ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.9.8 旅行2日目、神々が宿る奇岩と神社に出会う島、壱岐島を巡る

2018-09-08 20:56:17 | 

 昨夜は早々と就寝。夫の鼾で何度か目覚めたけれど、諦めて朝風呂に入ることもなく目覚ましが鳴る少し前に目覚めた。都合6時間は眠れたか。
 朝はホテル最上階のキャッスルビューレストランでビュッフェ。唐津城が優雅な姿を見せている。7時55分出発のため、添乗員さんのアドバイスもあり、7時オープンより早くから皆しっかり並んでいる。

 玄界灘に浮かぶ島々を愛でながら、唐津の特産品もあれこれお皿に並べて美味しく頂く。野球部の合宿なのかユニフォーム姿の高校生も多数いて、大混雑。早く来てよかった。
 早々に食事を済ませ、BSで連続テレビ小説を視、ロビーに降りた。

 今回のツアーの皆さん、実にパンクチュアルで5分前に出発。
 今日の旅の目的地、壱岐島は神道発祥の地。『古事記』によれば、別名を天比登都柱(あめひとつばしら)という。
 歴史や地理の教科書では対馬・壱岐とセットで登場するが、今回は壱岐オンリー。ホテルのシャトルバスで唐津東港まで送って頂き、玄界灘2時間弱のフェリーの旅。壱岐島は印通寺港に向かう。佐賀県を離れ、長崎県壱岐市に上陸である。降水確率は高く、お天気はちょっと心配。お守りのために雨具を携えていく。

 待合室でフェリーのチケットを頂き、いよいよ乗船である。椅子席かカーペット席、お好きな方をということで、カーペット席を陣取る。箱枕とカバーが準備されている。足を伸ばせるし、お行儀悪く寝っ転がることも出来る。船酔いがちょっと心配だったけれど、穏やかな海である。毛布の貸し出しもあり、ミノムシのようにくるまってウツラウツラ。

 10時半に到着。壱岐のモン・サン・ミッシェルと称される小島神社のラッピング、が美しい地元の大型バスがお出迎え。ガイドのIさんのお迎えのもと、壱岐島内1日観光がスタートした。
 人口27,000人というこの島に小学校が18校もあると聞きびっくり。
 港のある石田町からバスは、最初の観光地、左京鼻(さきょうばな)を目指す。潮流や波に削られた海触崖の見物で、「鼻」とは突端の断崖絶壁のことだ。

 八幡半島のなだらかなスロープ状の草原を進むと、玄界灘に面して切り立った総延長約1kmにも及ぶダイナミックな海蝕崖に行きつく。ここの海蝕岩は玄武岩特有の柱状節理で、左京鼻の海中からは細い柱を束ねたような奇岩が突き出ている。壱岐島誕生神話の八本の柱の一つであり、海鵜のおびただしいフンに覆われているそうだが、遠目には武骨な玄武岩が化粧を施したように美しい。
 一面緑の芝生で柵もなく、先日訪れたロカ岬を彷彿とさせる断崖絶壁。お天気だったらどれほど海と空がきれいだろう。雲り空は少し残念だけれど、水平線を臨むと地球の丸さを実感する。鼻の先端には小さな赤い鳥居が。高所恐怖症の夫を励ましつつ、二礼二拍手一礼である。

 続いて、はらほげ地蔵へ。海に並ぶ6体のお地蔵様である。六地蔵は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)において衆生の苦患を救うという六種の地蔵で、海女で有名な八幡浦の海中に祀られている。自然石の頭部で、腹が丸くえぐられているので、はらほげ地蔵と呼ばれているそうだ。何時、誰が、何のために祀ったか不詳らしいが、遭難した海女の冥福のためとか、鯨の供養慰霊のためなどと伝えられている。胸の穴は、満潮になって地蔵が水没しても供え物が流れないように、船から供え物ができるように、あるいは流行の疫痢の疫病退散祈願のためなどと言われているそうだ。正面か背面かお顔がないのでわからないというが、海をバックにツーショットをしっかり撮らせて頂いた。

 バスは美しい清石浜(くよしはま)海水浴場を抜け、芦辺港のある芦辺町を行く。対岸には壱岐神社、元寇の際の碇石も見える。
 3番目の目的地は今回とても来たかったところ、月讀神社だ。このところパワースポット巡りにご縁があるが、月讀命が祀られている神社だ。古事記では伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が天照大御神の次に産んだのが月讀命(つくよみのみこと)とされている。

 京都の月讀神社は、487年壱岐の県主(あがたぬし)の先祖忍見宿祢(おしみのすくね)が壱岐から分霊したのだそうだ。県道に面した石の鳥居から、桧林の中を急な65段の石段の参道がつづく。鬱蒼として昼なお暗く神秘的な佇まいだ。
 不思議なことに、普段ならこんな急な階段を上ると息切れが激しいのだけれど、すっと身体が軽くなったようでスイスイと上がり切ることが出来た。うーん霊験あらたかなり。ここでガイドさんお薦めの「水鈴(みず)のおと」というお守りを頂く。水琴窟の透き通るような音色がなんと素敵なこと。耳元で揺らすと癒されること。銀色のものをチョイス。ここでまた寿命が延びたことを実感してお参りを済ませる。

 バスは勝本町を走り、猿岩と黒崎砲台跡を目指す。波によって造られた猿の横顔そっくりの岩と東洋一の砲台跡の見物だ。
 黒崎半島のさらに先端にある高さ45mの海蝕崖の玄武岩が、そっぽを向いた猿にそっくりで、背中に哀愁を漂わせたが如く見える猿岩だ。気紛れな自然の造形に驚かされる。ここも壱岐島誕生の神話による8本の柱のひとつだというが、正面から見れば何のことはない岩になる。まずは団体集合写真撮影、帰りまでには写真が頂けるといいお願いする。
 年賀状の写真にできますよ、とガイドさんに言われて夫とツーショットの写真を撮って頂くが、うーん、次の申年まで生き延びられているかどうか。また大きなお題が降りかかってしまった。

 駐車場脇の「お猿のかご屋」というお土産屋さんを物色。お店の奥の坂道を少し登っていくと、現代の戦争遺跡、黒崎砲台跡がある。昭和3年から6年までの年月をかけて完成したそうで、口径41cmのカノン砲二門の砲台で砲身の長さ18.83m、弾丸の重さ1t、最大射程距離約35km、同じ規模の砲台が韓国釜山と対馬にあったという。結果的にここは一発も実弾を発射することがなく終戦を迎えたとのこと。巨大な地下要塞であるが、砲台の巨大な穴を上から見ることが出来た。
 今回のガイドIさんは本当に博識。自称“神社おたく”だそうだが、NHKのBSプレミアムで壱岐の特集に出演されているそう。帰宅したら録画しなくては。

 こうしてとんとん拍子に午前の観光が終了し、お待ちかねのお昼である。ポツポツと雨が降り出しても、有り難いことに傘をさすほどまでではなく。晴れ女の力、ちょっぴり発揮である。
 半城(はんせい)湾のお花見遊覧のお話を伺いながら郷ノ浦町のウ二工場へ。これで島内の4町を全て走行したことになるそうだ。工場の方から海女の歴史など聞いた後は、2階のレストランに上がって「壱岐牛ローストビーフとウニ釜飯膳」の昼食。私はウニが大好き、夫は牛肉大好きということでうまく交換しながらお腹を満たす。息子が来ていたら別メニューのウニのオムライス、食べたかっただろうなと言い合う。さすがにお造りも新鮮でとても甘くとろりと美味だ。
 食後は海産物やスイーツ、民芸品等特産物で溢れたお土産屋さんフロアであれこれお買い求め。夫は気づけばまたソフトクリームを食している。ウニ味かと思ったらキャラメル味だそうで。

 午後、残す目的地は2か所。1か所目は壱岐の蔵酒造、焼酎工場だ。大きな樽やカメが並ぶ中、沢山の種類の焼酎のご紹介。試飲し放題ということだけれど、なんといっても下戸だからちょっと寂しい。ゆずの香りのリキュールだけ舐めておしまい。夫は結構楽しそうに赤い顔であれこれ味見していた。

 最後は原の辻一支国王都復元公園へ。『魏志倭人伝』に一支国(いきこく)として登場する壱岐島。その王都として平成7年に特定された原の辻遺跡である。
 紀元前2~3世紀から紀元3~4世紀にかけて形成された大規模な多重環濠集落で、芦辺町と石田町にまたがる台地上を中心に、東西、南北ともに約1km四方に広がっている。緑が美しく、高床式の家や倉庫を見るにつけ、いきなりタイムスリップした感じだ。
 発掘調査途中のため、古代史を書き換えるような発見が相次いでいるという。最近では人面石が話題になったそうで、ムンクの絵のようにユニーク。3~4世紀に作られたものだという。ちょっとチャーミングだったので、人面石を模した3個セットの箸置きを買い求めた。
 また棹秤(さおばかり)に用いる錘(おもり)らしきものも出土しており、これが事実だとすると、7世紀とされていた度量衡整備がさらに400年以上も遡るそうだ。平成12年、弥生時代のものとしては国内3カ所目の国特別史跡に指定されている。予算の関係でなかなか室内の装飾までは手が回らず、中に飾られている土器は子供たちが体験で作ったものだそうな。また茅葺屋根のメンテナンスも大変だそうで、市とNPOが四苦八苦しているらしい。
今回は博物館までは見られず、物見やぐらを通して遠くにその姿だけを写真に収めてきた。

 こうして3時。帰りのフェリーは3時半発ということで、これにて本日の一日観光は滞りなく終了だ。再び印通港から唐津東港へ。往路と同じフェリー「あずさ」で戻る。勝手知ったる復路はさっさとカーペット席のいい位置を確保し、夫が往路の倍の一人二枚の毛布をお借りしてきて、お昼寝タイム。少し揺れたけれどちょうどいい感じで、今度のコンサートの合唱曲を睡眠学習しながら1時間半を過ごした。

 フェリーを降りると、ホテルのシャトルバスがお迎えに。5時半に到着した後は夕食までフリータイム。ショッピングフロアでお土産の買い出しを済ませ、夕食はホテルの最上階のレストランでハーフバイキング。揚げたての天ぷらやアラ汁の食べ放題の和食膳でお腹一杯である。
 夫はワインを飲んでご機嫌で、駅までタクシーで行って街並みを散策してみようとのたまうが、地方都市のこと、既にどのお店も閉まっていてバーか居酒屋しか開いていません、とホテルフロントで言われ、ちょっとしょげている。

 これからまた大きなお風呂で手足を伸ばしたら、明日は焼き物の里を巡って帰京である。
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