4回にわたって連載してきたイデアフォー通信第92号からの記事も、いよいよ今回で最終回である。私の今の素直な思いをまとめてみた。
※ ※ ※(転載開始)
Ⅳ 社会に対して私が望むこと
繰り返しになりますが、今や初発で治療専念のため、と仕事を辞する方はいないと思いますが、再発した後も治療は長期間続くのです。そして当然のことながら、生きている限り治療には半端でないお金がかかります。たとえ一時払いのがん保険が支払われても、それはあっという間に底がつきます。特に再発進行乳がんの予後は年単位です。
例えば、乳がんの転移場所として一番多いといわれる骨転移が発覚したとします。ああ、もう全身転移なのだ、治らないのだ、と大きなショックを受けることは間違いないでしょう。けれど、痛み等の自覚症状が出ていなければ、ゾメタやランマークの治療を続けることで、おそらく殆ど今まで通りの生活を続けることが可能です。痛みさえうまくコントロールすることが出来れば、今まで通りの生活をし、寿命まで生きることも夢ではないわけです。だからこそ、仕事を軽々しく辞めてはいけないと思います。
もちろん部位によっては歩行困難になる可能性もあります。万一そうなった場合には、QOLがどれほど下がるかわかりません。けれど放射線治療も可能です。厳しい現実ではありますが、誤解を恐れずに言えば、骨転移の場合、転移があったからといって即、命にかかわることになるわけでもないのです。
今や2人に一人ががんになる時代です。がんになったからといって2人に1人の人がいちいち仕事を辞めていたら、社会は一体どれほどの人材を無駄にすることかと案じます。特に、少子高齢化で働く人たちがただでさえ少なくなっている昨今です。社会全体が立ち行かなくなってからでは遅いのです。
がんになることは、決して他人事ではありません。2人に1人がかかるのですから、自分がならなくとも身近な家族が罹患することも十分ありえます。だからこそ、受け入れ側も明日は我が身のこととしてきちんと(再発)患者を雇用するように体制を整えて頂きたいと思います。意識改革には時間がかかるかもしれませんが、そうした社会全体の共通認識が絶対に必要な段階に来ていると考えます。
Ⅴ 患者会について私が思うこと
最後になりましたが、私が患者会に入った理由を少しだけ。
休職明け、まだタキソテールのいろいろな副作用が出ている中、これからどうやったら出来るだけ長い時間、再発治療と仕事、自分の生活を続けていくことが出来るのだろうか、と改めて考えました。
その時、ふと手に取ったがんサポート雑誌に出ていた記事がきっかけでした。再発後、長生きしている人は皆、患者会をうまく利用している、ということが書いてあったのです。
タキソテールの治療のために休職する迄は一度も患者会に入会しようとは思いませんでした。初発時、やれる治療は全てやったわけだし、これからはあまり病気に振り回されずに、一日も早く今までの生活に戻りたいと思っていましたので。が、再発し初めての抗がん剤の辛い治療を終えて、家族が支えてくれるとはいっても、やはり同じ病気で同じ経験をしているわけではありません。一人だけで次々と出現する副作用等に対峙しながら心穏やかにやり過ごすには正直、しんどかったのです。これから細く長くしぶとくこの病気と共存していくためには、やはりライフステージが近く、同じ病を得て同じような治療を続けている仲間がどうしても欲しい、と思いました。
おかげさまで、今は患者会で知り合い、定期的にお会いして本音のお喋りが出来る大切な患者仲間がいます。そして患者会に背中を押されて書き始めたブログを通じて知り逢った仲間も数多くいます。一人ではない、と実感できることは、治療を続けていくうえでとても心強いことです。
Ⅵ おわりに
再発治療を始めるに当たり、完全に治癒はしない、ということをまず受け容れる必要がありました。そうであるならば、目的は少しでも長く今のQOLを落とさずに延命していくこと、病と共存していくことでしょう。ですから、キツすぎる治療で身体を痛めつけ、寝たきりで何も出来ない日が続くことは本末転倒であり、とてもやりきれない、続けられないと強く思いました。
今の主治医には自分がどうありたいかを常に伝えつつ、自分が納得いく治療を続けさせて頂いていることをとても満足しています。長い治療です。とにかく自分が納得して前に進まないことには始まりません。
初発時に小学校3年生だった一人息子の中学受験の真っ最中に再発が判り、セカンドオピニオンに奔走していたことは、今でも思い出すと胸が痛みます。が、その彼もこの4月に大学に入学し、家を巣立ちました。
再発が判った時、無治療では年単位の余命は望めないだろうが、治療をすれば数年単位、と言われました。その時、漠然とあと5年くらいの命だろうか、高校卒業式に出席することが出来るだろうか、と思ったこともありました。
が、日々を積み重ね、振り返ればなんとかここまで命を繋いで頑張ってくることが出来ました。
これからも希望は決して捨てずに、細く長くしぶとく、私らしく私なりに頑張りすぎずに頑張っていきたいと思います。
最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。
皆さまがご自分らしく、納得して病と共存されていけますことを心からお祈りいたします。
(転載終了)※ ※ ※
夕方からのイベントを無事終えて、明日から三連休。定時に職場を出たところで外はすっかり暗い季節になった。息子が家を巣立ったことで、帰宅したら一刻も早く夕飯を作らなくては、という強迫観念のような焦燥感が大分軽減したのは有難いことだ。
さてここ数日、口内炎が出来てしまって食事が摂りにくい。夫が宴会ということをいいことに、適当な夕食を済ませる。口の中は実にデリケートで、小さな口内炎が一つ出来てもこれだけ気になるのだから、副作用で複数の口内炎が次から次へと出来てしまうと、本当に大変。そうした副作用に悩まされながら治療を続けている方たちが少しでも軽減することを祈りたい。
※ ※ ※(転載開始)
Ⅳ 社会に対して私が望むこと
繰り返しになりますが、今や初発で治療専念のため、と仕事を辞する方はいないと思いますが、再発した後も治療は長期間続くのです。そして当然のことながら、生きている限り治療には半端でないお金がかかります。たとえ一時払いのがん保険が支払われても、それはあっという間に底がつきます。特に再発進行乳がんの予後は年単位です。
例えば、乳がんの転移場所として一番多いといわれる骨転移が発覚したとします。ああ、もう全身転移なのだ、治らないのだ、と大きなショックを受けることは間違いないでしょう。けれど、痛み等の自覚症状が出ていなければ、ゾメタやランマークの治療を続けることで、おそらく殆ど今まで通りの生活を続けることが可能です。痛みさえうまくコントロールすることが出来れば、今まで通りの生活をし、寿命まで生きることも夢ではないわけです。だからこそ、仕事を軽々しく辞めてはいけないと思います。
もちろん部位によっては歩行困難になる可能性もあります。万一そうなった場合には、QOLがどれほど下がるかわかりません。けれど放射線治療も可能です。厳しい現実ではありますが、誤解を恐れずに言えば、骨転移の場合、転移があったからといって即、命にかかわることになるわけでもないのです。
今や2人に一人ががんになる時代です。がんになったからといって2人に1人の人がいちいち仕事を辞めていたら、社会は一体どれほどの人材を無駄にすることかと案じます。特に、少子高齢化で働く人たちがただでさえ少なくなっている昨今です。社会全体が立ち行かなくなってからでは遅いのです。
がんになることは、決して他人事ではありません。2人に1人がかかるのですから、自分がならなくとも身近な家族が罹患することも十分ありえます。だからこそ、受け入れ側も明日は我が身のこととしてきちんと(再発)患者を雇用するように体制を整えて頂きたいと思います。意識改革には時間がかかるかもしれませんが、そうした社会全体の共通認識が絶対に必要な段階に来ていると考えます。
Ⅴ 患者会について私が思うこと
最後になりましたが、私が患者会に入った理由を少しだけ。
休職明け、まだタキソテールのいろいろな副作用が出ている中、これからどうやったら出来るだけ長い時間、再発治療と仕事、自分の生活を続けていくことが出来るのだろうか、と改めて考えました。
その時、ふと手に取ったがんサポート雑誌に出ていた記事がきっかけでした。再発後、長生きしている人は皆、患者会をうまく利用している、ということが書いてあったのです。
タキソテールの治療のために休職する迄は一度も患者会に入会しようとは思いませんでした。初発時、やれる治療は全てやったわけだし、これからはあまり病気に振り回されずに、一日も早く今までの生活に戻りたいと思っていましたので。が、再発し初めての抗がん剤の辛い治療を終えて、家族が支えてくれるとはいっても、やはり同じ病気で同じ経験をしているわけではありません。一人だけで次々と出現する副作用等に対峙しながら心穏やかにやり過ごすには正直、しんどかったのです。これから細く長くしぶとくこの病気と共存していくためには、やはりライフステージが近く、同じ病を得て同じような治療を続けている仲間がどうしても欲しい、と思いました。
おかげさまで、今は患者会で知り合い、定期的にお会いして本音のお喋りが出来る大切な患者仲間がいます。そして患者会に背中を押されて書き始めたブログを通じて知り逢った仲間も数多くいます。一人ではない、と実感できることは、治療を続けていくうえでとても心強いことです。
Ⅵ おわりに
再発治療を始めるに当たり、完全に治癒はしない、ということをまず受け容れる必要がありました。そうであるならば、目的は少しでも長く今のQOLを落とさずに延命していくこと、病と共存していくことでしょう。ですから、キツすぎる治療で身体を痛めつけ、寝たきりで何も出来ない日が続くことは本末転倒であり、とてもやりきれない、続けられないと強く思いました。
今の主治医には自分がどうありたいかを常に伝えつつ、自分が納得いく治療を続けさせて頂いていることをとても満足しています。長い治療です。とにかく自分が納得して前に進まないことには始まりません。
初発時に小学校3年生だった一人息子の中学受験の真っ最中に再発が判り、セカンドオピニオンに奔走していたことは、今でも思い出すと胸が痛みます。が、その彼もこの4月に大学に入学し、家を巣立ちました。
再発が判った時、無治療では年単位の余命は望めないだろうが、治療をすれば数年単位、と言われました。その時、漠然とあと5年くらいの命だろうか、高校卒業式に出席することが出来るだろうか、と思ったこともありました。
が、日々を積み重ね、振り返ればなんとかここまで命を繋いで頑張ってくることが出来ました。
これからも希望は決して捨てずに、細く長くしぶとく、私らしく私なりに頑張りすぎずに頑張っていきたいと思います。
最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。
皆さまがご自分らしく、納得して病と共存されていけますことを心からお祈りいたします。
(転載終了)※ ※ ※
夕方からのイベントを無事終えて、明日から三連休。定時に職場を出たところで外はすっかり暗い季節になった。息子が家を巣立ったことで、帰宅したら一刻も早く夕飯を作らなくては、という強迫観念のような焦燥感が大分軽減したのは有難いことだ。
さてここ数日、口内炎が出来てしまって食事が摂りにくい。夫が宴会ということをいいことに、適当な夕食を済ませる。口の中は実にデリケートで、小さな口内炎が一つ出来てもこれだけ気になるのだから、副作用で複数の口内炎が次から次へと出来てしまうと、本当に大変。そうした副作用に悩まされながら治療を続けている方たちが少しでも軽減することを祈りたい。