草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

常識を欠いたインテリの荒唐無稽を嗤う

2023年05月06日 | 思想家
 この年齢になって気付いたのは、小林秀雄の文章を解読する難しさである。若い頃に読んだときは、当たり前のことを言っているだけだ、と勝手に思っていた。しかし、古希を過ぎた今は違うのである。
 小林は「常識」についてのなかで、デカルトの「私が、私の審判者と望むものは、常識を学問に結び付ける人たちだけである」(『方法序説』)という言葉を引用して持論を述べている。 
 青年時代のデカルトは、一通り学問を習得したが、自分の無智を発見しただけであった。小林は「世間という大きな書物は、彼に語り掛ける、学問のある人の書斎の推論よりも、重大な事件に迫られ、一つ判断を誤れば処刑されると言った場合、学問がない人たちが働かす分別の方が、真理を掴むであろう」と共感を示した。
 デカルトは最終的には、真と偽と判別する方法として「我思う、ゆえに我在り」に辿り着くが、そこまで行き着くことができたのは、小林の見方では、庶民の常識を「自得」したからなのである。
 よくよく読めば、インテリよりも庶民の方がまともだというレベルにとどまっているのではなく、学問を成り立たせる根本には、常識がなければならないというのである。
 インターネットの時代になって、なおさら頭の良い人たちが、目に一丁字もない私たちに向かって、煙に巻くような御高説を垂れる。だが、小林やデカルトによれば、常識を「自得」しない考え方など、世間には通用するわけはないのである。
 LGBT法の推進とか、憲法9条擁護とかが陳腐であるのは、あまりにも荒唐無稽であるからであり、私たちは歯牙にも掛ける必要などないのである。

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