昨日は京都市の梅小路にある京都鉄道博物館で「保津峡のりもの物語」と題して講演会を行いました。
2億5千年前、浮遊微生物の化石が海底で積み重なった層が隆起して生まれた保津峡。
延暦3年(784)長岡京道営時から筏による木材輸送が始まり、平安京遷都道営事業により水運事業が活発になります。
412年前、慶長11年(1606)に角倉了以により舟運が開かれ、農産物や薪炭などの丹波産物が京の都へ供給されました。
明治32年(1899)に京都鉄道株式会社(現嵯峨野観光鉄道)開通し、京都~丹波~丹後間のひと・もの・情報の
流通や交流が盛んになりました。
そして現在、世界中から年間約150万人も人々が訪れる峡谷となっています。
「船が下り、鉄道が走る!」
京の峡谷・保津峡には全時代に渡り、人々の最先端の知恵と膨大な資金が投入されています。
そこまでしても、この峡谷の流通経路を整備しなくてはならない歴史こそ、
保津峡という自然の要害が繋ぐ京の都と丹波地域の関係性をあらわしています。
京の都と丹波という地の相互における重要性を知る事できます。
世界史に類をみない「千年の都・京都」を造り、支えた保津峡。
そしてその流通を担った「のりもの」たちに賭けた人々の夢と希望、そして強固な精神で
自然に挑んだ歴史物語に焦点を当て、お話をいたしました。
今後もその視点を大事にして、保津峡の日本史的価値を問ていきたいと思います。
2億5千年前、浮遊微生物の化石が海底で積み重なった層が隆起して生まれた保津峡。
延暦3年(784)長岡京道営時から筏による木材輸送が始まり、平安京遷都道営事業により水運事業が活発になります。
412年前、慶長11年(1606)に角倉了以により舟運が開かれ、農産物や薪炭などの丹波産物が京の都へ供給されました。
明治32年(1899)に京都鉄道株式会社(現嵯峨野観光鉄道)開通し、京都~丹波~丹後間のひと・もの・情報の
流通や交流が盛んになりました。
そして現在、世界中から年間約150万人も人々が訪れる峡谷となっています。
「船が下り、鉄道が走る!」
京の峡谷・保津峡には全時代に渡り、人々の最先端の知恵と膨大な資金が投入されています。
そこまでしても、この峡谷の流通経路を整備しなくてはならない歴史こそ、
保津峡という自然の要害が繋ぐ京の都と丹波地域の関係性をあらわしています。
京の都と丹波という地の相互における重要性を知る事できます。
世界史に類をみない「千年の都・京都」を造り、支えた保津峡。
そしてその流通を担った「のりもの」たちに賭けた人々の夢と希望、そして強固な精神で
自然に挑んだ歴史物語に焦点を当て、お話をいたしました。
今後もその視点を大事にして、保津峡の日本史的価値を問ていきたいと思います。