しく指導され、怖くて顔をまともに見れない日もあったほどの方でしたが、
今では温厚ないいおじいさんって感じで、褒めて下さいました。
保津川下りの舟は、407年前に瀬戸内水軍の旗頭・来住一族のよりすぐりの船頭が保津川にやって来て
開発した操船技術を今に伝えているもので、いわゆる免許・資格といわれるものは存在しません。
エンジン等の動力は櫂漕ぎと竿で流す、世界に一つしかない川舟の技術です。
その中で「一人前」と評価する免許皆伝は、指導し連れて行く師匠が下す事になります。
師匠は長年のキャリヤと熟練の技術を備えた者が責任をもって一人の新人を指導し、一人前に導かねばならのいです。
その為、新人の2~3年間は毎日、師匠に付いて川を下り、技術を指導されるシステムで
400年以上、この川下り技術を継承してきたのです。
師匠に一人前にしてもらった私は、師匠が定年退職されるまでの約10年、舟に連れっていって貰いました。
また、ご一緒にテレビ朝日の「人生の楽園」に出演したり、お宅で櫂ひもの編み方を教わったりと、
本当に多くの思い出があります。
久しぶりの再会は、昔話や今の遊船の話をするなど、心和む時間を過ごさせていただきました。
別れ際に「遊船を頼むぞ!」と師匠が仰いました。その目は現役当時の鋭い「保津川の船頭」の目でした。
今でも、保津川下りを愛されているのだと強く感じました。
私は保津出身の船頭ではありませんが、この里に訪れると、修行時代のなんとも懐かしい匂いを感じます。
私にとって「保津・船頭の里」は、保津川400年の歴史と伝統に心からつながることができる大切な場所なのです。
昨日は所要で保津の里を訪れる機会があったので、久しぶりに私に保津川下り舟の操船技術を教えて下った「師匠」の家を訪ねてまいりました。
師匠はおん歳82。お父さんもおじいさんも保津川の船頭だったという、根っからの船頭一家で育たれた方です。
さすが、長年、保津川で心身を鍛え上げた方です、顔艶もよく、まだまだご健勝のこと。
今も田や畑に精を出されているようです。
久しぶりに顔を見せた私に「お前、今、舟の専務になったんやってな~えらくなったな~」と笑顔で出迎えて下さいました。
新人船頭で入った時は、技術、精神とも厳しく指導され、怖くて顔をまともに見れない日もあったほどの方でしたが、
今では温厚ないいおじいさんって感じで、褒めて下さいました。
保津川下りの舟は、407年前に瀬戸内水軍の旗頭・来住一族のよりすぐりの船頭が保津川にやって来て
開発した操船技術を今に伝えているもので、いわゆる免許・資格といわれるものは存在しません。
エンジン等の動力は櫂漕ぎと竿で流す、世界に一つしかない川舟の技術です。
その中で「一人前」と評価する免許皆伝は、指導し連れて行く師匠が下す事になります。
師匠は長年のキャリヤと熟練の技術を備えた者が責任をもって一人の新人を指導し、一人前に導かねばならのいです。
その為、新人の2~3年間は毎日、師匠に付いて川を下り、技術を指導されるシステムで
400年以上、この川下り技術を継承してきたのです。
師匠に一人前にしてもらった私は、師匠が定年退職されるまでの約10年、舟に連れっていって貰いました。
また、ご一緒にテレビ朝日の「人生の楽園」に出演したり、お宅で櫂ひもの編み方を教わったりと、
本当に多くの思い出があります。
久しぶりの再会は、昔話や今の遊船の話をするなど、心和む時間を過ごさせていただきました。
別れ際に「遊船を頼むぞ!」と師匠が仰いました。その目は現役当時の鋭い「保津川の船頭」の目でした。
今でも、保津川下りを愛されているのだと強く感じました。
私は保津出身の船頭ではありませんが、この里に訪れると、修行時代のなんとも懐かしい匂いを感じます。
私にとって「保津・船頭の里」は、保津川400年の歴史と伝統に心からつながることができる大切な場所なのです。