ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.6.5 長い一日その②~息子が参加する6大学合唱合同演奏会と、京都の夜を愉しむ

2016-06-05 23:32:39 | 合唱
 私鉄とJRを乗り継ぎ新幹線に乗り込む。夫は私より3時間早い新幹線に乗り、既に京都入り。昼食のにしんそばの写真がLINEで送られてくる。私はなんとなくまだお腹が心配で、ちょっと小さめの初夏の駅弁を買って車内で頂く。食後は今日配られたヨーガ哲学の資料を読みながら、あっという間に2時間が経過。
 
 勝手知ったる京都駅を急ぎ足で通り抜け、地下鉄に乗り込む。2年前の6月、母を初めて京都に連れてきた時に、息子と母と3人で訪れた、東西四大学男声合唱演奏会の会場であったコンサートホールが今日の会場だ。

 私が会場に入れたのは関西学生混声合唱連盟いわゆる関混連第47回演奏会の開演から既に1時間経過し、6大学のうち2つの大学が終わったとき。昨年はトリを勤めた息子の大学は今年は4番目。夫から、キープした席の番号も聞いていたので、すんなり席に着くことが出来た。
 3つ目の大学の演奏から聴くことが叶い、すぐにインターミッションで夫とロビーでお茶をしてほっと一息。

 第2部のトップバッターが息子たちの大学だ。この時期、4回生は就活で不在、1回生はまだ入団したばかりで舞台には乗れない。2,3回生だけでどの大学もこじんまり、20名から30名の編成だ。息子たちが舞台に入ってくる。ひときわのっぽでやけにチャラい茶髪の兄ちゃんが息子である。うーん、どうしたものか。

 今日は女性正指揮者により混声合唱とピアノのための組曲「天使のいる構図」より2曲をお披露目。谷川俊太郎さん作詞、作曲は松本望さんだ。どの大学もいまどきの現代的で前衛的な曲が多い。次の大学が歌ったアカペラの邦人アラカルトは、わかり易くちょっと一息ついた感じ。最後の大学が40名の編成で一番大人数だったか。

 休憩後の最終ステージは6大学合同だ。混声合唱とピアノ、シンバルのための組曲「やがて音楽が」は作詞が塔和子さん、新川和江さん、みなづきみのりさん。客演指揮者に私の母校の先輩でもある清水敬一さん。作曲の松本望さんが客演ピアノという贅沢なステージだった。20分を超える4曲全曲演奏、200人を超える若い歌声はやはり圧倒的。

 うーん、最終曲の歌詞ではないが、「世界を包む音楽が 人と人とをつなぐ音楽が 言葉を蘇らせ心へ還していく音楽が やがて音楽が 全てを結びつけるのだ」と思う。
 こうして3時間にわたる(私には2時間だったけれど)コンサートは、アンコールもなくちょっとあっけなく終焉を迎えた。

 外はまだ明るい。会場の外では三々五々舞台に載った学生と、聴きにきてくれた人たちがたむろしている。夫と写真を撮っていると、息子のお友達の姿が見えた。さて、息子はとキョロキョロウロウロしていたら、その姿を発見。島根大学のお友達がわざわざ聴きにきてくださったとか。これから打ち上げという息子たちに別れを告げて会場を後にした。

 夫と私は、コンサートホールの近くにある、北山マダム御用達というブランジェリーの2階のビストロでディナーを愉しんだ。窓の外は濃い緑が美しい。夏至に向かって日が長い。さすがに中心地から離れているせいか、観光客というよりも地元の方たちが思い思いに食事を愉しんでいる。久しぶりにお腹いっぱいの食事を堪能して地下鉄で駅まで戻った。

 そして、さらに何十年ぶりかの京都タワーに上って京都の夜景を愉しんだ後、ようやく先ほどホテルにチェックインした。
 朝からてんこ盛り、ダブルヘッダーの長~い一日だった。さすがに疲労困憊。夫は既に高いびきである。

 明日は午前中に1箇所観光し、その後昼食を摂ったら早めに帰京の予定である。



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2016.6.5 長い一日その①~指導者養成コース10日目

2016-06-05 23:21:59 | ヨガ
 瞑想ヨーガ指導者養成コース10日目。今日は夫と別行動。私は午前中クラスに出席してから、夫は直接京都に向かう。

 今日のプログラムは午前中が“ヨーガスートラを学ぶ”の2回目、午後は今日が新月ということで“マントラ付「月の礼拝」トレーニング”というスケジュールだ。
 あいにく雨降りの朝。いよいよ入梅だろうか。晴雨兼用の日傘をさして早めに出かけ、3番乗り。
 
 いつものように出席を取る。「6月生まれの人はいますか。」とSさんがおっしゃると私を含めて3人が手を上げた。5月生まれの2人も加わって、Sさんの後に感謝の言葉を唱えていく。私は「今日もこうしてここに来ることができたことに感謝いたします。」と一言。

 まずは昨日までの内容に関する質問タイムから。あちこちからどんどん手が挙がり、それぞれにSさんが答えていくうちにあっという間に1時間が経過。自宅で練習するときの様々は悩みや、これから人に教えていく上での注意事項など色々である。ヨーガで感情が開放されるのを経験できた人は幸せだということ、身体のある部分を動かしたり、あるポーズを取るとわけもなく涙が流れてくる不思議な体験などのお話もある。
 中でも怒りの感情は肝臓に、悲しみの感情は肺に、恐れの感情は腎臓にそれぞれ溜まるというSさんのお話に納得。

 というのも、私は現在両肺に多発転移の身であるが、初発以来知らず知らずのうちに悲しみの感情をここに溜めていたのだろうと感じることがあった。そして、ここのところ調子が良いのは、幸せな気分を上手にキープすることで自分なりにうまく心を静めることが出来ており、肺や胸に負荷がかかっていないのではないか、となんとなく感じていたからだ。

 休み時間に、その話をSさんに報告したところ、「もし嫌でなければ是非皆にシェアしてほしい。」と言って頂く。私自身は全く構わないけれど、皆さんがこんな話を聞くのは重いのではないか、と思ったけれどSさんにお任せする。

 休憩後は、昨日に引き続き大地への感謝の礼拝からスタートして、逆転のポーズまでゆっくりと気持ちよく小一時間身体を動かした。魚のポーズからシャバーサナの後、再び瞑想をして心穏やかに安心してスッキリと目が覚めた気分。

 次いでヨーガ哲学の時間がスタートした。「そもそも哲学は楽しい気分で勉強するもので、暗い気分でやるものではないのです。」とSさんはおっしゃる。私たちはヨーガ哲学の知恵を日常生活を行う上で何に活かすのか。目標は一人ひとりが喜びに満ちて生きること、そのためにヨーガの知恵を学び、実践するわけだ。

 ここでSさんから振られて私の体験を話す時間になった。実際に8年半再発治療中であるが、悲しみを溜めずにいられるようになったことで体調が良くなっているという話をお披露目する。もちろん医学的には決して心配ない状態ではないけれど、不思議なくらいこのまま大丈夫という落ち着いた穏やかな気分で毎日が過ごせるようになった、と。
 「なぜ、そうなったのかと思いますか。」とSさんに問われる。そう、答えはとてもシンプルで、ただ気づいたからである。幸せに生きることで身体が悲しみを溜めなくなったことに気づいた、そして体調が変わったというのだ。これをヨーガ哲学では“気づきと変容”と呼ぶそうだ。一度この両方を経験するともう戻ることはないという。こうした物事の捉え方、即ち現象の良し悪しを判断するのではなく、何に気づくかということが大切なのである。

 そして、残念ながらここでタイムオーバー、時間切れ。皆さんから「いってらっしゃい!」と送り出されて、後ろ髪を引かれつつもとても満ち足りた気分でスタジオを後にした。
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