国語in盛岡にて
佐藤学氏、
単元学習とは近代化の産物である。
今や単元学習は世界では死語になっている。
単元学習の功罪は
問題解決学習として社会、理科で単元学習されているが
全てに当てはまるかは疑問に思う。
甲斐氏
大村はまの実践は、
昭和43年、44年当時中学では、国語は525時間小学⑤⑥年は490時間あった。
今は中学385時間 小学校は350時間である。
どうふりわけるか
はま氏は「いきいきと話す」に対して具体的なイメージをもって
単元を構造化している。はっきりとしたビジョンを持っている。
阿部氏
戦後の授業に功績があった。
子ども主体、探求型、そして教科書を絶対化しない部分優れていた。
しかし身につけるべき国語の力を解明できていない。
それは約150年間の国語の弱さでもある。
このように焦点をしぼって4ラウンドそして会場からと続いたのであった。
(続く)
佐藤学氏、
単元学習とは近代化の産物である。
今や単元学習は世界では死語になっている。
単元学習の功罪は
問題解決学習として社会、理科で単元学習されているが
全てに当てはまるかは疑問に思う。
甲斐氏
大村はまの実践は、
昭和43年、44年当時中学では、国語は525時間小学⑤⑥年は490時間あった。
今は中学385時間 小学校は350時間である。
どうふりわけるか
はま氏は「いきいきと話す」に対して具体的なイメージをもって
単元を構造化している。はっきりとしたビジョンを持っている。
阿部氏
戦後の授業に功績があった。
子ども主体、探求型、そして教科書を絶対化しない部分優れていた。
しかし身につけるべき国語の力を解明できていない。
それは約150年間の国語の弱さでもある。
このように焦点をしぼって4ラウンドそして会場からと続いたのであった。
(続く)