ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.10.30 なんて素敵なグレイトニュース・・・再び!

2014-10-30 22:49:35 | 日記
 木曜日は、毎週楽しみに拝読している読売新聞医療サイトyomiDr.の、大津秀一先生のコラム「専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話」が更新される日だ。去年の10月から始まったこのコラムも早くも1年が過ぎた。
 いつもはコラムを拝読した後、そのまま先生のオフィシャルブログに飛ぶのだけれど、ここのところ、申し訳なくも読み損なっていた。
 今日のコラムを読んだ後、遡って拝見したところ、なんと10月9日の記事で私のブログが紹介されているではないか。
 昨年「なんて素敵なグレイトジョブ!」の記事で、大興奮でご紹介して、先生の隠れファン(!)まで宣言したのだっけ。今回も3週間前の記事であるが、以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

ヨミドクターコラム連載開始後1年 『大切な人を看取る作法』(2014-10-09)

皆さんもご存知だと思いますが、読売新聞の医療サイト『ヨミドクター』で、緩和医療のことや終末期医療のことについてコラム連載をしています。
専門家に聞きたい!終末期と緩和ケアの本当の話
毎週木曜日が更新です。
そういえば・・と日付を確認してみると、最初のコラムは2013年10月10日のものでした。
そう、おかげさまでヨミドクターコラム連載開始後1年となりました。
1年も続けられたのは愛読してくださる方々のおかげさまと感謝しております。ありがとうございます。
最近はヨミドクター→こちらのブログを知る→メッセージを頂戴する、そのような機会も増えました。
また私の知る限りを越えて、同コラムを利用してくださっていることを嬉しく思っております。
ここしばらくの間にも、いくつかご紹介賜っています。
(次に挙げるのは、直接お会いしたことがない皆さまであり、引用等に問題があれば遠慮なくご連絡ください)

(中略)

以前も紹介させて頂いた、
◎ ロッキングチェアに揺られて 再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる
ロッキングチェアさんの
この記事「2014.9.25 緩和ケア外来で、セカンドオピニオン外来で・・・何が悩みなのか」
なんと200万PVを超えられたとか。すごいですね。

(以下引用)
そう、再発がん患者を長くやっていると、治療が上手くいっている時は良いけれど、ちょっと陰りが出てきたとか増悪が見られたという時には、気持ちが揺れる人が大半だろう。遺された命の時間に直結しているわけだから、何があっても動じない、というわけにはなかなかいかないのではないか。

 先生の次回のコラムがどう展開するのか予想するに、必ずしも患者は効果に疑問云々で悩んでいるのではない、ということが読みとれる。それよりも家族との関わりや、がんを抱えて生きていくあり方といった問題に悩まれているようだ、と。
(以上引用)

私がコラムでした質問の答えを予想くださったのですが、「がんを抱えて生きていくあり方といった問題に悩まれている」、まさに正解でした。
誰にとってもほとんど経験がないこと。
だからこそどう過ごして、そしてどう生き、どう向き合ったら良いのか、それを皆さんが悩まれるのです。もちろん周囲の方も同様でしょう。

(大津註:患者の)「悩みは“孤独”なのではないか。」(同ブログ同記事より)

自身の体験は究極的には自身しかわからない。その孤独と向き合わねばならないこと。
これはまさしく病を持って生きる方の大変さでありましょう。

(以下略・転載終了)※   ※   ※

 この記事を書いた後、翌週の先生のコラムでその答えが明らかにされたわけで、それについても書かなければ・・・と思っていたのに、恥ずかしながらそれっきりになってしまっていた。それが、こういう形で当の先生に「まさに正解でした」と言って頂けていたとは。これまた読者冥利に尽きてしまうではないか。

 実は最近、ブログを書くことの難しさを改めて感じさせられる出来事があり、結構凹んでいた。けれど、こんなふうに受け容れて頂くと、やはり発信していくことは止められないと思ってしまう。

 患者を続けてきて感じていることは、どうしても孤独感から解放されることはないということだ。どれほど家族や友人が暖かく優しく寄り添ってくれても、悔しいけれど、やはりブラックホールのような孤独感に苛まれることが、ある。どんなに好きな相手でも、一緒に連れて逝くことは出来ない。逆に、大切な人だからといって、自分がその人とともにあちらの世界に引き込まれていくわけにもいかない。

 人として生まれてきた私たちは、必ず死んでいかなければならない。お母さんのお腹から裸ん坊で生まれてきたように、やはり自分の身体一つで死んでいかなければならないのである。いかに自分らしく死んでいくか、それが私たちの最後の大仕事なのだろう。

 もちろん、病を抱えていようがいまいが、人は誰しも何であれ、その人その人なりの孤独と闘っていかなければならないものだと思う。そして、孤独が全く必要ないか、と問われれば決してそうではない。独りの時間、自分と徹底的に向き合って考える時間、それは断じて大切な時間なのだけれど。
 “孤独”は贅沢な悩みなのだろうか。


コメント
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