多くの子供達が集まった足立ポップス。
それと比例して多くの父兄コーチを受け入れました。
人数が増えると、そこには色々な考えが存在するのは当然で、だんだんとチーム内の空気も変わって行きます。
お手伝いをしてくれる父兄は大変貴重なのですが、チームの為にお手伝いをしているとは限りません。
何とか自分の子供をレギュラーにして試合で活躍させたい、その一心でお手伝いを買って出る父兄がほとんどです。
それは自分も子供を持つ身として十分に理解出来るのですが、中にはチームの事など全く考えていない親がいたのも事実です。
チーム設立から2年も経過すると、だんだんと足立ポップスもチームらしくなって来ました。
何しろ大所帯の足立ポップス、練習だって紅白戦を2か所で行えます。
その為に選手達は毎日色んな事を覚えて行ったようです。
その頃、ポップスが参加する連盟には教育リーグと言う物が存在していました。
通常の試合の出場資格は、チームを構成する学年が6年生から3年生までと言う基準が有るのに対し、教育リーグは4年生以下となっており低学年の選手を多く抱える足立ポップスには渡りに船の大会です。
ルールも特別ルールが存在し、塁間がレギュラークラスと比較すると1mほど短く、1イニングに10点入ったらその場で攻守交替と言うものでした。
早速足立ポップスはプチポップスAとプチポップスBと言う2チームで大会に参加します。
監督が試合中に自分のチームの選手を罵倒する事により、全然勝てないレギュラーチームを横目に、プチポップスはAもBも向かう所敵無しの快進撃を続けます。
そうなんです、今までの基本練習はしっかりと選手達の身体に沁み込み、既に勝つ準備は整い始めていました。
プチポップスAもプチポップスBも全ての試合の全てのイニングで10点ずつを得点し、相手チームにはほとんど点を与えません。
最後は両チームでの優勝決定戦が行われたのですが、これは僕らが練習中に見慣れた紅白戦の延長でした(笑)
その頃、ある父兄が行動を起こします。
今のチームを見て、自分の子供が6年生になった時には、今の監督では嫌だというものでした。
果たしてその父兄は他の父兄を誘って、現在の監督に辞めてもらうように家を訪ねると言います。
その事を僕が知ったのは、その父兄2名が監督の家に行くと言う直前でした。
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