保津川下りの船頭さん

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船頭の里・保津町に残る京都相撲の足跡。

2018-05-19 11:44:07 | シリーズ・京都を歩く
昔、京都相撲というものがあり、力士集団も存在したことを知る人は、
京都人でも少ないのではないでしょうか?

江戸時代が始まると京都や江戸、大坂で都市の開発が進み、
その資金調達のために相撲興行が盛んに開かれました。

それに伴い各地に力士を職業とする者が生まれ、江戸、京都、大坂の相撲興行を
渡り歩いていたそうです。

「船頭の村・保津」にも江戸時代の力士・嵐山仁兵衛が住んでいた跡が残っています。

江戸時代のアイドル的存在であった力士たちでしたが、維新後、天皇が江戸に遷られ、
相撲の中心は東京へ一極集中します。

それにつられ、有望力士が東京、大阪へ流出したので、
スター不在となった京都相撲は単独興行が難しくなります。

さらに興行側に侠客が入り込み出し、やがて姿を消していきました。
ちなみに明治の伝説の任侠「いろは幸太郎」なども
京都相撲で名を届かせた後に、任侠の世界に入っています。

京都相撲華やかなりし頃の力士が住んだ家の跡には、
しこ名を刻んだ石碑がひっそり立ち、保津川の流れを見守っています