心配した台風の進路が少しずれてくれて、息子は臨時休校にならず、ちょっと不機嫌な様子で登校した。
そして、私が出かける時はかなりの降りだった雨も、2時間近くかかって会場に到着したときには大分小降りになっていた。
今日は3年ぶり3回目、患者会の全国大会に参加した。昨年はEC投与後の体調不良、一昨年は大学の校友会音楽祭の合唱とバッティングして、それぞれ出席が叶わなかった。4年前の6月―ちょうどタキソテール治療が終了して職場復帰した1か月後―に入会し、その年の31回目、翌年の32回目に参加したことになる。
会場の1階のエレベーター乗り場で、なんと3月に京都でお世話になったMさんとばったり。今日上京されているとは全く知らず本当に驚き、手を取り合って再会を喜びつつ会場入り口に向かった。
ピンクの入場券ハガキをお渡しすると、3年前、作成にあたって少しお手伝いした「乳がんディクショナリー」の最新第6版を手にすることが出来た。
プチ虹のサロンのKさん、Sさんと会場で合流する約束をしていたので素早く席を3つ確保。3か月ぶりに、お元気そうなKさんと再会することが出来て本当にほっとする。
ショッキング・ピンクの衣装に身を包んだ会長さんが「会の35年を振り返って」と題して、会の誕生からこれまでの歩み、苦労された裏話などを大きなスクリーン一杯の写真とともにお話しされた。私が参加したのは2009年、2010年の2回だけだが、その時に舞台の上で笑顔を振りまいていたNさんやTさんはもういらっしゃらないことを改めて思い、偲んだ。
続いて県立静岡がんセンター総長の山口建先生が「乳がんの患者さんから学んだこと」と題して基調講演をされた。がん生存者支援の取り組み、3人の進行再発乳がんの患者さんとのエピソードから、QOL(Quality of Life)だけでなくQOD(Quality of Death)の話題、治癒だけでなく看取りの話題等、再発患者にも寄り添った30分という短い時間ではあったが、とても中身の濃い内容だった。
恒例のDoctor of the Year 2013発表の後、後半に登場予定の永六輔さんが早くも到着されたということで、そのまま車椅子で舞台へ登壇。パーキンソン病とがんを患いながらもユーモアたっぷりの永さんワールドを20分堪能させて頂いた。
休憩を挟んで後半はピアノトリオコンサート。小一時間、ラフマニノフやサンサーンス、ドビュッシーといった聴き慣れたクラシック曲の生演奏を贅沢に愉しむことが出来た。
圧巻だったのは、北は北海道、南は鹿児島から駆け付けた全国の支部長さん28名が、県名のカードをもって舞台で横一線に並ばれたこと。壮観だ。どの支部も後継者不足でいろいろ運営に苦労されているという。ボランティアでのお仕事に本当に頭が下がる。そして、お揃いのピンクのTシャツで登場した事務局の方々が、お一人ずつ自己紹介。この3年の間に、お顔を存じ上げている方が2人しかいらっしゃらなくなっており、ちょっと淋しかった。誰よりも長く事務局をやっているのはもちろん・・・ということで、会長さんに副会長さんから花束のプレゼント。さらにはサプライズということで、会長さんのお二人のお子さんからスクリーン一杯にビデオメッセージ。
ラストは、会員でもありシャンソン歌手でもある方がリードされて全員で「千の風になって」を合唱し、12時から4時までという長丁場の大会が無事終了した。
35年間と一口に言っても本当に長い時間だ。そもそも私が35年続けられていることなど何もない。一番長くて勤続28年半、くらいである。どれだけ沢山のご苦労があったかは想像に難くない。けれど、年々会員は減り、こうした大会を開催しても、会場が埋まらなくなっているという悩みは深い、という。
会長さんが、いつものようにエスカレーターでお見送りをされ、ご挨拶して会場を後にした。
その後、お茶をして帰宅した。帰路はすっかり真っ暗だったけれど、雨も止んでいた。
そして、私が出かける時はかなりの降りだった雨も、2時間近くかかって会場に到着したときには大分小降りになっていた。
今日は3年ぶり3回目、患者会の全国大会に参加した。昨年はEC投与後の体調不良、一昨年は大学の校友会音楽祭の合唱とバッティングして、それぞれ出席が叶わなかった。4年前の6月―ちょうどタキソテール治療が終了して職場復帰した1か月後―に入会し、その年の31回目、翌年の32回目に参加したことになる。
会場の1階のエレベーター乗り場で、なんと3月に京都でお世話になったMさんとばったり。今日上京されているとは全く知らず本当に驚き、手を取り合って再会を喜びつつ会場入り口に向かった。
ピンクの入場券ハガキをお渡しすると、3年前、作成にあたって少しお手伝いした「乳がんディクショナリー」の最新第6版を手にすることが出来た。
プチ虹のサロンのKさん、Sさんと会場で合流する約束をしていたので素早く席を3つ確保。3か月ぶりに、お元気そうなKさんと再会することが出来て本当にほっとする。
ショッキング・ピンクの衣装に身を包んだ会長さんが「会の35年を振り返って」と題して、会の誕生からこれまでの歩み、苦労された裏話などを大きなスクリーン一杯の写真とともにお話しされた。私が参加したのは2009年、2010年の2回だけだが、その時に舞台の上で笑顔を振りまいていたNさんやTさんはもういらっしゃらないことを改めて思い、偲んだ。
続いて県立静岡がんセンター総長の山口建先生が「乳がんの患者さんから学んだこと」と題して基調講演をされた。がん生存者支援の取り組み、3人の進行再発乳がんの患者さんとのエピソードから、QOL(Quality of Life)だけでなくQOD(Quality of Death)の話題、治癒だけでなく看取りの話題等、再発患者にも寄り添った30分という短い時間ではあったが、とても中身の濃い内容だった。
恒例のDoctor of the Year 2013発表の後、後半に登場予定の永六輔さんが早くも到着されたということで、そのまま車椅子で舞台へ登壇。パーキンソン病とがんを患いながらもユーモアたっぷりの永さんワールドを20分堪能させて頂いた。
休憩を挟んで後半はピアノトリオコンサート。小一時間、ラフマニノフやサンサーンス、ドビュッシーといった聴き慣れたクラシック曲の生演奏を贅沢に愉しむことが出来た。
圧巻だったのは、北は北海道、南は鹿児島から駆け付けた全国の支部長さん28名が、県名のカードをもって舞台で横一線に並ばれたこと。壮観だ。どの支部も後継者不足でいろいろ運営に苦労されているという。ボランティアでのお仕事に本当に頭が下がる。そして、お揃いのピンクのTシャツで登場した事務局の方々が、お一人ずつ自己紹介。この3年の間に、お顔を存じ上げている方が2人しかいらっしゃらなくなっており、ちょっと淋しかった。誰よりも長く事務局をやっているのはもちろん・・・ということで、会長さんに副会長さんから花束のプレゼント。さらにはサプライズということで、会長さんのお二人のお子さんからスクリーン一杯にビデオメッセージ。
ラストは、会員でもありシャンソン歌手でもある方がリードされて全員で「千の風になって」を合唱し、12時から4時までという長丁場の大会が無事終了した。
35年間と一口に言っても本当に長い時間だ。そもそも私が35年続けられていることなど何もない。一番長くて勤続28年半、くらいである。どれだけ沢山のご苦労があったかは想像に難くない。けれど、年々会員は減り、こうした大会を開催しても、会場が埋まらなくなっているという悩みは深い、という。
会長さんが、いつものようにエスカレーターでお見送りをされ、ご挨拶して会場を後にした。
その後、お茶をして帰宅した。帰路はすっかり真っ暗だったけれど、雨も止んでいた。