国道9号線の京都洛西と亀岡の境に老ノ坂峠があります。
その峠の頂上近く、木の根道沿いに
酒呑童子の「首塚大明神」があります。
京都市方面から来ると、老ノ坂トンネルの手前に左に
入る小さな山道があり、その一本道を進むと
おのずと「首塚大明神」に行き当たります。
「首塚大明神」は、平安時代、丹波大江山を棲み家と
していた酒呑童子という鬼の首を、埋めたと伝えられる
場所に建てられています。
伝説によるとこの酒呑童子、夜な夜な都に現れては
金銀財宝を強奪、婦女子をかどわかすなどの
悪行の数々を行い、当時の都人を恐怖に陥れていました。
そこで武勇に長けた源頼光率いる当時の四天王に
酒呑童子討伐の命が当時の天皇から発せられたのです。
源頼光以下四天王は大江山千丈ヶ嶽に攻め上り、
苦心の末、酒呑童子とその一派を征伐したのです。
成敗した証拠となる酒呑童子の首を、都の持ち帰る
道中、この老ノ坂まで来るとその首が急に重たくなり
持ち上がらなくなったといいます。
四天王の一人力自慢で知られた坂田金時をもってしても
その首は動かなかったといいます。
やむを得ずその地に首を埋めた、その場所に
今の「首塚大明神」が祀られているのです。
首塚大明神の社は深い山の中腹にあり、小さな鳥居が
迎えてくれます。その鳥居をくぐると、やま道の様な
登りの参道が付けてあって、周囲の木々の影が覆い被さり
一気に道は薄暗くなってきます。
地面にも木の根が露出し、湿気をかき分けるような
なにやら不気味な気配が漂ってくるまさに木の根道です。
祠も小さく、なんとも寂しいたたずまいの‘社’です。
はっちんは、「首塚大明神」に行く時、亀岡側から入って行きますが、
道中も荒れた竹やぶや大きな木々がうっそうと茂り、薄暗く
社を目指して、奥に進めば進むほど、不気味な霊気が強くなる感じがして
背筋がさむくなる所でもあります。
説話では酒呑童子は、大江山を根城とする
盗賊や山賊の集団だったのではないか?と
云われており、華やかで雅な王朝文化の栄華のみが
伝わる平安時代で、その時代の影で漏れた人々の
暗部の真実、象徴だったのかもしれませんね。
今の神社は、源頼光に討たれる時、酒呑童子が
「死して後は首の患いの人達の為になりたい」と
これまでの罪を懺悔したことから、
首の病に霊験があると云われ、参拝されてるようです。
この「首塚大明神」から10歩程歩くと
「従是東山城」という道標が建てられており、
そこが京都と丹波(亀岡)の境をなしていたことを
今に教えてくれています。
その峠の頂上近く、木の根道沿いに
酒呑童子の「首塚大明神」があります。
京都市方面から来ると、老ノ坂トンネルの手前に左に
入る小さな山道があり、その一本道を進むと
おのずと「首塚大明神」に行き当たります。
「首塚大明神」は、平安時代、丹波大江山を棲み家と
していた酒呑童子という鬼の首を、埋めたと伝えられる
場所に建てられています。
伝説によるとこの酒呑童子、夜な夜な都に現れては
金銀財宝を強奪、婦女子をかどわかすなどの
悪行の数々を行い、当時の都人を恐怖に陥れていました。
そこで武勇に長けた源頼光率いる当時の四天王に
酒呑童子討伐の命が当時の天皇から発せられたのです。
源頼光以下四天王は大江山千丈ヶ嶽に攻め上り、
苦心の末、酒呑童子とその一派を征伐したのです。
成敗した証拠となる酒呑童子の首を、都の持ち帰る
道中、この老ノ坂まで来るとその首が急に重たくなり
持ち上がらなくなったといいます。
四天王の一人力自慢で知られた坂田金時をもってしても
その首は動かなかったといいます。
やむを得ずその地に首を埋めた、その場所に
今の「首塚大明神」が祀られているのです。
首塚大明神の社は深い山の中腹にあり、小さな鳥居が
迎えてくれます。その鳥居をくぐると、やま道の様な
登りの参道が付けてあって、周囲の木々の影が覆い被さり
一気に道は薄暗くなってきます。
地面にも木の根が露出し、湿気をかき分けるような
なにやら不気味な気配が漂ってくるまさに木の根道です。
祠も小さく、なんとも寂しいたたずまいの‘社’です。
はっちんは、「首塚大明神」に行く時、亀岡側から入って行きますが、
道中も荒れた竹やぶや大きな木々がうっそうと茂り、薄暗く
社を目指して、奥に進めば進むほど、不気味な霊気が強くなる感じがして
背筋がさむくなる所でもあります。
説話では酒呑童子は、大江山を根城とする
盗賊や山賊の集団だったのではないか?と
云われており、華やかで雅な王朝文化の栄華のみが
伝わる平安時代で、その時代の影で漏れた人々の
暗部の真実、象徴だったのかもしれませんね。
今の神社は、源頼光に討たれる時、酒呑童子が
「死して後は首の患いの人達の為になりたい」と
これまでの罪を懺悔したことから、
首の病に霊験があると云われ、参拝されてるようです。
この「首塚大明神」から10歩程歩くと
「従是東山城」という道標が建てられており、
そこが京都と丹波(亀岡)の境をなしていたことを
今に教えてくれています。
失礼な話ですが、学生時代に「心霊スポット」として教えられて深夜2時に行ったのが最初です。
たぶん、今でも若者は「心霊スポット」としての首塚しか知らないかもしれない。
いろんな言伝えと、亀岡を語る上では重要な場所なのに・・・・。
改めて勉強しなおします(汗)
京都も心霊スポットがたくさんありそうですね。暑い時には、たまには紹介して下さい。さむ~くなるようなものを…
京都の上賀茂に住んでいた頃、近くのお店のメニューに「大江山鬼うどん」と言うのが有りました。太めの麺で釜に入った釜揚げうどんです。とても美味しかったんです!! 今はお店が変わってしまい、食べることが出来ませんが思い出したらむしょうに食べたい一品です。熱い釜揚げうどんを湯気出ている間に食べきる!!と言うのが、小さい頃の私の中ではツウでした・・・。
そう呼ばれる雰囲気は確かに感じるところです。
私は少し霊感があるのか?極度にそれらしき‘気’を感じることがあるのですが、今回も
かなりビンビンきてました。
でも怖いというより、哀しいという感じでしたね。酒呑童子の心に少し触れた感じがしました。
京都はこの街自体が魔界ぽくって、心霊スポットには事欠かないですね。
夏には色々紹介しましょうか?
でも、何かが家まで憑いて来たら少し
困るのですが・・・
怖いネタを探しておきます。
「大江山鬼うどん」なんてあったのですか?
それは間違いなく酒呑童子のことです。
何故??釜あげうどんなのでしょう??
残虐なことをしていた鬼だったので、
この様にして酒盛りでもしていたのでしょか?
おそろし~い話ですね。
首塚にまつわるお話、そしてなにやら不気味な写真。
昔話にはおそろしい話が多いですね・・・
でも今回何よりも怖かったのは、はっちんさんが
大吉さんにコメントされている、「釜揚げうどん」でした。
『残酷なことをしていた鬼だったので、
このようにして酒盛りでもしていたのでしょうか?』って・・・・
こわすぎ~~~!!
大吉さんのコメントからはそんなこと想像もできませんでした。
チョッとインパクト強すぎてこれから釜揚げうどん食べられないかも・・・
「釜揚げうどん」が食べられないことに
なったならすいません。
伝説で、酒呑童子が人の血を飲んだり、
体を食べたりしているシーンが紹介されていた
もので・・・
あくまで、物語の世界のことと思って下さい。
思うに、酒呑童子は二人ぐらいいたのでは、と。 花山天皇の侍医の人と、比叡山にありながら虐げられて、老いの坂にこもった人・つまり童盗賊です。 今村翔吾さんの童の神では新潟生まれの、ロシア人とのハーフの男。気になったら読んでみて下さい。