朝日新聞のお悩み相談を見て、目が止まった。冒頭があまりに自分が経験してきたことと似ていたから。
以下、転載させて頂く。※ ※ ※(転載開始)
家族に容姿をけなされ続け自己肯定感が低く 悩みのるつぼ相談者(50代女性)
自己肯定感が異常に低く、毎日生きづらさを感じています。幼少のころから母や姉に「ブス」と言われ、「ブスなんだから勉強ぐらい頑張らないと生きていけないよ」と言われ、頑張りましたが、スポーツも成績も姉に並ぶことすら出来ませんでした。
職場で同期の男性と結婚。義母から「こんな不細工な嫁連れてきて。息子に釣り合わない」と人前で何度か言われました。義両親と良好な関係が築けず、元夫の不倫やモラハラ発言で、結婚20年で離婚。大学4年の一人息子は戸建てを所有している元夫と暮らしています。
離婚に至るまでの過程でも両親は味方になってはくれませんでした。私がガンで手術を受けて初めて離婚していいよと。離婚後は世間体が悪いからと実家に帰ることを拒否されました。
皆さんも色々問題がおありだと思いますが、それでも自分を受け入れたくましく生きておられるようにお見受けします。今からでも可能であれば自己肯定感を上げていきたい。離婚後コーチングを受けましたが、変化はありませんでした。心の持ちようをご教示いただければ幸いです。
(野沢直子さんの回答)
まずは実の母親と姉が相談者様の容姿のことをそんな風に言うなんて、と憤慨してしまいました。だから勉強を頑張らないといけないという考えも全くナンセンスだと思います。そしてこの義母も然(しか)りで、誰かの容姿をそんな風に言う人間は本当に最低だと思いますよ。
嫌な思いをしてしまいましたね。
ですが、このお悩みを読む限り相談者様は辛(つら)い目にあった過去のことを冷静に振り返って恨み言のように書いておらず、更にこの先のことを考えて自分を変えていこうとなさっている。そこが素敵だと思いました。人生がうまく運んでいかない時、客観的にそのことを見つめて、結果自分を変えてみようと思える人は少ないように思います。大概は他者のせいにして自分が悪いわけではないと考え恨み言を言い、自分を変えようという結論には至りません。おそらくその方が楽だからだと思います。
元夫の不倫や離婚、ガンという病気も乗り越えて、五十代になっていらっしゃる相談者様。私は、相談者様には自己肯定感をあげるコーチングを受けることより、これからの人生、シンプルにもっと楽しい時間を増やして生きていって欲しいと切に願います。
やりたいことや夢はありますか? もしもあるなら、今からでもいいからやってみてはいかがでしょうか。子育ても終わりました。胸を張って自分のために生きましょう。
好きな趣味はありますか? 特に誰かに誇れるような生産性のあることではなくても全然いい。推しのアイドルを見つけてコンサートに行く、好きなスイーツを食べながら好きな映画やドラマを観(み)たり本を読んだり、それだけでもいいと思います。なんでもいいので、とにかくこれをやっていたら楽しいと思えることを見つけて、それに没頭する時間を増やして、毎日難しく考えず、ただ楽しんで過ごしていっていただきたいのです。
自分の機嫌をとる、という表現を最近SNSで見かけますが、私はこの表現が好きです。私は相談者様にはぜひ自分の機嫌をとってあげることに時間を費やしていただきたい。コーチングを受けなくても、あなたならきっと自分のいいところをご自分で見つけられると思います。
あなたは辛い目にあっても、それを母親や元夫のせいにしない美しい人です。今まで辛かった分、これからは楽しい人生を送ってくださいね。(転載終了)※ ※ ※
私も子どもの頃、両親から「お前は不細工なんだから勉強くらいできなくてはダメだ」と言われて育った。一人っ子だったし、誰と比べて不細工なのかもよく分からず、両親からそう言われればそういうものかと思うしかなく、勉強自体は嫌いではなかったから普通に頑張った。(スポーツは苦手だったけれど)つくづく出来が良く容姿端麗の兄姉がいなくて良かったと思う。
後から漏れ聞いたことによると、両親は「あなたたちは俳優の何某に似た美男美女のカップルだから、生まれてくる赤ちゃんはどんなにか可愛いことでしょうね」というお世辞を言われたことがあって、それを真に受けて、夢を見ていたのだろう。どれだけ背負っていたことか。鳶が鷹を生むなんてことはそうはない。
3つ上の従姉は、今写真を見ても顔立ちの整った綺麗な赤ちゃんで、成長してからも何でも出来て綺麗で憧れの存在であると同時にコンプレックスを掻き立てられる存在だった。両親が比べていたのは彼女だったのだろう。
それなのに、小さな母の身体から3,500グラムという巨大な私が難産の末生まれてきて、最後は吸引されて頭が福禄寿のように伸びていたものだから、母はショックで「私の子ではない」と思ったらしい。何とも酷い話だ。
どんな赤ちゃんでも必死にこの世界に出てくるのだから、整って出てくる赤ちゃんはそうはいないのではないかと思うし、自分の子だと思えばどんなにへちゃむくれでも可愛いのではないか、と思うが、母からそう言われた赤ちゃんの私は可哀想の一言に尽きる。
自分がそんなに不細工だと言われるほどではない、辛うじて並みではないか、と思い始めたのはかなり遅くなってから、高校から大学に進学するくらいの頃か。皆それぞれの個性を認めて自由に過ごせたこの時代は本当に楽しかったし、働き始めて、夫と結婚してからは、夫は決してそんなことは言わなかった。
それでも幼少の頃のダメージはボディブローのように今でも効いていて自己肯定感はずっと低かった。
病を得て抗がん剤で完全脱毛したのは今回を含めて5回。睫毛も眉毛もなくなって爬虫類のような顔。副作用で色素沈着も酷く、顔にシミが増えた汚らしい一休さんになっても、どんなに酷い皮膚のコンディションでも、鏡の前でため息をつく私の髪の毛のない頭をなでて、夫はいつも「可愛いよ」「綺麗だよ」と言い続けてくれた。
そういえば年末の火事で猪口孝さんとお嬢さんが焼死されるという痛ましい事故が起こったが、猪口邦子さんが双子のお嬢さんのお世話で自分のことなどとても構えなくて大変だった時、ご主人の孝さんが“綺麗だよ”と言い続けてくれたことが支えになった、と何かのエッセイに書いておられたことを思い出した。傍にいてくれる人の言葉にどれほど傷つけられるか、そして勇気づけられるか。
その後の、相談者と私の人生は全く違うものになった。この方は嫁いだ先からも酷い言葉を浴びせられ、離婚もして苦労されたようだが、結婚後の私は両親からはそんなことは言われなくなったし、義母からも可愛がってもらった。そして可愛い息子も授かった。
子どもの頃のネガティヴだった私が、結婚したことを機にポジティヴな人生観を持てる人間に変わっていった。そして自分なりに好きなことを頑張ることが出来て、僅かではあるけれど、他人様の役に立つことが出来て、自分のご機嫌の取り方も分かって、今、ほどほどにご機嫌な毎日を送るに至っている。
遺された日々は少ないだろうけれど、それでも楽しく毎日を送っていけば、これ以上自己肯定感が下がることなく、生きづらいと思うこともなく人生を全うできそうである。
明後日は結婚35周年。珊瑚婚式である。10年前、25周年の銀婚式を迎えてから、これからだんだん豪華な宝石婚になっていくけれど、いつまで頑張れるか、毎年記念に旅行をしようと言ってここまで辿り着いた。
今年はサプライズで(分かっている段階で既にサプライズではないが)息子夫婦からのプレゼントが待っている。長く命を繋いでくることが出来て本当に感謝である。
記録のために昨日から今日までのこと。昨日もブログアップが遅れ、それから入浴して就寝は遅かった。それでも咳込むことなくすんなり眠れたので助かった。
今朝は日曜日仕様のアラームで起こされたけれど、寒くてなかなか布団から出られず。昨日洗濯もしたし、とウトウトダラダラとして、結局11時にMSコンチンを飲んでからの朝食となった。
朝のエスワンはすっかりお昼の薬と化している。掃除は明日出かける前に、ということで夫と合意し、午後はR先生のストレッチングヨガに出かけることにした。
先週は代行でT先生だったので、R先生とお目にかかるのは今年初めて。30人近い参加者で大盛況だったが、右隣りがいらしたものの左が空いていたのでマットをずらしてぶつからないようにできた。最初は仰向けから腰を緩め、座位になって肩から腕を大きく廻し、胸を開き、首筋を伸ばしてから、四つ這いでキャットアンドカウからローランジ、プロペラのポーズで捩じりを加え、猫伸びのポーズで背中を伸ばしたら立位はタダーサナからチェアポーズ。最後は再び仰向けになってワシの捩じりのポーズ。シャヴァーサナでは心地よく疲れちょっぴりウトウトしてしまった。
すっかり温まって程よく汗をかきシャワーを浴びてさっぱりして、来月行われるT先生の内臓マッサージの有料クラスの申込をして家路についた。寒かったせいか、駅前の屋台にはそれほど人で群がっておらず、静かだった。
帰宅後は遅いおやつにバナナ1本。夫をジムに送り出してからリビングでウトウト。夕食は冷凍餃子を焼いただけだったが、久しぶりに10分以上キッチンに立てたので良かった。スープは夫が出がけに作ってくれたので助かった。
母にMeet通話。明日は実家の蜂の巣退治の日なので立ち会うため、デイサービスはお休みにした、とちょっとつまらなそうだった。今日も寒かったので、昨日同様、ショッピングモールまで散歩方々出てお弁当を買って来ただけで一日家で過ごしたそうだ。
というわけでつい先日新年を迎えたと思ったら瞬く間に寒中お見舞いの季節となった。文字通り寒い日が続いている。風邪にもインフルエンザにもコロナにも注意してこの冬を乗り切りたいと思う。
新聞のお悩み相談記事、新聞止める前はよく読んでいました。
ロッキングチェアさんはお一人っ子でご両親の期待を背負って、とても厳しい環境で育てられたんですね。ご苦労されながらいっぱい努力されて今の素敵なロッキングチェアがいらっしゃるんですね。
今ではお母様のサポートもしっかりされてててご立派です。
今の時代、毒親という言葉もあるようですね。私の母は世間知らずで、それはそれで私も大人になって親に対しても色々な想いがあります💦
訪問ヘルパー時代のこと、思い出します。
利用者さんが精神疾患で離婚されてて4人子供さんがいて、幼い3人は施設に預けられ、小学6年生の女の子と暮らしてるご家庭を担当してた時がありました。
私が訪問してる時も言葉の暴力が酷く、子供にとってはそれでも母親は母親。逆に顔色を伺って生活している様子が見えて、なんとか救えないか、その子の将来も心配になったものです。
言われた言葉って忘れたい程残り続けることありますよね。
才能に溢れて、強く、たくましく、努力家で何よりもロッキングチェアさんは愛に溢れたご主人に見守られてます❤️
熟年離婚も増えている時代(この病気になると今まで以上に悩みながらも私もよく過りますが💦)
長い結婚生活にありながら、お互いが思いやる心を持ち続けるのは難しいのに本当に素敵なご夫婦だと思ってます❤️
しわあせを見つけるのがお上手で^_^
色々受け止めながら感謝の気持ちを忘れず、日々過ごされてるロッキングチェアさんはご立派です☺️
お互い自分のご機嫌取り(素敵な言葉😃)にも励んでいきましょうね♪
コメントありがとうございます。
厳しく育てられたと言えばそうなのかもしれませんが、一人っ子なのだから、何でも一人で出来なくては、というのが父の方針でした。
世間知らずと言えば我が母もかなり浮世離れしています。父が生きていた頃は父に依存し、今は私に依存しています。
子どもは親を選べませんし、小さな時は親から見放されたら生きていけませんから、本当に死活問題ですよね。
確かに病気になって離婚という話を聞くことは少なくありません。病める時も健やかなる時もと誓いながら、弱った時に離れられたら本当に辛いですよね。お互い支えあっての夫婦の筈だったのに。
いずれにせよ、自分のご機嫌を取れるのは自分だけ。無理せず、諸々感謝しつつ、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。