今日の午後、学内で開催された標記のフォーラムに出席した。
基調講演は「男性介護者の現状と課題」と題して、立命館大学産業社会学部教授であり、男性介護者と支援者の全国ネットワーク事務局長の津止正敏氏。その後、講師と2人の副学長との対談「介護と仕事の両立に向けて」というプログラム。充実した2時間半だった。
津止氏は京都市社会福祉協議会で20年間勤務した後、2001年より現職。専門は地域福祉論で「地域福祉プログラムの臨床研究」、「男性介護者の介護実態と家族介護者支援に関する実証研究」が現在の研究テーマであり、近著に『ケアメンを生きる―男性介護者100 万人へのエール』などがある。(ケアメンとはポジティブ介護を目指す氏の造語だそうだ。)
対する本学は、司会を務めたのがダイバーシティ推進室長、もう一人は長年臨床医として高齢者の精神疾患の診療を行い、アルツハイマー型認知症についての研究業績を多数有する副学長だ。
働きながら介護する人は290万人(平成24年度就業構造基本調査・総務省)、そのうち40代、50代が170万人を占める。4割が男性で、50代後半では実に就業者の1割以上が働きながら介護しているという。
“介護は辛いもの、出来れば避けたいもの”、“介護を排除して成り立つ暮らしや働き方”ではなく、“介護のある暮らしや働き方を社会の標準に”していく、介護を取り込んで初めてワークライフバランスが成り立つのではないかという問題提起で講演終了。
その後の対談では、お三方それぞれが専門の分野とこれまでの経験に基づいた発言をされ、あっという間に予定終了時間となった。対談後はフロアからも実際に長年介護をしている方の発言や質問があり、いろいろ考えさせられた。
講演でも対談でも終始頷きっぱなし。実に重いテーマだったし、老親の介護はとても他人事ではない。いつ両親のどちらか(あるいは2人)が要介護状態になり、実家に頻繁に通うことになっても不思議ではない。その時、自分の体調は果たしていかに・・・という不安が常に頭のどこかにひっかかっている私だ。けれど、終了時には不思議ととても救われる思いが残った。なんとなれば、子育ても介護も闘病も、皆それ一筋になってはいけない、という共通点が見い出せたからだろうか。
そう、あれほど楽しませてもらった子育ても、それ一筋だと負担感は非常に大きい。仕事をして、保育園に預けて。思えばいつも綱渡りのドタバタだったけれど、そうであったからこそ、メリハリをつけて頑張ってこられたのだと思う。講師は介護もそれと同じであると言う。仕事を辞めて介護一筋になった時のリスクが大きく、悲劇は産まれる。真っ当に介護から離れることの出来る環境があることが必要である、と。
介護をしながら“温泉に行く”というのではなく、“仕事に行く”というのならば後ろめたさや罪悪感に苛まれることがないのではないか、と。そうして介護と仕事を両立させるルートにこそ支援が必要である、と。
翻って、闘病と仕事も同じではないか、と思う。病気と24時間ひたすら向き合う“闘病一筋”は、私にとってはとても厳しいことだ。逃避性向があるわけではないけれど、仕事があることで、メンタルバランスがうまく取れているのは間違いないと思う。
ああ、同じなんだ、と改めて思う。介護がただ辛く厳しいものであるだけでなく、介護をすることで、日常のささやかな幸せに気付くことが出来る。病と向き合うことで、今まで当たり前に思っていたことが、決してそうではなくどれだけ有難いことであるのか気付く。そうした気付きにどれだけ出会うことが出来るのかで、きっと人生は変わっていくのだろう。
介護も闘病も希望が無くなると深刻になる。もちろん、大きな希望を持ちすぎて絶望するのはとても辛いこと。では、その絶望をどう防ぐか。身近な喜びや幸せに気付けるかどうかが決定的なことだ、と講師は言う。
そのことにすぐ気付く人、なかなか気付かない人、いろいろな人がいるというけれど、そうした気付きのシーンを大切にして日々を送れば、振り返った時にきっといい人生だった、と思えるのではないだろうか。
介護者団体も患者会の存在もその役割は同じだろう。専門家や医師からあまりにも客観的で冷静に言われる話と実際に体験、経験している人の話はやはり決定的に異なる。自分は独りではない、皆がこんな経験をしながら頑張っているのだ、と思うことが出来ることこそパワーの源になる。
10月も半ばを過ぎ、日一日と秋が深まってきた。街路樹のカツラの木々はもうすっかり紅葉している。学内でも落ち葉を踏みしめながら歩く場所が増えた。
御嶽山の噴火から明日で3週間。紅葉シーズンの事故からあっという間に雪の季節となり、行方不明の方たちがいる中、今年の捜査は打ち切りになった。同じくいまだ行方不明の方がいる大島の土石流災害から昨日で1年が経った。
本当に自然災害が頻発した1年だった。
生きていること、生かされていることに改めて感謝の思いを馳せながら、沢山の気付きを得られた有難い秋の日であった。
基調講演は「男性介護者の現状と課題」と題して、立命館大学産業社会学部教授であり、男性介護者と支援者の全国ネットワーク事務局長の津止正敏氏。その後、講師と2人の副学長との対談「介護と仕事の両立に向けて」というプログラム。充実した2時間半だった。
津止氏は京都市社会福祉協議会で20年間勤務した後、2001年より現職。専門は地域福祉論で「地域福祉プログラムの臨床研究」、「男性介護者の介護実態と家族介護者支援に関する実証研究」が現在の研究テーマであり、近著に『ケアメンを生きる―男性介護者100 万人へのエール』などがある。(ケアメンとはポジティブ介護を目指す氏の造語だそうだ。)
対する本学は、司会を務めたのがダイバーシティ推進室長、もう一人は長年臨床医として高齢者の精神疾患の診療を行い、アルツハイマー型認知症についての研究業績を多数有する副学長だ。
働きながら介護する人は290万人(平成24年度就業構造基本調査・総務省)、そのうち40代、50代が170万人を占める。4割が男性で、50代後半では実に就業者の1割以上が働きながら介護しているという。
“介護は辛いもの、出来れば避けたいもの”、“介護を排除して成り立つ暮らしや働き方”ではなく、“介護のある暮らしや働き方を社会の標準に”していく、介護を取り込んで初めてワークライフバランスが成り立つのではないかという問題提起で講演終了。
その後の対談では、お三方それぞれが専門の分野とこれまでの経験に基づいた発言をされ、あっという間に予定終了時間となった。対談後はフロアからも実際に長年介護をしている方の発言や質問があり、いろいろ考えさせられた。
講演でも対談でも終始頷きっぱなし。実に重いテーマだったし、老親の介護はとても他人事ではない。いつ両親のどちらか(あるいは2人)が要介護状態になり、実家に頻繁に通うことになっても不思議ではない。その時、自分の体調は果たしていかに・・・という不安が常に頭のどこかにひっかかっている私だ。けれど、終了時には不思議ととても救われる思いが残った。なんとなれば、子育ても介護も闘病も、皆それ一筋になってはいけない、という共通点が見い出せたからだろうか。
そう、あれほど楽しませてもらった子育ても、それ一筋だと負担感は非常に大きい。仕事をして、保育園に預けて。思えばいつも綱渡りのドタバタだったけれど、そうであったからこそ、メリハリをつけて頑張ってこられたのだと思う。講師は介護もそれと同じであると言う。仕事を辞めて介護一筋になった時のリスクが大きく、悲劇は産まれる。真っ当に介護から離れることの出来る環境があることが必要である、と。
介護をしながら“温泉に行く”というのではなく、“仕事に行く”というのならば後ろめたさや罪悪感に苛まれることがないのではないか、と。そうして介護と仕事を両立させるルートにこそ支援が必要である、と。
翻って、闘病と仕事も同じではないか、と思う。病気と24時間ひたすら向き合う“闘病一筋”は、私にとってはとても厳しいことだ。逃避性向があるわけではないけれど、仕事があることで、メンタルバランスがうまく取れているのは間違いないと思う。
ああ、同じなんだ、と改めて思う。介護がただ辛く厳しいものであるだけでなく、介護をすることで、日常のささやかな幸せに気付くことが出来る。病と向き合うことで、今まで当たり前に思っていたことが、決してそうではなくどれだけ有難いことであるのか気付く。そうした気付きにどれだけ出会うことが出来るのかで、きっと人生は変わっていくのだろう。
介護も闘病も希望が無くなると深刻になる。もちろん、大きな希望を持ちすぎて絶望するのはとても辛いこと。では、その絶望をどう防ぐか。身近な喜びや幸せに気付けるかどうかが決定的なことだ、と講師は言う。
そのことにすぐ気付く人、なかなか気付かない人、いろいろな人がいるというけれど、そうした気付きのシーンを大切にして日々を送れば、振り返った時にきっといい人生だった、と思えるのではないだろうか。
介護者団体も患者会の存在もその役割は同じだろう。専門家や医師からあまりにも客観的で冷静に言われる話と実際に体験、経験している人の話はやはり決定的に異なる。自分は独りではない、皆がこんな経験をしながら頑張っているのだ、と思うことが出来ることこそパワーの源になる。
10月も半ばを過ぎ、日一日と秋が深まってきた。街路樹のカツラの木々はもうすっかり紅葉している。学内でも落ち葉を踏みしめながら歩く場所が増えた。
御嶽山の噴火から明日で3週間。紅葉シーズンの事故からあっという間に雪の季節となり、行方不明の方たちがいる中、今年の捜査は打ち切りになった。同じくいまだ行方不明の方がいる大島の土石流災害から昨日で1年が経った。
本当に自然災害が頻発した1年だった。
生きていること、生かされていることに改めて感謝の思いを馳せながら、沢山の気付きを得られた有難い秋の日であった。