ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.10.3 義母葬儀の日―しぶとい胸痛と空咳に往生す

2013-10-05 18:25:33 | 日記
 母と息子を同室にして、私はせっかく一人静かに寝かせてもらっているのに4時半には目が覚めてしまい、その後なかなか眠れず。6時から大浴場がオープンするとのこと、出発までにはまだ時間があるので行ってみることにした。さすがに平日の早朝なので、私の他に1人しか入っておらず、貸切状態で露天風呂や源泉かけ流しのお風呂にちょっぴり浸かる。それでも肌がツルツルに。
 部屋に戻って、寝坊助の息子を母に起こしてもらって、朝食後チェックアウト。マメな甥っ子がまた迎えに来てくれて義妹宅に戻った。
 朝から気温が上がりそうな青空。良いお天気である。

 再び喪服に着替えて会場入り。お棺の中の義母は、昨夜の単衣の着物の上に今度は白い綿帽子のお嫁さんのような衣装にお色直しされている。天国の義父のところに二度目の嫁入り、とのことだ。いまどきの葬儀ではこんな演出があるのだ、とびっくりする。
 予定通り11時半から開式。今日も夫と私がかつて職場でお世話になった方が何人もいらしてくださる。私の体のことも心配してくださって、どれだけ遠い中お出で頂いたのかと思うと、恐縮しきりである。

 葬儀、告別式終了後、初七日の法要もその場で終了し、夫が挨拶をする。後半、感極まって声が詰まると、隣で位牌を持っていた息子もつられて泣いている。私も一膳飯・枕団子等を載せたお膳を掲げながら、何があっても倒れられない、と気合を入れて立っていた。
 出棺の前には祭壇の花という花が入れられる。「お疲れ様、気を付けて行ってね。」と小声で囁く。花を入れながら、息子はまたハンカチを出して盛大にしゃくりあげている。蓋が閉められないのでは、と思うほど沢山の花で埋め尽くされた。皆で静かに蓋を閉めて、孫たち若い男性たちで霊柩車に乗せられる。夫と義妹が霊柩車に乗り、私たちはマイクロバスで斎場へ向かった。

 予定通りの時間に荼毘に付される。お棺が移されてレールに乗り、消えていく。これでお別れ、と思うこの瞬間、自分がここに入る時のことが見えるような、何とも言えない息苦しい気持ちになる。
 待合室で軽食をとりながら、おしのぎ。既に2時を回っているが不思議と空腹は感じない。胸痛が再燃している。朝食後に飲んだロキソニンからまだ6時間経っていないのだが、酷くならないうちに今日2錠目を飲む。全く効いてくれず、だんだん仏頂面になってくるのがわかり、席を立ってロビーのソファに移動する。
 収骨の準備が出来ました、と声がかかり移動する。
 立派な頭蓋骨と下顎骨、両耳の骨、喉仏の骨が本当にそのままの形で残っており、息を飲んだ。後ろの親戚や知人の方々の言葉が聞こえる。「こんなに立派に残っていて、凄い。」と。説明してくださった斎場の方も同じことを言った。普通は、頭蓋骨はいくつかに割れてしまい1枚で残ることはないし、下顎骨がこのように完全な形で残る方は殆どいない。なるべくわかるように、と努めるがこの方のようにしっかり残ることはありません、と。
 そして、また自分のことを想う。骨転移している私の骨は、黒くてもろくて殆どスカスカに何も残らないのではないか、と。誰も、このシーンで自分の骨がどうだろうなどということを想ったりはしないのだろうけれど。ふと、高齢の母の姿を見ながら、母にも、もしかすると次は自分なのか、という思いがあるのだろうか、と慮る。かくも齢を重ねるということは本当に辛いことなのだと思わずにはいられない。
 夫と一緒に、一番太い大腿骨と思しき骨を骨壺に入れる。綺麗な白い骨だ。本当に骨太で丈夫な義母だった。後ろで「骨だけを見るとどこも悪い所がないわね。」という言葉が聞こえる。
 息子は神妙な顔をして母と骨を拾った。17歳8か月、初めての葬儀。多感な時期にこの経験は本当に大きかっただろう。それでも、一番最初に出る葬儀が自分の母のものでなくて良かったのではと思う。
 葬儀の間中、義母の葬儀なのか、自分の葬儀なのかわからなくなる瞬間が何度もあった。私は現にその場に座っているのに透明な存在になってしまい、夫と息子がこの祭壇脇に座っている風景がフラッシュバックしてしまう。
 我ながら何とも困ったものなのだけれど。

 位牌を夫が持ち、遺影を義妹が抱え、義弟が遺骨壺を携えて、再びマイクロバスに乗り込む。急に雲行きが怪しくなってきて、ぽつぽつと雨が降り出した。セレモニーホールに戻ってから本膳と称する会食。この頃にはかなり胸痛が酷くなってくる。2時間ほど前に飲んだロキソニンが殆ど効かない。そして喫煙の煙をちょっと吸っただけで咳が止まらなくなる。喪主の妻なのだから、とお酌をして回るがだんだん顔が引きつってくる。
 5時過ぎに、夫の言葉でお開きになり、会場を後にする。

 雨が酷くなっている。義妹宅に戻って最低限の片付け等を済ませている間に、セレモニーホールの方が、納骨の日までの祭壇をしつらえてくれている。整ったところで皆でお焼香。
 四十九日は来月の半ばなのだが、菩提寺の都合もあり、2週間前倒しで、三十五日で納骨することになった。11月の三連休、夫とともに郷里の菩提寺に行くことになる。

 義弟にJRの駅まで送ってもらってようやく帰路に。痛みと疲れで座席では口もきけない。再び6時間経たないうちに3度目のロキソニンを飲む。鈍痛、圧痛ではなく突き刺されるような痛みと止まらない空咳。嫌な感じだ。
 慣れない場所へ2日間の同行で母も疲れているだろうに、娘の私は殆ど無愛想。申し訳ないけれどいかんともしがたかった。
 思えば結婚以来60年近く、母が父を置いてひとりで外泊したというのはこれが初めてのことだ。父は背骨の複数箇所の圧迫骨折で杖を突く身、途中でこけて具合が悪くなっては却ってご迷惑ということで、母だけの出席になった。母を快く送り出してくれた父にも感謝しなければならない、と思う。

 夫も息子も、最寄駅に到着した時は軽食を摂りたいみたいだったが、私は一刻も早く帰宅したい、とタクシーに乗りこんだ。何も出来ずに入浴してベッドに入った。痛みに終日振り回されてしまった。

 帰宅すると、昨日届けられた今月初めてのお花があった。
 ピンクの薔薇が2本、濃いピンクの薔薇3本、濃い紫のリンドウ2本、孔雀草が2本。花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「正義感」、「可憐」だという。葬儀であまりに沢山のお花を見過ぎていたせいか、感覚がマヒしてしまった感じだった。

コメント (4)
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