このところ、なかなか読書のカテゴリーの記事が増えない。
全く読んでいないというわけではないけれど、今年は8月末迄でようやく100冊を超えたところなので、一時期に比べれば俄然少ない。
抗がん剤の点滴がホルモン剤の注射になったり、ゾメタが中止になったり、と化学療法室での在室時間が減っていること、自宅でのんびり読書する時間があればヨガに通っていること、が大きな原因か。
とにかくこれから治療を続けていくうえで体力を落としたくないし、体だけでなくメンタル面をいい状態に保つために、今は自分の中で知らず知らずのうちにヨガの優先順位が高くなっているのかもしれない。
今回は、最近読んだ中で特に面白かった2冊を今日明日でご紹介しておきたいと思う。
その1は三浦しをんさんの「天国旅行」(新潮文庫)。
裏表紙には「現実に絶望し、道閉ざされたとき、人はどこを目指すのだろうか。すべてを捨てていきつく果てに、救いはあるのだろうか。富士の樹海で出会った男の導き、命懸けで結ばれた相手へしたためた遺言、前世の縁を信じる女が囚われた黒い夢、一家心中で生き残った男の決意-。出口のない日々に閉じ込められた想いが、生と死の狭間で溶けだしていく。すべての心に希望がともる傑作短編集」とある。
頁をめくると目次に7つのお話。そして巻頭には(私は今回YOU TUBEで見るまで聴いたことはなかったのだが)ロックバンド“THE YELLOW MONKEY”の「天国旅行」の歌詞“せまいベッドの列車で天国旅行に行くんだよ 汚れた心とこの世にさよなら”(作詞 吉井和哉)が記され、タイトルをここから採ったとされている。
三浦さん自身が最後に記している通り、7篇は全て心中、もしくは自ら選び取る死を共通のモチーフにしている。
だからといって読後感がとても重く暗く・・・、というわけではないのが三浦さんの筆致がなせる技か。7篇、どのお話もそれぞれ良かったけれど、私が気に入ったのは、「新盆の客」。ウメおばあさんが2人の連れ合いに示した愛の形と、それが現在の語り手に続く関係に生きていることの縁の面白さを思った。「君は夜」では前世と現在が交錯する不思議な世界に連れ込まれ、「星くずドライブ」では、突然恋人を喪くした医学生の複雑な気持ちを慮り、「炎」では先輩高校生の焼身自殺に圧倒された。
解説は角田光代さんが書かれている。こちらの解説は8頁ほどにわたるものだが、本文同様、是非お読み頂きたい。
角田さんの言葉を借りれば、「どの小説に登場する人物も、死を救済と考えている。死んでしまえば、今背負う荷から解放される。・・・この小説における語り手だけは、死が、死以外の何かであるとは思っていない。究極の愛の証明でもなく、救済でも、リセットでもない。愛も救済も、万能感も復讐も、生きていなければ得ることが出来ない。・・・生きていなければ、何も得られない。それはこの一冊に通底していると思う。現実の生を、それが汚れていても負にまみれていても重たくても、引き受けなければならない。・・・この小説に描かれた「死」は壮絶なものだ。それぞれ、みずから選んだ死なので、闘病の後に、といった自然のものではないのだが、それにしても死というものはそこまで壮絶なものなのだと、思わされる。生半可なものではない、泣けるようなものでもない。生を終わらせるには、なんとすさまじい覚悟がいることか。」と。
そう、生きていくということは間違いなく大変なことだけれど、だからこそ素晴らしいことなのだ、と日々実感する。
たとえこれから予想も出来ないことが起ころうが、やはり生かされているうちは、細く長くしぶとく生きていかなければ、自分なりに精一杯生き抜いていかなければと思う。
それにしても暑い。
午前中掃除をして昼食後、今日もリンパヨガに参加してきたが、家からヨガスタジオまでの15分ほど、日傘を差して歩いても、ジリジリと焼けつくような照り返す陽射し。ベランダでの温度計は35度を差していた。帰りは夫と合流して、この暑さのせいか、最近どうも冷え具合が不安定になっている冷蔵庫(99年製!)が壊れてしまう前に、新しい冷蔵庫の注文を済ませてきた。お届は2週間後。待ったなしでまた、断捨離と大掃除をしなくては・・・。
全く読んでいないというわけではないけれど、今年は8月末迄でようやく100冊を超えたところなので、一時期に比べれば俄然少ない。
抗がん剤の点滴がホルモン剤の注射になったり、ゾメタが中止になったり、と化学療法室での在室時間が減っていること、自宅でのんびり読書する時間があればヨガに通っていること、が大きな原因か。
とにかくこれから治療を続けていくうえで体力を落としたくないし、体だけでなくメンタル面をいい状態に保つために、今は自分の中で知らず知らずのうちにヨガの優先順位が高くなっているのかもしれない。
今回は、最近読んだ中で特に面白かった2冊を今日明日でご紹介しておきたいと思う。
その1は三浦しをんさんの「天国旅行」(新潮文庫)。
裏表紙には「現実に絶望し、道閉ざされたとき、人はどこを目指すのだろうか。すべてを捨てていきつく果てに、救いはあるのだろうか。富士の樹海で出会った男の導き、命懸けで結ばれた相手へしたためた遺言、前世の縁を信じる女が囚われた黒い夢、一家心中で生き残った男の決意-。出口のない日々に閉じ込められた想いが、生と死の狭間で溶けだしていく。すべての心に希望がともる傑作短編集」とある。
頁をめくると目次に7つのお話。そして巻頭には(私は今回YOU TUBEで見るまで聴いたことはなかったのだが)ロックバンド“THE YELLOW MONKEY”の「天国旅行」の歌詞“せまいベッドの列車で天国旅行に行くんだよ 汚れた心とこの世にさよなら”(作詞 吉井和哉)が記され、タイトルをここから採ったとされている。
三浦さん自身が最後に記している通り、7篇は全て心中、もしくは自ら選び取る死を共通のモチーフにしている。
だからといって読後感がとても重く暗く・・・、というわけではないのが三浦さんの筆致がなせる技か。7篇、どのお話もそれぞれ良かったけれど、私が気に入ったのは、「新盆の客」。ウメおばあさんが2人の連れ合いに示した愛の形と、それが現在の語り手に続く関係に生きていることの縁の面白さを思った。「君は夜」では前世と現在が交錯する不思議な世界に連れ込まれ、「星くずドライブ」では、突然恋人を喪くした医学生の複雑な気持ちを慮り、「炎」では先輩高校生の焼身自殺に圧倒された。
解説は角田光代さんが書かれている。こちらの解説は8頁ほどにわたるものだが、本文同様、是非お読み頂きたい。
角田さんの言葉を借りれば、「どの小説に登場する人物も、死を救済と考えている。死んでしまえば、今背負う荷から解放される。・・・この小説における語り手だけは、死が、死以外の何かであるとは思っていない。究極の愛の証明でもなく、救済でも、リセットでもない。愛も救済も、万能感も復讐も、生きていなければ得ることが出来ない。・・・生きていなければ、何も得られない。それはこの一冊に通底していると思う。現実の生を、それが汚れていても負にまみれていても重たくても、引き受けなければならない。・・・この小説に描かれた「死」は壮絶なものだ。それぞれ、みずから選んだ死なので、闘病の後に、といった自然のものではないのだが、それにしても死というものはそこまで壮絶なものなのだと、思わされる。生半可なものではない、泣けるようなものでもない。生を終わらせるには、なんとすさまじい覚悟がいることか。」と。
そう、生きていくということは間違いなく大変なことだけれど、だからこそ素晴らしいことなのだ、と日々実感する。
たとえこれから予想も出来ないことが起ころうが、やはり生かされているうちは、細く長くしぶとく生きていかなければ、自分なりに精一杯生き抜いていかなければと思う。
それにしても暑い。
午前中掃除をして昼食後、今日もリンパヨガに参加してきたが、家からヨガスタジオまでの15分ほど、日傘を差して歩いても、ジリジリと焼けつくような照り返す陽射し。ベランダでの温度計は35度を差していた。帰りは夫と合流して、この暑さのせいか、最近どうも冷え具合が不安定になっている冷蔵庫(99年製!)が壊れてしまう前に、新しい冷蔵庫の注文を済ませてきた。お届は2週間後。待ったなしでまた、断捨離と大掃除をしなくては・・・。