それまで試合をすると負けていた足立ポップスが、急に強くなったものですから周囲の環境も大きく変わって来ました。
新監督は父兄は元より、試合場に行く度に他のチーム関係者から持て囃されます。
つい3年前までは66対0と言うスコアで負けていた足立ポップス。
しかもスタメン全員に打順が来る事も無くコールド負け。
そんなチームが短期間で急激に強くなったのですから、事情を知らない人達は監督が変わったからだと思うでしょう。
そうやって周囲から褒められて行く内に、この新監督は全て自分のお陰だと思い込むようになって行きました。
新監督にしてみれば、さぞや居心地の良い環境だった事でしょう。
家事手伝いとは言う物の実態は職の無い身ですから、平日の世間の評価は手に取るように解ります。
足立ポップスが提供する週末は、彼からすればパラダイスだった事だと思います。
そんな中、ある大会で選手達が貰ったトロフィーを、新監督が自ら取り上げて口の中に入れてなめ回します。
これには選手達が驚いてドン引きしますが、何をしているのか選手が訪ねると。
オリンピックで金メダルを取った高橋尚子がメダルをかじったので、自分もどんな味か試してみたと言う物でした。
とうとう最初のブレーキが外れた瞬間です。
トロフィーは自分が取ったものと思うようになっていました。
これに危機感を覚えた僕は、その事を強く注意します。
ただ、その時はまだ彼も僕の言う事は聞いていました。
その頃、運悪く僕の生活環境が大きく変わります。
当時勤めていた会社から新たなミッションが出て、単身で大阪に移り住み西日本全部をサポートしろと言う物です。
それまでも平日は相当忙しかったのですが、この事により本当に寝る時間が無くなって行きました。
月曜の朝は新幹線で大阪に入り、平日は朝から晩までお客様と商談を繰り返し、夜にはお客様と食事をして住居に戻るのが午前さま。
そして当時勤めていた会社は本社がアメリカの西海岸であった為に、そこから電話会議や提出資料の準備をしなくてはなりませんでした。
そして土曜日の始発の新幹線で東京に戻り、東京駅からタクシーでグラウンドに向かうなんて事を繰り返します。
睡眠時間は移動で乗り物に乗っている時だけになりました。
国内だけの移動で、1か月で飛行機に7000マイルも乗り、新幹線での移動は30回近く、この生活はどんどんと僕の体力を奪って行きます。
けれども、この生活の変化が新監督を完全に解き放ちます。
金曜の夜に僕の家に来れなくなった新監督は、あろう事か前監督解任を主導した父兄2人の家に交互に泊りに行くようになります。
折しも足立ポップスは大勢の子供達を抱えて、子供達が熾烈なレギュラー争いをしている時でした。
チームのトップに立つ者が、選手の家に泊った時点で公平感は失われます。
そして、それだけでは有りません、この事によって新監督にブレーキを掛ける者はいなくなりました。
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