ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.10.2 ハーセプチン168回目(3倍量30回目)の後、義母通夜へ

2013-10-04 21:49:58 | 治療日記
 今月初めての通院日。今日は治療が終わり次第、日曜日に亡くなった義母の通夜に行く。当初、実家の母をターミナル駅でピックアップしながら、と考えたが、治療の終了時間が正確には読めない。待ち合わせをしてイライラさせるよりも、早めにはなるが、今日から休暇の夫と落ち合って一緒に行ってもらうことにした。息子は、授業が終わって駆け付ければ、通夜に滑り込みで間に合う算段で、家族三人、三者三様の現地入りだ。
 息子を送り出して家を出ると、途中からパラパラと雨が降り出した。晴雨兼用の傘がまた活躍する。最寄駅からの私鉄、その後のJRとも電車は順調、席も確保してゆっくり読書が出来た。病院最寄駅に降り立つと土砂降りで風も強くなっている。大きな傘を持って来れば良かった・・・と後悔しながら病院に向かった。

 自動再来受付機にIDカードを通し、そのまま腫瘍内科受付へ移動する。月初めなので保険証確認もしてもらう。自動血圧測定機で計測した結果は103-64、脈は92。「中待合へどうぞ」のランプが点いたのは30分後。さらに中廊下で待つこと30分。診察室に入ることが出来たのは到着してから1時間後だった。
 「さて1週間経ちましたが・・・」と問われる。今日のようなはっきりしない雨降りの天気だと胸痛が酷くなり、今日もあまり調子が良くないこと、匂いに敏感で一旦咳き込むとなかなか止まらず、それがきっかけで胸痛が酷くなること、この1週間、ロキソニンを朝夕と2回飲んだ日が3日あったこと、をお話しする。先生からは咳は冬になると出易いのかどうか、とも訊かれるが、乾燥していることもあるのだろうか。出始めると空咳が出る、という感じだ。
 次回は久しぶりに心臓の超音波をしましょう、とのこと。3週間後、合わせて採血とレントゲンの予約も入る。診察室での検温は6度6分。ロキソニンの処方もして頂いた。次回、採血、レントゲンの結果によって治療のチェンジになるかどうか確認するが、よほどの増悪でない限りはフェソロデックスとハーセプチンの中止はしないで要検討としたい、とのこと。新薬に期待されている様子が伝わってくる。

 化学療法室へ移動する。ご挨拶して部屋に入ると、先週お目にかからなかった針刺し名人Oさんが目を丸くしていらして「自毛ですか?」と小声で。「そうです。先週からようやく・・・」と答えると「もっと短いのかしらと思っていました。いいですよ。」と笑顔で言って下さり、こちらの顔もほころぶ。20分ほどしてHさんから点滴椅子に案内される。Hさんは「黒く(染め)したのですね。」とおっしゃるので、「ようやくかつらを取ったのですよ。」と言うと「新しい(かつらにしたのか)なと思いました。」とおっしゃる。そんなかつら談義をしながら10分ほど待って、Krさんがポート針刺しをしてくださる。ちょっと痛むが一瞬のことではある。15分ほどして薬が届き、予定通りハーセプチンと生理食塩水の2本。担当はKbさん。先週打って頂いたフェソロデックス注射がお上手だったので、夜帰宅後にあまり痛みませんでしたよ、とお伝えすると嬉しそう。1時間半近くかけて2本が終了してお昼を回る。抜針はHさん。素早く抜いて下さるが衝撃はやはり大きい。終了時の血圧は94-57、脈は60。

 会計がやけに手間取り30分以上待つ。今日も4万円弱の支払い。病院を出ると雨が小降りになっていてホッとする。薬局に寄りロキソニンを出して頂くが、ここでも30分程待つ。本日の病院と薬局の合計滞在時間は4時間強だった。
 夜は遅くなるだろうからしっかり食べておかなくては、と駅ビルでランチを摂ってから予定通りのJRに乗り込んだ。痛みが出ないように今日明日は毎食後ロキソニンを飲むことにする。

 途中ターミナル駅で乗り換え、予定通り1時間に1本の直通快速に乗る。途中駅で甥っ子が迎えに来てくれると言うので、乗り換え後の鉄道も考えると小一時間短縮されるが、それでもたっぷり1時間半以上乗り続ける長旅だ。学校の最寄駅で予定通りの電車に無事乗れたという息子とラインで連絡を取り合う。途中、雨が止んで青空になってくると「虹が出ている」と写真迄添付して送ってくれたので、その都度応じているうちに本もゆっくり読めず大忙し。
 まもなく到着という頃、夫から「納棺に予定より時間がかかっているので迎えが遅れる。駅で待つように。」と連絡が入る。待ち合わせの駅ロータリーで20分ほど待って、迎えの車が来てくれた。
 セレモニーホールへ到着。既に生花一杯の立派な祭壇が完成しており、夫は「喪主」の白い花を付けている。遺影の写真は、義母が働いていた頃、表彰式で撮ってもらったものだそうで、この写真を使うようにと義妹に指示していたそうだ。また、白装束ではなく、お気に入りの単衣に「私が死んだときに着る着物」と書いてあったという。裁縫が得意だったため、いつも余り布等で小さな巾着袋を沢山作っていたが、葬儀の時に来てくれた方に飴を入れて配るようにとの言葉を残していたそうで、入口の籠一杯に「故○○様の作品です。どうぞお持ち帰りください。」と置かれてあった。
 孫やひ孫に囲まれて幸せそうな沢山のスナップ写真が、写真立てに飾られている。息子をおんぶした写真は既にお棺に収めたとのことだった。思えば本当に写真が好きな義母だった。写真を撮る時のポーズは少し斜めに構えて、両手を斜め下に伸ばして、と決まっていた。

 既に開式まで30分ほどしかない。急いで喪服に着替える。殆どろくに逢ったことのない方たちに囲まれて一人ぽつねんとしていた母が、私の顔を見ると少しほっとしたような顔で更衣室にやって来た。そうこうしている間に、息子が最寄駅に着いたという連絡があり、ギリギリで間に合った。
 甥っ子が「数十年孫をやっているけど、入院するまで一度もスッピンを見たことがなかったから、お化粧してもらって、ようやく自分の知っているばあちゃんになった。」と言っていたように、御棺に入った義母はすっかり綺麗にお化粧を整えてもらい、穏やかな顔をして本当に眠っているようだった。息子は神妙な顔をして棺を覗き込み、またも顔を歪めてうるうるしている。

 ほどなくして通夜が開式となった。
 以前も書いたが、親族として葬儀に参列するのは祖父母の葬儀以来35年ぶりだ。そして“喪主の妻”として祭壇脇に座ったなど人生で初めてのこと。痛いとか調子が悪い等と言っている暇はなく、終始緊張して合掌やご挨拶を繰り返す。だが、こうして式に出ながら、何やらまだ義母が亡くなったということがまだピンとこないのが正直なところだ。
 戒名は「秋明院妙心日勝大姉」。秋のシュウメイギクのように凛とした故人をイメージしたという新しいお名前を頂いた。故郷の菩提寺のご住職は日程が合わず、ここの近くにある同じ宗派のご住職が代理として来て下さったが、菩提寺のご住職がお送りくださった戒名の意味等を記したお手紙もお読み頂き、そこには、勝ち気で頑張り屋さんだった、と人柄の紹介やいくつかのエピソードなども記されていた。

 夫の職場の方たちが遠路はるばる大勢駆けつけて下さっていた。結婚式以来、20数年ぶりでお目にかかってご挨拶した方もいらした。本当に有難いことである。
 一旦、義妹宅に引き上げて態勢を立て直してから、義弟に、母と息子と私と3人で予約していた隣街のホテルに送ってもらった。チェックインしたのは既に10時を回っていた。折角の温泉併設の宿ではあったが、私は疲れすぎてしまってダウンしては元も子もないので、母と息子にだけ大風呂に行ってもらい、部屋のユニットバスに入って休むことにした。
 夫は、義母にとっての初孫である甥っ子と式場のホールに泊まり込み。

 通院治療と通夜列席の長い一日だった。


 お読み頂いている皆様、
 昨日、一昨日と更新が出来ず、大変申し訳ありませんでした。今日から後追いで書いていく予定です。
 おかげさまで無事一連のセレモニーが終了し、今日は夫も息子も私も通常通り、出勤、登校することが出来ました。
 せめて明日は少しゆっくりしたいところですが、夫は再び義妹宅で打ち合わせ、息子は平常登校日です。

コメント
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