今日10月25日は私達船頭が住む街‘亀岡’
を代表する秋のお祭「亀岡祭」が行われる日。
亀岡祭は、大昔、大国主神が神々を集め
保津峡を切り開いた際の‘鍬’を奉納したと
伝えられる「鍬山神社]の例祭として、毎年、
丹波の秋が深まるこの時期に行なわれています。
祭の起源は中世、同神社が建つ矢田荘(今の鉾まち)の
鎮守に、鍬山大明神を祭ったことが始まりで、室町時代から
町衆により行われる様になったと伝えられています。
当時、保津川の氾濫で被害を受けた町衆が‘水害封じ’
を祈願するために始めたといわれ、我が亀岡の町衆の
暮らしと保津川との深いかかわりを感じさせる‘祭’
でもあります。
祭のメインはなんといってもきらびやかで美しい‘山鉾’です。
亀岡にお城があった当時の城下町にあたる亀岡地区に
11の山鉾が各町内に建てられ、華麗に祭を彩ります。
亀岡祭の11基の山鉾は祇園祭の山鉾より少し小ぶりですが
綴錦や刺繍で飾った懸装品はどれも祇園のそれと比べても
遜色がなく‘雅’で気品に満ちています。なかには手作りで
編まれた懸装品あり、古くからからこの祭りに
かける町衆の意気込みを感じさせる鉾です。
23,24日という祭前夜などには宵々山、宵山として
夜間は提灯などでライトアップされ、きらびやかな山鉾
は幻想的に美しさをかもし出します。
もちろんお約束の‘夜店・屋台’も多く出ており、
亀岡の人にとっても楽しみにしているお祭です
山鉾の一つ紺屋町に建つ「武内鉾」には
船頭仲間の関永人さんが町衆として鉾に乗り、
子供達と一緒に龍笛を吹き祇園囃子を奏でていました。
今日は本祭として旧城下町を11基の鉾が練り歩く
山鉾巡行が行なわれます。
を代表する秋のお祭「亀岡祭」が行われる日。
亀岡祭は、大昔、大国主神が神々を集め
保津峡を切り開いた際の‘鍬’を奉納したと
伝えられる「鍬山神社]の例祭として、毎年、
丹波の秋が深まるこの時期に行なわれています。
祭の起源は中世、同神社が建つ矢田荘(今の鉾まち)の
鎮守に、鍬山大明神を祭ったことが始まりで、室町時代から
町衆により行われる様になったと伝えられています。
当時、保津川の氾濫で被害を受けた町衆が‘水害封じ’
を祈願するために始めたといわれ、我が亀岡の町衆の
暮らしと保津川との深いかかわりを感じさせる‘祭’
でもあります。
祭のメインはなんといってもきらびやかで美しい‘山鉾’です。
亀岡にお城があった当時の城下町にあたる亀岡地区に
11の山鉾が各町内に建てられ、華麗に祭を彩ります。
亀岡祭の11基の山鉾は祇園祭の山鉾より少し小ぶりですが
綴錦や刺繍で飾った懸装品はどれも祇園のそれと比べても
遜色がなく‘雅’で気品に満ちています。なかには手作りで
編まれた懸装品あり、古くからからこの祭りに
かける町衆の意気込みを感じさせる鉾です。
23,24日という祭前夜などには宵々山、宵山として
夜間は提灯などでライトアップされ、きらびやかな山鉾
は幻想的に美しさをかもし出します。
もちろんお約束の‘夜店・屋台’も多く出ており、
亀岡の人にとっても楽しみにしているお祭です
山鉾の一つ紺屋町に建つ「武内鉾」には
船頭仲間の関永人さんが町衆として鉾に乗り、
子供達と一緒に龍笛を吹き祇園囃子を奏でていました。
今日は本祭として旧城下町を11基の鉾が練り歩く
山鉾巡行が行なわれます。
私も実家が蛭子山なので今回はジュニアを連れて参加してきました。山鉾が巡行するとこを見るのは初めてで、結構楽しかったですよ。
武内山も見ました。笛と太鼓と鐘。祇園祭の様でした
かなり人が多かったですね。
子供は夜店メイン、私は鉾メイン。
25日も行きました、パフォーマンス見える所でしっかり巡行見てきました!!
感動しましたよ!!!!!
めいさんの実家は旧町内でしたね。
今後、城下町として整備する計画がある
旧町内には今も貴重な文化的価値の
ある貯蔵品が多く現存するようですね。
何か、いいものがあれば是非、今後紹介して下さいね。
夜店の混雑には参りました・・・
子供たちもさすがに購買意欲をなくしたのか、
いつもよりおとなしめの買い物でしたね~
鉾の美しさには気がついたみたいで、
自らカメラを撮っていたようです。