角倉了以率いる朱印船「角倉船」に乗船する条件として掲げた「舟中規約・其の参」
(原文)
「上堪下与の間、民胞物与、一視同仁、況んや同国人に於いておや、況や同舟人おや、
患難、疾病、凍あれば同じく救わん。恰も独り脱れんと欲するなかれ。」
(訳)
「天と地の間にあって人間はすへて兄弟であり、
ましてや同国人や同じ船に乗り合わせる者同士においてはなおさらである。
ひとしく愛情を注くべき存在てあるから、病や飢え、寒さなど苦労をともにする時こそ、
助け合わなければならない。その苦しさから一人だけ逃げようと考えてはならない。」
角倉船は長崎から出航するのが常で、冬の北風を活かし安南(ベトナム)やカンボジア、
ルソン(フィリピン、)シャム(タイ)などアジア諸国をめざし、
翌年の春から夏にかけて南風を受け帰国するコースをとっていました。
船員には日本人だけでなく、操縦技術に優れていたヨーロッパ人を先頭に、
黒人やインド人など航海経験豊かな外国人を多数雇用し、国際色豊かな日本の船でした。
その航海の中、相互扶助の精神を徹底することで、大海原を乗り切ったのでした。
(原文)
「上堪下与の間、民胞物与、一視同仁、況んや同国人に於いておや、況や同舟人おや、
患難、疾病、凍あれば同じく救わん。恰も独り脱れんと欲するなかれ。」
(訳)
「天と地の間にあって人間はすへて兄弟であり、
ましてや同国人や同じ船に乗り合わせる者同士においてはなおさらである。
ひとしく愛情を注くべき存在てあるから、病や飢え、寒さなど苦労をともにする時こそ、
助け合わなければならない。その苦しさから一人だけ逃げようと考えてはならない。」
角倉船は長崎から出航するのが常で、冬の北風を活かし安南(ベトナム)やカンボジア、
ルソン(フィリピン、)シャム(タイ)などアジア諸国をめざし、
翌年の春から夏にかけて南風を受け帰国するコースをとっていました。
船員には日本人だけでなく、操縦技術に優れていたヨーロッパ人を先頭に、
黒人やインド人など航海経験豊かな外国人を多数雇用し、国際色豊かな日本の船でした。
その航海の中、相互扶助の精神を徹底することで、大海原を乗り切ったのでした。
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