再発以来、頻繁には会えない人に会う時には、自然と、もしかしたらこれが最後かもしれない、と思って接するようになっている。
偽善者ぶるつもりは皆目ないのだけれど、人として、もし自分のことを思い出してもらうことがあるなら、その時に「ああ、嫌な奴だったな」と思われるよりも、「ああ、あの時穏やかに接してもらったな」とか「笑顔だったな」、「親切にしてもらったな」と思ってもらえる方が嬉しいに決まっている。
私が出来ることなどはごくごくちっぽけで高が知れているけれど、それでもそうした暖かな正の感情や笑顔は伝染するように感じている。攻撃的になったり、怒りをぶちまけたり、という負の感情が伝染するのと同じように。
人間は感情の生き物だから、特に病気を抱えていたり、体調が優れない時にはどうしても素直な気持ちになれなかったり、なんとなく妬みっぽくなってしまったりすることもある。
だからこそ、心して生きていきたい、と思う。
先日、夫と義母の一周忌で帰省して、感じることは多かった。
親たちを祀る郷里の菩提寺が遠く離れていると、やはり思うに任せないことも多い。
いみじくも今回義妹が「あと何年来ることが出来るかわからないな」と言っていた。私も、せめて来年の三回忌迄は頑張って行くつもりだけれど、その後七回忌、十三回忌の法要まで夫とともに執り行うことが出来るか、さっぱり自信がない。
90歳を超えた叔母(義父の妹)が生きてくれているうちは、こうして従弟たちも一緒に参列してくれるわけだけれど、従弟たちの代になった時には、夫や義妹にとってもより一層故郷が遠くなるのだろうとも思う。
2人とも末っ子の両親が、本家の墓に入ることも出来ず、あえて自分たちの墓を建てずにさっさと霊園で合祀の手続きをしてきた時には、(私って当てにされていないんだ・・・)とちょっぴり複雑だったけれど、まあ、冷静に考えれば、病気を抱え長男に嫁いだ一人娘の私や、一人しかいない孫息子に墓守をさせるのが忍びなかったのだろう。今では賢明な判断をしてくれたのだ、と感謝している。
歳を重ねるにつれて、遺された時間は否が応でも少なくなっていく。
もちろん、今回の御嶽山の噴火のように、元気で登山を愉しんでいた若い方たちが突然命を絶たれるということもあるから、年齢や病気だけでない。
自然には決して敵わない。そして、“生きている”ということは本当に宙ぶらりんな、小さな沢山の奇跡が積み重なったことなのだ、という厳然たる事実を改めて突き付けられた思いだ。
とにかく人生、いつ何が起こるか分からない。
だからこそ、「もし、あれが最後だとわかっていたら、ああしたかった、もっとこうしてあげられた・・・」と思わないように、その時自分が出来ることは惜しみなくやり切りたい。その時、その瞬間は二度と戻ってこないのだから。
そして、結果的にこれが最後の面会になった時に出来るだけ後悔しないように、生かされているうちには精一杯、出来るだけ穏やかに人に接する日々を過ごしたい、と思うのである。
偽善者ぶるつもりは皆目ないのだけれど、人として、もし自分のことを思い出してもらうことがあるなら、その時に「ああ、嫌な奴だったな」と思われるよりも、「ああ、あの時穏やかに接してもらったな」とか「笑顔だったな」、「親切にしてもらったな」と思ってもらえる方が嬉しいに決まっている。
私が出来ることなどはごくごくちっぽけで高が知れているけれど、それでもそうした暖かな正の感情や笑顔は伝染するように感じている。攻撃的になったり、怒りをぶちまけたり、という負の感情が伝染するのと同じように。
人間は感情の生き物だから、特に病気を抱えていたり、体調が優れない時にはどうしても素直な気持ちになれなかったり、なんとなく妬みっぽくなってしまったりすることもある。
だからこそ、心して生きていきたい、と思う。
先日、夫と義母の一周忌で帰省して、感じることは多かった。
親たちを祀る郷里の菩提寺が遠く離れていると、やはり思うに任せないことも多い。
いみじくも今回義妹が「あと何年来ることが出来るかわからないな」と言っていた。私も、せめて来年の三回忌迄は頑張って行くつもりだけれど、その後七回忌、十三回忌の法要まで夫とともに執り行うことが出来るか、さっぱり自信がない。
90歳を超えた叔母(義父の妹)が生きてくれているうちは、こうして従弟たちも一緒に参列してくれるわけだけれど、従弟たちの代になった時には、夫や義妹にとってもより一層故郷が遠くなるのだろうとも思う。
2人とも末っ子の両親が、本家の墓に入ることも出来ず、あえて自分たちの墓を建てずにさっさと霊園で合祀の手続きをしてきた時には、(私って当てにされていないんだ・・・)とちょっぴり複雑だったけれど、まあ、冷静に考えれば、病気を抱え長男に嫁いだ一人娘の私や、一人しかいない孫息子に墓守をさせるのが忍びなかったのだろう。今では賢明な判断をしてくれたのだ、と感謝している。
歳を重ねるにつれて、遺された時間は否が応でも少なくなっていく。
もちろん、今回の御嶽山の噴火のように、元気で登山を愉しんでいた若い方たちが突然命を絶たれるということもあるから、年齢や病気だけでない。
自然には決して敵わない。そして、“生きている”ということは本当に宙ぶらりんな、小さな沢山の奇跡が積み重なったことなのだ、という厳然たる事実を改めて突き付けられた思いだ。
とにかく人生、いつ何が起こるか分からない。
だからこそ、「もし、あれが最後だとわかっていたら、ああしたかった、もっとこうしてあげられた・・・」と思わないように、その時自分が出来ることは惜しみなくやり切りたい。その時、その瞬間は二度と戻ってこないのだから。
そして、結果的にこれが最後の面会になった時に出来るだけ後悔しないように、生かされているうちには精一杯、出来るだけ穏やかに人に接する日々を過ごしたい、と思うのである。